『グレイゼルの数学史』III(大竹出版)を拾い読みしている。
ある関数F(x)を微分したとき、それが関数f(x)に等しいという式
F'(x)=f(x)
が成り立つとき、F(x)はf(x)の原始関数というが、この関係が微積分が有用な理由である。
不定積分が微分の逆の演算になっているという発見が世の中を変えたと言っても過言ではない。数学の微分積分の本を見るとどの本にもこの事実は書いてあるのだが、その記述は大抵とても簡単である。
この発見したのは言うまでもなく、ニュートンとライブ二ッツである。歴史上ではニュートンの方が時期的に早いようだが、ニュートンは自分の成果を論文として発表しなかったために世間への発表はライブ二ッツの方が早い(注)。
また、記号的にもいまではライブニッツの記号法が主として採用されており、ニュートンの記号法は力学等を除いてほとんど使われていない。
その後のプライオリティ論争でライブ二ッツはニュートンの業績を剽窃したと非難されたが、しかしその発想は少し違っているらしい。
はじめに述べた、微積分の基本定理をどのようにして 思いついたかを知ろうと思ってもなかなかそのことを書いている本がない。それで上記の『グレイゼルの数学史』IIIを読みだした。もっともこの書にもライブニッツの発想がパスカルの考察と関係があることはわかったが、よくわからない。
ニュートンの方の説明はそれよりは詳しそうであるが、まだその部分を読んでいない。
(注) ライブ二ッツの方が発表が早かったと書いたが、どうもよくはわからない。1671年に『流率法』を書き終えたと『グレイゼルの数学史』IIIにあるが、それが出版されたのかどうかはわからない。一方、ライブ二ッツの論文は1684年に出されている。
ニュートンの『曲線の求積法についての論文』は1671年の直後に書かれたとあるが、実際の出版は1704年だったとあるからである。ガウスも自分の研究結果をあまり公表しなかったということだが、ニュートンも若いときはともかくある年齢以降は論文を発表しなかったらしい。