物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

ブログ1700を越す

2012-04-13 13:15:09 | 日記・エッセイ・コラム

いま、私のブログの回数を見たら、「武谷の書籍・文献の入手」が1701回目であることを知った。1700を365で割ると4.65くらいであるので、少なくともブログをはじめて4年半を経過したことがわかる。

実際には2005年4月の終わりにこのブログを始めたと思うので、今年の4月末で7年が経つと思う。もちろん健康でブログを書くことができたことに感謝をすべきであろうし、読者がいるとすれば、その読者にも感謝をすべきことであろう。

特に最近は一日にどれくらいの方が見てくれたかを知ることができるので、特定の方々のお名前等はまったくわからないないが、それでもその読んでいただいたことを励みにして書いてきた。

私のブログの回数が1000回くらいのときに2000回を越しておられる方がおられた。ああ、すごい人がおられるなあと思ったものだ。その2000回に到達するのはまだ一年以上かかるが、それでも2000回も夢ではなくなってきた。


武谷の書籍・文献の入手

2012-04-13 12:47:54 | 学問

物理学者・武谷三男に関する書籍や文献をここ数年集めている。

また彼の論文リストと著作目録を作成しており、現在いずれも第3版を「素粒子論研究電子版」に載せている。これが最新版ではあるが、どうも著作目録は改訂が必要であり、第4版を用意していた。

それで、少し改訂した原稿をつくっていたのだが、インターネット「日本の古本屋」を先日見たら、彼の談話のある資料が出ているのを見つけた。それで早速注文したのが、昨日届いた。

いつももう私の眼につかない武谷の文献はもうないだろうと思って自信満々なのであるが、その気持ちはいつも裏切られる。これは法政平和大学マラソン講座「天皇問題を考える」(オリジン出版センター)である。

なかなか国会図書館のOPAC目録にもディジタル資料にも出てこなかった文献である。人間のすることには完全はありえないということをまた思い知らされた。

武谷の書籍とか寄稿のある書を網羅的に集めるということをしているのだが、さすがに財政的にそれを完全に行うことは個人としては不可能である。それでも乏しいポケットマネーでできることをしている。

この私の試みができたからといって、世の中が根底から変るなどということはまったく期待できないし、単に自己満足にしかすぎない。

だが、誰かそういうことをする人がいてもいいのではないか。そんな気持ちからである。だが、これは私の妻や子どものような家族から考えたら、実は集めた蔵書の処分を考えたときにはとても迷惑なことである。

私の死後は愛媛県立図書館に寄贈するようにと日頃から言っているが、そこに受け入れてもらえるものかどうかわからない。

ああ、どうするか。困ったことである。

(付記) 私の武谷三男著作目録(第3版)によれば、222冊の書籍が所載されている。そして第4版ではそれに数点の追加がされる予定である。また、この著作目録に載っている書籍の大部分を所蔵している。

しかし、いままでどうしても入手できないものが何冊かあるが、それとても20冊以下であろう。ひょっとすると10冊以下かもしれない。

10冊も集められないものがあると聞けば、それではそんな蔵書は到底頼りにはならないと思われることだろうが、人間一人のやれることはまあこんなものである。

(2013.12.4付記) ちょっと調べてみないと自分でもわからないが、多分素粒子論研究電子版に「武谷三男著作目録」(第4版)を掲載している。

最新版を知りたい方はそれをご覧ください。この第4版によれば231冊の著書とか寄稿記事のある書がリストされている。

中国語に訳された書があるらしいが、それを知ることはまだできてはいない。なかなか完全を目指すことは難しい。


元同僚からの便り

2012-04-13 12:02:14 | 日記・エッセイ・コラム

E大学に勤めていたときの同僚が松山の施設から東京の施設に移ったとの便りをもらった。彼は英語のとてもよくできる方で何回か論文の英語をみてもらったことがあった。

あるとき、脳の障害で半身不随となり、それでも大学に数年間なんとか勤めていたが、年金をもらえるだけの年数だけやっと勤めたということでとうとう途中で大学を辞められた方である。

施設に入っていたが、彼の介護をなさっていた夫人も先年亡くなってしまい、一人で松山の施設に入っておられたが、東京に住んで居られる子どもさんの近くの施設に今年始めに移られたというご挨拶のはがきを頂いた。

彼にはずいぶん親しくしていただいたのだが、それでもあまり彼を訪問するということができず、申し訳がなかった。

それでも、子どもさんの近くに移られてほっとされていることだろう。彼の子どもさんたちはいずれも優秀な方々であって、彼を十分に助けてくれていると思う。

この便りにメールアドレスがついているので、彼に届くのかメールを一度出してみよう。