岩波書店のPR誌「図書」に北京のなんとかいう研究機関に属する孫歌さんが書いていた。
彼女は東京都立大学で学位をとった人らしいが、彼女が都立大学で学んでいたときにはもういなかった竹内好のまなざしを感じたという。
それは竹内好がもう都立大学を辞めており、そこに彼がいたというのではないが、あたかもそこにいるような雰囲気を感じたという。
これはいうまでもなく竹内好の教え子かどうかは知らないが、その学風が言わずとも残っていたということであろう。
私自身は竹内好がどんな中国学者だったのかはよくはしらない。ただ、鶴見俊輔さんの書いた文章からその人柄をほのかに推量するのみである。だが、そのような学風なり、影響を与えた方の存在を好ましく思う。
そして、広い意味でその影響を間接ではあろうが、その影響を受けた孫歌さんをうらやましく思う。
また、中国人の学者にそういう思いを感じさせた、竹内好を生んだ日本をある意味で誇らしく思う。いや、現今の変な日本の雰囲気でもそれに影響されずにすっくとたつ竹内好の姿勢をほめるべきであろうか。
もっとも先日のドイツ語のクラスで聞いた話ではこの誇らしいにあたるstolz auf et. という表現はむしろドイツ語では自慢すると言う意味にとられてnegativeなのだそうである。別に自慢するというつもりではないのだが。
(2014.8.30付記) 先日の朝日新聞に孫歌(そん ぐう)のインタビュー記事がでていた。(そん ぐう)とフリガナがつけてあったが、本当はソン クウとでも発音するのだろう。なかなか美人の女性研究者である。
中国の国家としての政策もあろうが、中国の市民のもっている感情とか思想とかは日本に対して必ずしもかたくなでも反日でもないというような趣旨であった。
そしてそこを重視すべきであろうとも述べていた。それは日本国民も中国に対して同様であろう。