お隣のご子息が中年になって病気になり、勤めていた会社を辞め、その後臨時的な職には就いてきたが、その後も定職がなく、とうとう住んでいた家の家賃の払いもままならぬとかで、何十年ぶりに同居をするという話を聞いた。
これは他人事ではない。いつ私の子どもたちもそういう運命に見舞われるかもしれない。病気になり、その療養をした後で、また仕事に復帰しようとしたときに勤め先を見つけることがとても難しくなっているからである。
半導体のことを職にしていた人たちが半導体製品の売れ行きが悪くなったとかで、解雇されたり、自発退職を求められたりする。そのときに、自分は半導体の専門家だといっても、もうどこでも雇ってくれないかもしれない。
知り合いに早期退職をして一時無職だったが、そのうちに次の職を見つけてまた働いている人がいる。この人は半導体の専門家ではなかったが。
この人はテニスで知り合った知人だが、彼の子どもがまだ小さいので、定年退職のころにはまだ子どもは大学生だから、60歳を過ぎても働かなければならないと今年もそういうことを年賀状に書いていた。
妻が言うには、日本国内で仕事がなければ中国でも東南アジアでもどこにでも仕事先を見つけるたくましさが必要なのではないかという。それには外国語の中でも世界共通語である、英語が少しでもできることが必要なのではないかと。
技術関係の人は英語がはじめ、たどたどしくても実際に具体的なものがあり、場面があるので、なんとかクリアできるものだと言われている。要は飛び込む勇気があるかどうかの差かもしれない。
その例とは言えないが、姪の夫は技術関係の職だが、会社から派遣されて中国の深圳で今働いている。
派遣は2年間という約束だが、姪の長男がお父さんに一人ついて行って、インターナショナルスクールに通っている。2年で帰って来ると高校を終了しないので、もう1期中国にいたほうがいいのではないかとは私の意見である。さてどうするだろうか。