昨夜、NHKのEテレの「日本戦後サブカルチュア―史」を見ていたら、鶴見済(わたる)の『完全自殺マニュアル』という書が90年代に出版されたということを知った。
この書は自殺のしかたをいろいろ挙げて事細かにその優劣を論じているらしい。しかし、別に鶴見は世の中の人に自殺を勧めているわけでもなさそうである。
ともかくいろいろな自殺のしかたの利害得失を述べたものであり、結局はそのような自殺をしないような人生を送ることを願った書らしい。
それで思ったのが、私のやって来たこととか、まだこれからやろうとしていることは数学版の『完全自殺マニュアル』の作成ではないかということであった。
意味していることは数学版の自殺のしかたを書くということではない。そんなものはありはしないけれども。
意図していることは数学(高校程度または大学初級程度)のある小さな事実をどのように理解するかについて、いろいろな考え方を集めたものである。まるで子どもが昆虫の新しい種を見つけることを楽しむかのように。
有名な「ピタゴラスの定理」はその証明法が1000くらいあるとかで、そのような本も出ている。そういういったことをピタゴラスの定理ほど有名ではない、小さな数学の定理とか事実とかについて調べてそれを集めて書き留めておくことである。
ある場合には全くオリジナルではないけれども、自分で新しい方法を提案することも含まれる。
『完全自殺マニュアル』という本の存在を知って私が思ったのはこのようなことであった。