物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

自死

2014-12-19 14:37:14 | 日記
最近では日本語の「自殺」という言葉の響きがよくないということから、「自死」という言葉が使われることが多くなった。

殺すという語は自分に対するものではあってもあまり感じがよくないということであろうか。戦争は人を殺す闘いである。どういう理由があるにしても戦争で人を殺さないということはほとんどなかろう。

ところで、キリスト教のカトリックでは自殺も罪なら、離婚も認められていないと聞く。どちらも罪なんかどうかは私のような不信心のものにはわからないが、離婚して不幸のいくばくかが減るのなら、離婚も認めてもいいと思う。

実際に普通の社会では法的には離婚を認めない社会は少ない。いや別に離婚を奨励しているわけではない。お互いに不幸であるよりは離婚の方が望ましいのではないかと思っているだけである。

最近では離婚に伴ういろいろの負荷が大きいので、男女がお互いに結婚という形式にヨーロッパ等では踏み切らないという割合が多くなっているという。フランスではpacsという制度である。この言葉を仏和辞典で引いてみたが、載っていなかった。

自殺に話を戻すが、ドイツ語ではSelbstmordという。フランス語ではどうだったろうか。英語ではsuicideであろう。ドイツ語では殺すという動詞は普通はt"otenという語があると思うが、umbringenという語も使う。totは死んだという形容詞であるが、ich bin tot.と言っても自分が死んだと言う死人はいないので、「疲れ切っている」という意味である。これはドイツ語のクラスのR氏がときどきもらすことばである。

1976年の秋にMao Tsue-tung ist tot(毛沢東が死去しました)というニュースをドイツの自宅の居間の白黒テレビで見たことを鮮明に思い出す。それは後で知ったことだが、文化大革命の終りをも意味してもいた。