9月の発行で岩波新書が3000点を突破するという。
インテリで岩波新書を1冊も読んだことがないなどという人はいないだろう。
かく申す私もそれほど岩波新書の愛読者ではないが、それでも100冊以上は読んでいるだろう。
最近ではあまり岩波新書を読むことは少なくなったが、それでもときどきは読む。
先日、亡くなった長兄の岩波新書を数百冊もらったので、新しい岩波新書を毎月読んでいるわけではないが、岩波新書もちになった。
岩波新書の新書らしいと思ったのは高校時代に図書館に会ったその青色の知的で生鮮な感じの書に魅せられたからである。
もっともそのころは多分1冊も読んではいない。わからなくなった高校の数学を自分で自習しながら、追いついていこうとしていたころであり、憧れを抱きつつも読む余裕などまったくなかった。
大学に入って、直ぐに購入した岩波新書は武谷三男の『物理学入門』上と遠山啓の『無限と連続』であった。
物理学科に入学したのだが、『物理学入門』の方は第1章と第2章を読んだくらいでその後の章は読まなかった。いまもよくは読んでいない。
一方、『無限と連続』のほうは2年生から3年生になる春休みにインフルエンザにかかり、2週間ほど寝床に伏せっていたときに読んだ。これは名著だと思う。
数学のことがよくわからなくても、それに対するあこがれを引き起こすという意味で。
遠山啓はその後『数学入門』上、下を著した。『数学入門』上は読んだ覚えがあるが、下巻の方は大学時代には読んでいないと思う。
大学を退職した後でようやく下巻を読んだ。そして自然対数の底の導入のしかたに感心して、それをより詳細に述べるエッセイまで書いた。
松田道雄の『私は赤ちゃん』『私は二歳』等は愛読書であった。その他の松田の書もほとんどすべて読んだ。自由でかつちょっぴりマルクス主義的でもありながら、教条主義的でないところがいい。
小田実の書も好きだった。小田実はその著作『何でも見てやろう』がベストセラーとして売れた作家だったが、私の読んだのは彼のいわゆる評論であり、小説は1冊も読んだことがない。しかし、彼の思想が好きなのである。
鶴見俊輔『北米体験再考』ははじめの序章と最終章は読めたが、その第一章が読み通せなくて沈没してしまった。
その後、後ろの方から1章づつ前にもどってくるという読み方で、読んでなんとか読後感想を書いたのはこの書が出てから約20年近く経っていた。
たぶん、1章が一番長く、発行時には何がなんだかわからなくて、読み通せなかったのだ。
という具合でなかなかいい読者ではないが、若いときに抱いた岩波新書に対する憧れは今も持ち続けている。