西條敏美さんの『測り方の科学史II』原子から素粒子へ(恒星社厚生閣)をようやく読み終えた。
専門に近い分野なので読み終えるのに1ケ月はかからないと思っていたのだが、原子核の質量公式のところでなぜか頓挫して2週間ほどこの書から遠ざかった。思い直してここのところを読み終えて1章づつ前の章へともどる方法でようやく第1章を昨夜読み終えた。
ところが読んでいるときにはいろいろなことを思ったのに、感想を書こうと思ったら、なにも思い浮かばない。それで読み終わったのは確かだが、感想を書くには少し時間がかかりそうである。どうもこういうことは珍しいのだが、しかたがない。
原子核の質量公式はフェルミの『原子核物理学』のテキストで私が一番感銘を受けたところであったのに、今回の読みでは読むのがつっかえたところになった。そこらへんもどうしてだかわからない。
実は素粒子から中間子、中性子とこの原子核のところに到るまでは一気に読めたので残りは簡単と思っていた節がある。
ところがそうではなかった。後のところも全部をチェックをした訳ではない。読んだことは事実だが、計算を飛ばしたところも何箇所かできた。
私は専門家を名乗るにはちょっとおこがましく、セミプロくらいの位置づけだろうか。物理の各分野の研究者にはこの書はいたるところ欲求不満が残るかもしれないが、この本は別に専門家のための書物ではない。
しかし、専門家にもなにがしかの得るところがあるだろう。少なくともこういう分野の物理量の測り方を通読できるような書はいままでなかったのだから。
広い分野の原子から素粒子までの質量とか電荷、大きさ等の物理量の測り方を述べるということは労の多い仕事にちがいない。しかし、そこかしこに著者の好んだテーマが潜んでいるように思われる。
原子では近代原子論の提唱者である、ドルトンの哲学的背景だとか、光の速さの具体的な値を測った、レーマーとかは著者の好きなテーマであろうか。
原子が日常生活のどこに現れているかとか、光の波長をどうやって測るかという視点などに著者の考えが出ているようである。
原子内の電子の数については原子番号の物理的意味をはっきりさせた、モーズリーの研究は私もすばらしいと昔思った覚えがあるが、西條さんも同様らしい。
原子核の質量でのワイツゼッカーの質量公式も同様であろう。
中性子と中間子の章があるのもそれらの科学史における重要性を鑑みて当然であろう。また、素粒子の章ではクォークとニュトリーノが取り上げられており、それらの話題もup-to-dateである。これらの章を私は興味をもって読んだ。
全体的にみると、いくつかの細かなミスは見かけられるが、それらはもし版を改めることがあれば、そのときに訂正されることを望みたい。