いや、日本語のことではない。いや日本語でもそうではあろうが、いまは日本語のことは話すつもリはない。
昨夜もNHKのEテレでの「旅するためのドイツ語」でハンブルクの男性がいろいろ話しているのだが、なかなか聞きとれなくなっている。
いや、もともとこれくらいのドイツ語の聞く力だったのかもしれないのだが。
毎週、オンラインで木曜日の晩にあるドイツ語のクラスでもちょっとそういうところがある。もっとも、こちらも大体そういうくらいのドイツ語の聞く力しかなかったのかもしれない。
昨年だったかに92歳で亡くなった医師の方で旧制の高校でドイツ語をみっちり鍛えられた方だったが、今の私と同じくらいの年齢の時に私たちのドイツ語のクラスに数年出席されていた。
はじめはあまりイラつくという感じではなかったが、2年目かにはドイツ語を聞き取れないので、イライラされた様子が見られたことがあった。
そのときにときどき短くだが、日本語で話の内容を説明してあげるとほっとされた様子がみられた。私もそういう年齢にさしかかって来ている。
それから、1年ほどはその方はクラスに出席されていたが、3年経った段階でクラスを辞められた。「まあ、3年頑張ったのだからいいだろう」とご自分で言われていたのを覚えている。
それくらい若いときにドイツ語を鍛えられた方でも年をとると聞くのが難しくなってくる。その方は補聴器を使われていたが、物理的にうまく聞き取れたかどうかはわからない。
もっとも若いときに私などとは違ってドイツ語については鍛えられた方だろうが、これは文字を通じて文章を読むということを通じてであって、音声としてではない。
最近はテレビでもラジオでも外国語はまずは音声だという感じが教える先生方にも強いが、昔は文字を読んで理解するという傾向が強かったから、なかなか基本的に音声で行われる、クラスにはついていけないのかもしれない。
私たちが師事している、R氏とは彼が日本にやってきたときからのつきあいだが、私は彼のドイツ語をたくさん聞いているほうだが、それだって限られた時間にしかすぎない。
一つの外国語が聞き取れるようになるのは最低2,000時間の時間が必要だとか言われる。英語だって続けて2,000時間以上を聞き続けているのか私自身は疑わしい。それだからかどうか、いつまでたっても映画やテレビの英語は字幕なしではわからない。
もっとも英語圏には留学したことはないので、しかたがないのかもしれない。
フランス語のニュースが14時前にNHKのラジオで最近流されているが、ところどころ単語がわかる程度でしかない。これが趣味でフランス語やドイツ語を学んでいる者の限界であろうか。
だからと言っていまさら、落胆するでもないから、下手の横好きでも、好きなものは好きなのである。