新聞広告に毎朝書籍の広告が載っている。
その多くはもちろん文科系のテーマの書であるが、たくさんの書が出版されている。これはそういうことを自慢しているととられるのは心外であるが、やはり日本の文化の高さを示している。
それらの本の中には翻訳のものもあり、翻訳しても誰が読むのだろうとこちらが心配になるような書もあるが、それが営業的にpayするかどうかは別にしてやはり日本の文化の高さを示しているといってよい。
もちろん、global化した世界に打って出る必要もあるし、私など英語でなんでも意思表示ができるほど外国語ができないとかいう問題はある。だが、一度その文化の高さを素直に評価してもいいのではないだろうか。
確かに理学書書籍目録に眼を通したら、たとえばの話だが、大学のテキストとしての線形代数の書は数十冊はあるだろう。
真面目にその数を数えたことはないので、それぐらいの印象しか言えないが、過当競争ともいえるぐらいの数である。
そんな国が世界にたくさんあるだろうか。いや英語でなら、それくらいのテキストがあっても不思議ではないが、日本はたかが1億2千万かそこらの人口の国である。英語を解する10億人を対象とするわけではない。
線形代数のテキストを例に挙げたが、これは微積分でも初等的な大学の「物理学」のテキストでもほとんど同じようなことがある。
いやそれどころか結構難しいという評判の量子力学のテキストだって20冊よりは多いだろう。テキストを書くのがいけないというつもりはまったくない。そういう国はあまり世界中にもないのではないかと言いたいだけである。
相対論の本の中でも難しいとと言われる一般相対論に触れたものでも専門家の書いたもの、非専門家の書いたものまで含めると多分10冊を越えるであろう。
そういう文化が日本にあるということを認めた方がいい。個々の書がレベルが低いとか間違いがあるということもあろうが、その点を日本のある意味での特徴ととらえた方がいいのではないかと最近考えている。