物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

私の人生の10曲(3)

2014-06-20 13:09:52 | インポート

私の人生の10曲もすでに10曲をすぎてしまったが、その(3)を述べておこう。

シャンソンのAux Champs-Elyseesはテンポがよくていい。

Aux Champs-Elysees, Aux Champs-Elysees, ・・・

シャンゼリゼ―には欲しいものがなんでもある(il y a  tout ce que vous voulez aux Champs-Elysees) という。本当にそうかどうかはあやしいが、そんなことはどうでもいい。

それからムスタキのma solitudeであろう。ムスタキはギリシア生まれのフランス人であるが、ひげを生やしたchanteurであった。

je ne suis jamais seul avec ma soltiude.

私はもう孤独ではない、私の孤独と一緒なのだからと歌うレフレーンは心に沁みこむ。

そして最後はモーツアルトの魔笛(Zauber fl"ote)の中のパパゲーノの歌う曲であろう。

V"ogelf"anger bin ich ja, ganz heu ca (?)・・・

とかなんとかいうのだが、どうも記憶が怪しい。しかし、人生の最後に聞くのなら、やはりこのオペラ魔笛の曲であろう。


私の人生の10曲(2)

2014-06-20 12:41:19 | インポート

中学時代に流行って覚えた歌は春日八郎の「お富さん」である。

粋な黒塀、みこしの松にあだな姿の洗い髪・・・

とかいう曲であり、当時住んでいた I 市ではある電機店の店頭にテレビが据えつけられて、多くの人が野球の中継や相撲とかプロレスの放送を見ていたものであった。中学生のころの夜の塾帰りにナイターの中継を見かけたこともある。

高校のときの思い出の曲はやはりフランク永井の「有楽町で逢いましょう」であろう。高校3年のときの卒業記念の演奏会か何かで音楽好きの友人の何人かがこの歌をうたったり、ギターやマンドリンで演奏したことで印象深い。

あなたを待てば、雨が降る。濡れて来ぬかと気にかかる。ビルのほとりのティールーム、・・・

それから大学へと進んだが、大学の頃にもいくつかの歌は流行ったのだろうが、思い出せない。大学院のころに友人のI 君が歌っていて、覚えたのが、「もず」であった。

もずが枯れ木で鳴いている。おいらはわらを叩いてる。みんな去年とおなじだよ。けれども足んねーものがある。兄(あん)さの薪割る音がねぇ。ばっさり薪割る音がねぇ。・・・(これはだいぶん歌詞が落ちている。2021.3.1付記)

これは哀愁を帯びた歌であるが、反戦歌だと後で知った。

これに似たシャンソンで「サクランボの実るころ(Les temps de cerises)」というのがある。歌詞はもう思い出せないが、これ男女の恋歌のようだが、やはりある種の反戦歌なのだという。

それとは違うが、有名なのは「雪は降る(Tombe la neige)」であろう。

Tombe la neige. Tu ne viendara pas ce soir.・・・

雪は降る、あなたは来ない。・・・

という曲は歌う人が男性であれ、女性であれ心に真に迫る。

ということですでに10曲となった。番外ではあるが、実はここら辺から私の心情にあった曲をなお、いくつか「 私の人生の10曲」(3) で紹介する。


私の人生の10曲(1)

2014-06-20 12:03:47 | 日記・エッセイ・コラム

「私の人生の10曲」というNHKの番組があった。

それを居眠りしながら、聞いていて同じことを私自身にすることができるかと考えていた。

音楽にはあまり関心がないので、それができそうにない。10曲も曲をあげることができるかどうか。

その成否はわからないが、ちょっと試みてみよう。

3~4歳のころ、私は軍国少年ならぬ軍国幼児であったから、そのころの思い出は「愛国行進曲」である。

見よ、東海の空明けて、旭日高く輝けば、天地の世紀はつらつと、・・・

とかいう歌詞であった。もっともこれは歌を兄たちが小学校で教わって来て歌っていたのを聞いて覚えたものだから、本当は間違っているかもしれない。叔父が二人も職業軍人であったから、その当時は大きくなったら軍人になるのだと思っていた。

もっとも体力も身体的能力もない私はもし希望したとしても、軍人にはなれなかったろう。

つぎに、小学生になった後で、流行った歌は題は知らないが、

赤いリンゴに唇寄せて、黙って見ている青い空・・・

というリンゴの歌である。これは戦争が終わった後の開放感を表している。

そのつぎには父が買って来た、蓄音器(まさに蓄音器で、その後つかわれた、レコードプレヤーではない)について来た2枚のレコードの1枚だった「愛染かつら」である。これは戦前の映画の主題歌であったろうか。

ひょっとしたら、プレヤーについていたレコードではなく、前から家にあったレコードであったかもしれない。

そのころ、やはりレコードで「五木の子守歌」というのを聞いたのを覚えている。