物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

3つのミス

2014-06-06 13:23:00 | 外国語

先日、姪の結婚式に横浜に行った。前の晩に妻がカードを買って、新婚の二人にメッセージを書けという。

それでその場で私がつたない文章を綴ったのだが、その余白があいたので、お祝いのドイツ文を書いた。

Herzlich Glueckwuensh zum Heiraten !

ところが後で妻にスマホで調べてもらったら、いくつかのミスがあることがわかった。

第1にHerzlichではなく、Herzlich(en)となる。( )は修正個所の強調のためであり、その他の意味はない(注1)。

第2にzum Heiratenというような言い方はなく、zur Hochzeitとしなければならない(注2)。

第3にGlueckwuenschではなくて、Glueckwunschであった。ここでueはu ウムラウトという、uの上に点々がついた字母を表している。

そのu ウムラウトの字母がある場合にはそれを使うのだが、昔の英文タイプライターのようにその字母がなければ、ueで代えるというのが約束である。

昨夜、ドイツ語のクラスでこのことをR氏に尋ねたら、zum Heiratenという言い方は前置詞zuを使うときにはできないとのことである。

zuを使うときはある1時点のことに対する祝詞であり、長期間にわたってのことではないという。

もし、どうしてもある程度長期間にわたっての願望であれば、alles Gute fuers Lebenとか何かfuerを使うしかないという。

これはzuという前置詞のもつ制約であるのだが、私など50年以上にわたってドイツ語を学んできてもわからなかった。

この私の話を聞いて、R氏もそういう認識の違いというか、語感の違いがあると認識されたようであった。

いつか姪に会ったら、この私の重要なまちがいを許してくれるように言うつもりである。それとも手紙を書こうか。

(注1)これは文法的に言えば、Wir wunschen euch herzlichen Glueckwunsch zur Hochzeit ! の Wir wunschen euch を省略した言い方であり、普通には後ろの部分だけが使われる。

だから、herzlichenと対格(普通には4格という)が使われている。ところが私はこれをherzlichと副詞的に考えていたわけでお前は何年ドイツ語を学んでいるんだと言われても一言もない。

(注2)heiratenは普通には結婚するという動詞であるが、大文字でHeiratenとすれば、中性名詞になるので、zum Heiratenとした。die Hochzeitは結婚式の意味である。だからzu der Hochzeitだが、zu derは縮約されてzurとなる。ちなみにzumもzu demの縮約である。

私の意識としては結婚式もおめでたいが、その後の結婚生活が幸せであることがより大事だと思っている。

 


OCNブログの終了

2014-06-06 12:32:32 | デジタル・インターネット

このOCNのブログも11月30日をもって終了するらしい。

これはOCNのお知らせでの通知である。だから、他のブログに移転しなければ、11月30日でこのブログは終わってしまう。

毎日訪問者が100人程度のブログであるから、いつ消えても不思議ではないが、私の意志よりも先に会社がやる気を失ったらしい。

利潤が上がるかどうかがこういったサービスを続行できる条件であろうか。このブログは現在2586回を越したところであるので、今月中に2600回を越すであろう。

だが、私の事情ではなく、それより先にブログのサービスが終了となるとは思わなかった。もちろん後継のブログへの移動は勧めてくれるらしい。

こういうことだとホームページの方もサービスは終了になるのだろうか。そのあたりの事情はまだ知らないのだが。

日記を私はつけたことがないのだが、日記代わりにこのブログにできるだけ毎日何かを書いてきた。

日常生活の事情も書いたけれども、それがこのブログの主たるテーマでなかった。

できるだけその時々の自分の関心事とか考えたことを書いてきた。新しい視点となるようなものとか私が今まで生きている間に、知った興味ある知識とかそういうものに関心と敬意を払ってきた。

私は幸せな人生を送ってきたので、あまり家族に不満をもったりしたことがない。むしろ感謝したことの方が多い。

これは客観的に私が幸せだったというよりも、主観的に幸せだったということである。

だから、他人が見たら、不幸だったと思われるかもしれない。だが、主観的に言うと不幸だと思ったことはない。これは自分自身に関しても家族に関してもである。