フレデリックとイレーヌ・ジョリオー・キュリーの簡単な評伝についてはセグレ『X線からクォークまで』(みすず書房)のpp. 327-343を読んでほしい。また、フェデリックについては参考文献の『ジョリオ・キュリーの遺稿集』(法政大学出版局)を参照して下さい。イレーヌは言わずと知られた有名なキュリー夫人の長女であり、体つきも性格も母親そっくりであったという。血筋とその母親からの教育によって母親と同じ放射線科学の研究に入った。
一方、フレデリックは物理学者ランジュバンの学生であったが、その並外れた技術的な才能を買われてキュリー夫人の助手として推薦された。彼は陽気で活発な上に気持も優しくまた想像力に富んだ人物であった。
彼らは後にチャドウィックが中性子を発見するきっかけとなる現象を発見した。また1938年の核分裂反応の発見にもきわめて近いところにいたが、この発見も逃している。しかし、1934年には人工放射能をもった物質を創成することに成功して1935年にノーベル化学賞を夫妻で受賞した。
フレデリック等はハーンの核分裂反応の発見後、すぐにその追試に成功し、またその核分裂の際に2個以上の中性子が放出されることを発表した。すなわち、原子核からエネルギーが取り出せることを示し、このことを機密にしておこうと思っていたシラードたちを大いに慌てさせたのであった。
シラードはアインシュタインにルーズベルト大統領に原爆を提言させたことで知られている、ハンガリー出身の物理学者である。