物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

毎日書くのは辛い

2014-12-25 13:13:09 | 日記
好きでブログを書いているのだから、書くことなど無限にあると思われるだろうが、なかなかそういうことはない。

これでも話題を一生懸命探しているのである。その割には話題がおもしろくないと言われればそうだが、毎日の書くテーマに困っているというのが実情である。

人の悪口をできるだけ書かないとか一応決めている。第一、人の悪口をいうほど人とのつきあいが私にはない。それでも偉い人ならときどきは批判的なことを書いてもまあ許されるだろう。

昔、愛媛新聞社の四季録というコラムを半年ほど担当して書いていた人から聞いた話でははじめは話題に事欠かなかったが、終わりごろには話題探しが大変だったとかいう。

それでも途中で降板した執筆者はあまり聞いたことがないから、やはり執筆者はそれなりの文章家でもあるのであろう。文章家とは単に名文を綴ることができる人ということだけではなく、話題が豊富であるということも不可欠の条件であろう。




ドアはどちらに開く?

2014-12-25 12:20:18 | 日記
ドアは日本では外向きに開くことが多い。これは屋内のスペースが狭くてドアを内側に開くとき、屋内に物を置いていたりして開けられないことがあるからであろう。

だが、外側に開くと外側に誰かがいるかもしれないので、そういう場合には危害が人に及ぶかもしれない。そういうこともあって外国では内向きに開くようになっている。

はじめて外国に出かけたときに、運賃が安いということでアエロフロートというソ連の国営の飛行機に乗った。トイレに立ったときに、ドアが開かないので困っていたら、通りかかった搭乗員がプッシュ(push)と言ってくれたので押せばよかったということがわかった。

そのように慣れないと戸惑うものである。これはドアは引くものだという先入観がいけないのであろう。いやそういうことは意識していなかったのだが。

ときどきそういう順序について思うことがある。ラジオ体操をしていて、首を横にひねるときや横に曲げるときに左と右とどちらからはじめているのだろうとかつまらないことが気になる。この場合には左から始まっているが、そういう何でもないことが気になるというほどでもないが、気になる。

人が左遷されるというと閑職に追いやられるようであるので、右の方が優位なような気もするのに、体操の首をひねったり体を回したりするときには、左からで右からはじめることはないような気がする。これには理由があるのであろうか。

私が左と右との区別がつかないというのは言い過ぎかもしれないが、どうもあやふやなことが多い。自分が車を運転しているときには間違わないが、妻が車を運転しているときなどに「右に曲がれ」とか言ったら、妻は心得たもので、「左に曲がるのでしょ」とか言われてその通りなので、ギャフンとなることがしばしばである。

言葉としての右という語が私には言いやすいのであろうか。これが外国語になるとドイツ語のrechts(右に)とかlinks(左に)とか言うときは間違えないように思う。もっともフランス語ではtout droitというと「まっすぐ」であるので、右にではないところが要注意であろう。'a droite(右に)とか'a gauche(左に)とかはあまり言ったことがないので間違えるかもしれない。

一般にフランスは左翼gaucheが尊敬されている風潮があるので、ゴリゴリの保守でも左翼を名乗ったりすることもあるとか聞いたような気がする。本当はどうなのだろう。

交通信号の赤が右側にあるのも運転者に見やすいということでできるだけ危険を避けたいという交通標識設置者の配慮がされているのであろうか。