deep leraningと武谷三段階論とがどういう関係にあるかということについて誰かがどこかでなんとかかんとか言っているという二番煎じの話ではない。
昨夜deep leraningをより詳しく知ろうと思って妻にタブレットで検索してもらって、その説明を読んで、以下は私が思ったことである。
「多くのデータ(または情報)からその特徴をとりだす」という作業をdeep learningではするが、そのときに先ず与えられるもののは多量のデータである。
これは武谷三段階論では現象論的段階である。もっとも生のデータだから、これは現象論的法則にまで止揚されているものではない。
そして、deep learningそのものでわかるものが本質的段階の認識だとすると途中の実体論的段階はないことになる(実体論的段階不要論)。
もっともdeep leraningでわかった本質段階的な法則と思われているものも実は実体論的な法則であるか、または本当は現象論的段階の法則だとも解釈される。
昨夜、読んだdeep learningの解説は一般の人々への解説であって、研究者のためのものではない。だが、多くのデータの底にある、ある種の現象論的法則性を導くのが、deep learningの役目だという風にもとれる。
そして、どういうパラメータでparametrizeして多くのデータとか現象の底に潜む法則を見つけるか。これがある意味でdeep learningというレンズを通してではあるが、わかるようになる。
人工知能研究の一環である、deep learningの場合を武谷三段階論的に考えたら、それはこういうことではないだろうか。
武谷三段階論的な視点はなかなか、この人工知能研究には取り入れにくいが、それでもなんとか取り入れて新しい進歩を与えられないものか。
こんなことを取り留めもなく考えている。