「斜陽」とは太宰治の小説の題目である。
昨夜のNHKのJ文学で、ロバート・キャンベルさんが「斜陽の本来の意味は西日とか夕日だが、現在では没落というような意味に使われますね」といわれていた。
これには驚いた。私には斜陽は西日とか夕日という感覚はまったくなかったからである。よくドイツ語のクラスで私たちが使ったドイツ語の単語の意味が少なくともドイツ人の小学生には通じないだろうとR氏に指摘されることが少くなくないが、それと反対のことが現実にあったということである。
もちろん、日本でも少し年配の学のある方は斜陽の本来の意味は「夕日とか西日である」ことを知っているのであろうが、少なくとも私はそれを知らなかった。
日本語を教えてくれるのは日本人だとは限らない。そういえば、哲学者の鶴見俊輔さんはアメリカで日本語をまったく忘れてしまい、彼の日本語の先生はアメリカ人の日本学者のライシャワー氏だったという。
ライシャワー氏は日本生まれで、奥様は日本人であり、アメリカ大使をされていたときに私の在学していたH大学にも講演に来られたことがあった。そのとき英語で講演をされたが、通訳の日本語を修正させていたというくらい日本語が達者であった。