物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

誕生日は?

2014-09-01 13:14:59 | 日記・エッセイ・コラム

岩波のPR誌『図書』9月号で池澤夏樹さんが書いている。

「誕生日は、年に一度、すべての人に平等に巡ってくる」

と。これは真か。この命題は真ではない。偽である。

頭のいい人なら、ははあ、うるう年の2月29日に生まれた人のことを言っているのだなと思うであろう。

閏年の2月29日生まれの人は自分の誕生日は4年に1回しか回ってこない。

最近ではそういうことのないようにと産院では2月29日に子ども産まないようにすることもできるだろうが、実際にはどうしているのだろうか。

別に誕生日が4年に1回しか回ってこないからといって、4年に1歳年をとるわけではないが、正確な意味で誕生日は4年に1回しか回って来ないことは確かである。

もっとも2月29日の生まれだと言っても誕生日の祝いを3月1日にしてもいい。

また、こういう運命にある人の数は例えば日本でどれくらいいるのだろうか。これは一種のFermi問題と考えることもできる。


岩波新書3000点突破

2014-09-01 12:48:03 | 本と雑誌

9月の発行で岩波新書が3000点を突破するという。

インテリで岩波新書を1冊も読んだことがないなどという人はいないだろう。

かく申す私もそれほど岩波新書の愛読者ではないが、それでも100冊以上は読んでいるだろう。

最近ではあまり岩波新書を読むことは少なくなったが、それでもときどきは読む。

先日、亡くなった長兄の岩波新書を数百冊もらったので、新しい岩波新書を毎月読んでいるわけではないが、岩波新書もちになった。

岩波新書の新書らしいと思ったのは高校時代に図書館に会ったその青色の知的で生鮮な感じの書に魅せられたからである。

もっともそのころは多分1冊も読んではいない。わからなくなった高校の数学を自分で自習しながら、追いついていこうとしていたころであり、憧れを抱きつつも読む余裕などまったくなかった。

大学に入って、直ぐに購入した岩波新書は武谷三男の『物理学入門』上と遠山啓の『無限と連続』であった。

物理学科に入学したのだが、『物理学入門』の方は第1章と第2章を読んだくらいでその後の章は読まなかった。いまもよくは読んでいない。

一方、『無限と連続』のほうは2年生から3年生になる春休みにインフルエンザにかかり、2週間ほど寝床に伏せっていたときに読んだ。これは名著だと思う。

数学のことがよくわからなくても、それに対するあこがれを引き起こすという意味で。

遠山啓はその後『数学入門』上、下を著した。『数学入門』上は読んだ覚えがあるが、下巻の方は大学時代には読んでいないと思う。

大学を退職した後でようやく下巻を読んだ。そして自然対数の底の導入のしかたに感心して、それをより詳細に述べるエッセイまで書いた。

松田道雄の『私は赤ちゃん』『私は二歳』等は愛読書であった。その他の松田の書もほとんどすべて読んだ。自由でかつちょっぴりマルクス主義的でもありながら、教条主義的でないところがいい。

小田実の書も好きだった。小田実はその著作『何でも見てやろう』がベストセラーとして売れた作家だったが、私の読んだのは彼のいわゆる評論であり、小説は1冊も読んだことがない。しかし、彼の思想が好きなのである。

鶴見俊輔『北米体験再考』ははじめの序章と最終章は読めたが、その第一章が読み通せなくて沈没してしまった。

その後、後ろの方から1章づつ前にもどってくるという読み方で、読んでなんとか読後感想を書いたのはこの書が出てから約20年近く経っていた。

たぶん、1章が一番長く、発行時には何がなんだかわからなくて、読み通せなかったのだ。

という具合でなかなかいい読者ではないが、若いときに抱いた岩波新書に対する憧れは今も持ち続けている。