これは「力学の道草」という続きのエッセイの一つである。
アイザック・ニュートン (1642-1727)
ニュートンはガリレオ・ガリレイが亡くなった年に生まれた。ニュートンは数学においては微積分学をつくり、物理学においては古典力学の体系を完成した天才である。もっとも微積分学はニュートンが力学をつくるのに必要として考案したのだから、無限小を取り扱う数学である微分積分学は力学の付属品と考えるべきかもしれない。最近では力学との関係において微積分を教えようとする試みもされているが、現状はむしろ力学との関連を考えずに教えられているのが実態であろう。
ニュートンの伝記を読むと先駆者としてのデカルトの業績が大きく彼に影響を与えているように思われる。特に微積分学についてはデカルトの「座標幾何学」の影響はとても大きいのではないだろうか。力学の面から見るとすでにガリレオ・ガリレイだとかケプラーだとかの先駆者がいたし、その成果を受け継ぐといった面が彼には多分にある。ニュートンの、力学への進展への本質的な寄与は「加速度は力に比例する」ことをはっきりと認識したことにある。
晩年になって「私は仮説をつくらない」といったとか「自分は海辺できれいな貝殻を拾って喜んでいる子供のようだ」といった謙虚に思えるような言動のみが巷間に伝えられているが、どうしてどうしてそんな一筋縄で捉えられるような人物ではない。
普通の金属を金に変える錬金術の研究に没頭し、また神学に凝って聖書に出てくる事実がいつの年代であるかという研究を何十年もするなど性格的にも奇妙な側面をもっている。ちなみに言うといつかドイツで会ったオランダ人の若い神学者に初対面のとき「神学ってなんですか」と尋ねたら「神の歴史を研究することです」と答えてもらった。私の「神学」についての知識はそれ以上をいまだに越えていない。
ニュートンは現代風に言えば造幣局の長官にあたる職を長年にわたって務めているし、万有引力(最近では重力という)の発見とか微積分学の発明とかにおけるプライオリティを強固に主張するなどと世俗的な名誉欲もけっこう強い人である。
ニュートンといえばまず力学とか微分積分学とかを考えるが、光学をずいぶん長年にわたって研究し、太陽光はいろいろな色の光が混ざっていることを発見したのはニュートンであることは意外に知られていない。また、ニュートン-コーツ公式という数値積分法、ニュートン-ラフソン法といった高次方程式の解を求める方法やニュートンの冷却の法則といったところにもニュートンは名前を残している。(1995.3.16)
(2023.2.16付記)
このニュートンの記述でもって科学者のエッセイを書くことを終わる。昨日も書いたかもしれないが、他にも科学者の短い伝記めいたものを数編書いているが、このブログに掲載するには長すぎるということで、このニュートンで科学者の伝記めいたエッセイを終わりにする。科学に関心のない方にはちんぷんかんぷんであったかもしれない。その点はご寛恕をお願いしたい。