西條敏美先生の「測り方の科学史II」(恒星社厚生閣)が発刊された。
西條先生のとても勤勉な方である。徳島科学史研究会を30年にわたって主宰されてきたことはいうまでもないが、すでに10冊以上の書籍を上梓されている。
これは勤勉さがないととても達成できることではない。それもいずれも科学を教えるものには興味を引くようなテーマについての書である。
さて、この「II」は「I」とは異なり、原子とか分子それから素粒子等のミクロの世界を対象としたものの属性を測るということに焦点をあてている。「I」よりは「II」の方がより身近に感じているので、楽しみにして読んでいる。
私は後ろの章から読み始めて、一つづつ前の章へと後戻りするという読み方で、いま原子核のところを読み始めたところである。ところが西條先生が参考文献として挙げておられる書籍を私は一部しかもっていないことに気がついた。これはどうしたことだろうか。
私も広い意味の理科の教師なのだが、どうも西條先生がもっておられるような書ももっていないというのは私の教養の偏りを示しているのだろう。もちろん先生が上げられた参考文献を、すべて先生がもっておられるとは限らないが、その全部ではないにしてもかなりの書はもっておられるのであろう。
私はある種の数学愛好家であって、そういう書を少しはもっている。そのせいか理科の一般的な書をあまりもっていない。
それにときどき西條先生からメールをもらうことがあるが、先生は文学にもご関心をおもちであり、どうも文学には余り関心のない私と先生とはその点でも大きく違っている。
先生の書「測り方の科学史II」の紹介をするのが目的であったはずが、テーマが脱線してしまった。まだ十分この書を読んでいないからだが、素粒子の寿命のところで共鳴状態の半値幅が「小さい」とあったが、これは「大きい」の書き間違いではないのだろうか。寿命が短ければ、半値幅は大きいはずだから。
これはきちんと調べてみてからいうべきことであるが、中間子のpionの寿命が10^{-23}秒と予測されたとあったが、これは本当だったのだろうか。
pionの寿命は10^{-8}秒くらいであり、muonの10{-6]秒との違いに悩まされたということを聞いてはいるが、湯川の始めの寿命の予言が10{-23}秒だったと第1論文に書いてあったのかどうか、もう50年以上前の大学院生の頃にゼミで読んだだけであるので、記憶がない。もし、そうなら宇宙線の中に見つかりそうですねという返事を菊池正士さんにしたという返答がどうも筋があわなくなりはしないだろうか。
10{-23}秒というのは現在知られているレゾナンス粒子の寿命くらいであるので、それとの整合性はいいが、どうだったのだろう。手元に書籍がないのに書くのが憚られるが、pionの質量と核力の到達距離が反比例するだろうと思いついたというのは湯川の自伝「旅人」に確かにあったが、これに関しても小さな書き間違いがあるような気がしている。
だからと言ってこの書がつまらないなどとは思っていない。この書は中学生や高校生、また彼らを教えておられる先生のみならず、私たちにも新しい観点を提供してくれる書である。
(2012.4.4付記) Nakanishi先生のコメントによれば、pionとmuonの寿命違いに悩んだと上で私が書いたのは間違いらしい。pionは強い相互作用をするから、他の原子核とか何かとすぐに相互作用をしてしまうので、宇宙線中に見つけられた中間子(実はmuon)の平均自由行程が湯川の想定した中間子(pion)がもつであろうと想定される自由行程とではあまりに違いすぎることが、矛盾としてクローズアップされていたという。
Nakanishi先生のコメント有難うございます。