物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

日本文化

2014-01-11 11:58:16 | アート・文化

新聞広告に毎朝書籍の広告が載っている。

その多くはもちろん文科系のテーマの書であるが、たくさんの書が出版されている。これはそういうことを自慢しているととられるのは心外であるが、やはり日本の文化の高さを示している。

それらの本の中には翻訳のものもあり、翻訳しても誰が読むのだろうとこちらが心配になるような書もあるが、それが営業的にpayするかどうかは別にしてやはり日本の文化の高さを示しているといってよい。

もちろん、global化した世界に打って出る必要もあるし、私など英語でなんでも意思表示ができるほど外国語ができないとかいう問題はある。だが、一度その文化の高さを素直に評価してもいいのではないだろうか。

確かに理学書書籍目録に眼を通したら、たとえばの話だが、大学のテキストとしての線形代数の書は数十冊はあるだろう。

真面目にその数を数えたことはないので、それぐらいの印象しか言えないが、過当競争ともいえるぐらいの数である。

そんな国が世界にたくさんあるだろうか。いや英語でなら、それくらいのテキストがあっても不思議ではないが、日本はたかが1億2千万かそこらの人口の国である。英語を解する10億人を対象とするわけではない。

線形代数のテキストを例に挙げたが、これは微積分でも初等的な大学の「物理学」のテキストでもほとんど同じようなことがある。

いやそれどころか結構難しいという評判の量子力学のテキストだって20冊よりは多いだろう。テキストを書くのがいけないというつもりはまったくない。そういう国はあまり世界中にもないのではないかと言いたいだけである。

相対論の本の中でも難しいとと言われる一般相対論に触れたものでも専門家の書いたもの、非専門家の書いたものまで含めると多分10冊を越えるであろう。

そういう文化が日本にあるということを認めた方がいい。個々の書がレベルが低いとか間違いがあるということもあろうが、その点を日本のある意味での特徴ととらえた方がいいのではないかと最近考えている。


英文論文を見終わる

2014-01-11 11:28:43 | 日記・エッセイ・コラム

1月4日くらいから見ていた英文論文を昨日見終わった。

久しぶりに英文を書くという作業は楽しかった。元の日本語の原稿があり、それをもとに翻訳業者が訳した英文の論文があって、それを読んでいたのである。

英語翻訳をした人はnativeかもしれないが、あまり私などが使わない表現もあり、とまどった。

そこら辺りは勝手に変更を入れたが、終わりころになってこちらのエネルギー切れで翻訳をそのままとするところも多かった。

それでも翻訳はもともとの意味を十分にとらないで英文としての主語、述語を形式的に整えただけのところもあって、そこら辺りはしっかりと修正をしておいた。これは本当は日本語の原文があいまいでいけないのである。

もっとも困るのは専門用語であり、これはどういう専門用語が実際に使われているのかを知らないとどうしようもない。

これは専門用語かどうかはわからないが、非復元抽出という語があり、訳はresamplingとなっていたが、google検索をしたら、sampling without replacementとなっていたので、本当の用語は知らないが、これに変えた。ちなみに復元抽出はsampling with replacementとgoogle検索では出ていた(注)。

困ったのは先進企業と後進企業である。翻訳ではprogressive firmとregressive firmと翻訳ではなっていたが、当面advanced firmとretarded firmに置き換えておいた。これは物理を学んだ人なら知っている、advanced potentialとretarded potentialの応用であるが、さて普通にはどちらを使っているのだろうか。

google検索でも先進企業はadvanced firmと出たが、後進企業はさすがにretarded firmとは出て来ない。firm in next generationとかいう訳が出てきたが、はたしてどうであろうか。

(注) 最近購入した『数学英和・和英辞典』(共立出版)によれば、復元抽出はやはりsampling with replacementとなっている。

(2014.1.15付記) 上で英文論文を見終わったと書いたが、2回目の見直しをしている途中である。見直しをしてみると、やはりところどころに検討が十分でないところに気づき出している。

ということで、なかなか英文を見終わることが難しいのだが、ちょっと見るのが嫌になっているので、ちょっとした短い時間だけ見ている。

これは夜の11時半から12時半くらいまでの1時間の間だけコタツに入って見ている。この時間にはもう私が見たいテレビ番組は終わってしまっているから。