物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

ライフログ

2012-04-11 11:06:44 | 日記・エッセイ・コラム

先日、NHKのクローズアップ現代でライフログというのが流行っているという現象を取り上げていた。ほとんど時々刻々の自分の生活の記録をとる人が増えているという。「なんとせわしいことよ」と思う私は古代人であろうか。

そういえば、40年以上昔に知り合った、化学者のある先生は日記をつけるのを日課としていて、いつも日記帳を携帯しており、彼が当時滞在していた、イギリスのバーミンガムから彼の家族と共に当時私たちの住んでいたマインツにやって来たときに愛用の日記帳を携えていた。

とはいっても彼は別にイギリス人ではなく、日本人でそれも私の勤めていた大学の学部は違うが、先生であった。そして彼からゲッチンゲンを訪れたという話を聞いた。それはそこが量子力学発祥の地であるからということであった。そこで、彼は核分裂反応の発見者のオットー・ハーンの墓を訪れたと話してくれた。

それまで私は大学工学部で8年近く量子力学を教えていたが、在独中にゲッチンゲンに行ってみようという気はあまりなかった。それがこのK先生の話を聞いて一度はそこを訪ねたいと思った。

その後、今度は逆に8月の終わりに一家でバーミンガムの彼の家を訪問したが、そのときはまだゲッチンゲンには行っていなかった。

ゲッチンゲンが私に親しくなかったわけではない。学生のころにロベルト・ユンクの「千の太陽よりも明るく」の翻訳が出版されて、それをはじめ妹が大学の図書館から借りて来たのだったか、それを読んで自分でもその翻訳本を手に入れて読んだ。これは本当に心躍る物語であった。いまでもこの本の翻訳を文庫で読むことができる。

ユンクはジャーナリストであり、小説家でないが、多分この書が彼の最高傑作であろう。原子爆弾へと到る原子物理学の発展の人間ドラマをまた、その地ゲッチンゲンを生き生きと描いていた。

私たちが実際にゲッチンゲンを訪れたのは1976年12月のクリスマスの後の雪の季節であった。そしてそのときの記念として市の中心街で買ったゲッチンゲンの市街図は鮮明だったそのオレンジの色はあせてしまっているが、私の仕事場に架かっている。