「短い時間の利用」を勧めた人としては地球物理学者の竹内均さんがいる。
彼はいくつかの彼の著書で自分がいかに短い時間も無駄にしないで、使っているかを自分の仕事の流儀として公開している。
竹内均さんが熱力学のエントロピーに関して間違った認識をしているということの例を旧知の山本義隆氏が彼の著書『熱学思想の史的展開』(現代数学社)のp.480に述べている。
などと書くと私が上記の書を詳しく読んでいるかのように誤解されるといけないので、言っておくと実は索引を見てそこを読んだだけである。
もっとも竹内均などというところを索引で見たのはもちろん私が竹内氏の仕事にいつも感心していたからである。
ともかく、短い時間を如何にうまく使うかは忙しく業務をこなしている、現代人のある意味での課題でもあろうか。
もっとも私が短い時間を有効に利用しているなどと自慢できることなどまったくない。だが、それでもそういう生き方ができたらいいのにとは感じている。
一方で、怠け者かどうかは判定が難しいが、私は一日のある時間を無為に過ごしてぼやっとしているという人が好きだ。
私の友人でそういう時間を過ごすのが好きだという人がおり、その気持ちはとてもよくわかる。
彼は化学者だが、大学の研究者の職をなげうってある化学系の会社の役員にまでなった人である。彼はなかなか会社が業績をあげないからと言って他の役員から責められたことがあったらしいが、それでもその考えのスタイルは変えなかった。
それは研究をすることによって、新しい製品を開発して会社の利益を上げるということだった。そしてそれはぎりぎりのところではあるが、成功を収めていた。
彼は言う。もし私の会社で研究を行わなかったならば、新しい製品は開発されず、それは大当たりはしなかったかもしれないが、それなりの利潤を得て、従業員に給料を払うことができなかったはずだ。
ところが同族企業の他の役員たちはそれが気に食わなかったらしい。とうとう彼をトップの位置から引きずり落としてしまった。彼ははたからとやかくを言われるのを良しとはしなかったし、あまり地位にこだわる人ではない、きっぱりとした人だった。
今回も全く予期をしない方向に話がそれてしまった。私は何を書いているんだろう。