物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

ウガンダ、タンザニア、ブルキナファソ

2014-06-18 13:04:12 | 国際・政治

ウガンダ、タンザニア、ブルキナファソはすべてアフリカの国である。

ウガンダについては6月の雑談会で弁護士夫人のSUさんウガンダへの支援のことをはなしてもらうことになっている。

タンザニアは知り合いの弁護士さんの夫人YIさんが支援にかかわっていることを知っている。

それでいつかはYIさんにも話を伺いたいと思いながら、そのことをお願いしていない。

ブルキナファソは昨日の車中のFM放送の中でブルキナファソにJICAから派遣されて野球の普及に努めているという若い男性へのインタービュを聞いた。

アフリカの国といえば、部族同士の争いに明け暮れるという印象をもってしまうが、ブルキナファソは国民性が穏やかであるという。

もちろん、まだ貧乏な国であり、スポーツもまだ、だれでもできるというほどにはなっていないという。

だが、平和に暮らしてそれも勤勉な国民性もあるので、これから発展していくであろうとのことであった。

それにスポーツを通じてのコミュニケーションは言語を通じてのコミュニケーションでないだけ、強いところがあるとか。


原発事故避難

2014-06-18 12:37:47 | 社会・経済

新聞によるとどこの原発所在県も、原発の事故があったときの、避難計画を策定を急いでいるとか報道されている。

これは私がE大学を退職する数年前(2002-2003年ころ)のことであるが、そのころなぜだか、原発事故が起こったときにその避難計画を立てておくことが必要なのではないかと思い出した。

これは鹿児島大学に勤めていた知人の物理学者 K さんが火山灰がどういう風にどちらの方向に流れるかに関心をもって研究をしていることを知ったからであった。

それで同じようなことを愛媛県でも伊方の原発事故が起こったときに、そのときの風の向きと風速によってどこにどのように放射能物質が流れるかをシミュレーションしておけば、避難することも計画が立つのではないかと思った。

そんなことを考えていたとき、工学部の同僚教授で都市工学が専門の K さんに電車で一緒になったので、そのことをちょっと話したら、即座にそんな起こるかどうかわからないことは関心がないと言われた。

そのネガティブな意見にめげたわけでは決してないのだが、どうもそのことの関心が減ってきて、在職中にその研究をすることはなかった。

もっとも原発事故災害の避難のときには科学的または工学的研究も必要ではあろうが、社会的、経済的または政治的の研究も必要だろう。

だが、そういう広範な分野にわたるいわゆる学際的研究プロジェクトを世話する、オルガナイザーの素質は私にはない。

それに放射能汚染物質の拡散の方程式をコンピュータを使って解くことやそれを可視化する技術が私にはなかったから、それでKさんのマイナスの意見を聞かなくても実際に研究に取りかかることはなかっただろう。

だが、あれからほぼ10年を経過して見ると、やはりそういうシミュレーションをする必要があったと思う。

E大学でそういうことを考えた研究者が全くいなかったかどうかは知らないが、少なくともプロジェクト研究とかではそういう計画を提出された方はいなかった。

そのころ考えたことは国道が車で渋滞したら、八幡浜の港に自衛艦に来てもらって、住民を安全なところへ避難させるとかいうことを頭の中では考えた。

だが、介護施設や病院などに入院または入居している人の避難までには頭が行かなかった。現状を見てみるとこういった介護や病院の入院者をどう避難させるかについての計画というかシミュレーションが必要だったし、原発事故のときにどうするかの備えをする計画がなしでの原発再開はありえない。

こんな風に考えてくると原発のコストがいくらになるのかはなかなか予想がつかない。また、その結果として原発は安いという評価はまったく異なってくることは確かである。

これらは原発燃料の廃棄物をどこに何万年もモニタリングしながら、保管するかとかという根本的なことを棚上げしたとしてもの話である。


2014-06-18 12:05:42 | 日記・エッセイ・コラム

雨の季節である。

先刻も車で仕事場までやって来る途中でFMの放送を聞いていたら、雨に関する音楽を放送していた。

その中に雨と題する曲があったが、それはピアノ曲であったが、なんのことはない、童謡の「雨、雨ふれふれ、かあさんが・・・」という曲であった。もっとも歌はついていなかった。

「蛇の目でお迎えうれしいな」という歌詞が続くはずである。そういえば、蛇の目などという傘をトンと最近では見かけない。

コウモリ傘と言われた種類の傘の全盛である。温泉宿などでも蛇の目とか番傘は見かけないのではないだろうか。

もっとも子どもにとって蛇の目傘がうれしいのではなく、お母さんが迎えに来てくれるのがうれしいのであろう。そんなことにもこの年になるまで気がつかなかった。