物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

マリア・ゲッペルト=マイヤー

2023-02-01 13:48:49 | 物理学

これは雑誌『燧』という雑誌に「ドイツ語圏世界の科学者」というタイトルで掲載したものの(17)である。

 

(17) マリア・ゲッペルト=マイヤー (Maria Goeppert=Mayer 1906-1972)

 今月はマリア・ゲッペルト=マイヤーをとりあげよう。大学で物理学を学んだ人なら、Mayer and Mayerという名で呼ばれている統計力学の古いテクストがあるのを知っているにちがいない(Maria et Mariaというタイトルのフランス映画が昔あったが、それに語呂がよく似ている)。

 実は今月紹介するマイヤーはその本の著者の一人マリア・ゲッペルト=マイヤーである。Mayer and Mayerのもう一人のマイヤーはマリアの夫で化学者のジョー・マイヤーで彼は統計力学の大家である。現在ではこの本の第2版が出版されていて、その序文にはジョーが「妻マリアの死後、自分がこの本の改訂にあたったが、この改訂はたぶんマリアが生きていたら、行ったであろう改訂になっているはずである」と述べている。

 マリアの父はゲッティンゲン大学医学部小児科教授で、代々続いた大学教授の6代目であったという。マリアはゲッティンゲンではじめ数学を学んだ後、ボルンの影響で物理学を専攻するようになった。彼女が入学したのは1924年だそうだから、ちょうど量子力学の誕生と発展を目の当たりにすることができた年代である。

 その当時のゲッティンゲンはまさにその黄金時代で物理学ではフランクとボルン、数学ではクラインとヒルベルトといった教授たちに加えて、パウリ、ハイゼンベルク、フェルミ、ヨルダン、オッペンハイマー等の世界の多くの優秀な学生たちがここに学んでいた。マリアの夫となるジョーもそのような学生の一人で、カリフォルニア大学バークレイ校を卒業してゲッティンゲンにやってきて、マリアの家に下宿するようになり、彼女と知り合い、1930年に結婚する。

 マリアは1930年以来、夫と共にアメリカに住んだが、同じ大学で夫と妻の両方を雇用してはならないというアメリカの多くの大学が持つ規則のために有給の職についたのはかなり後年になってからであった。また物理学教授となったのは1960年彼女が54歳のときで、その3年後の1963年に「原子核の殻模型の研究」で彼女はドイツのHeidelberg大学のイェンゼンとノーベル物理学賞を共同受賞した。

 私たちが高校の化学で学ぶように原子がK, L, M, N殻といったような殻構造を形成していることはよく知られているが、これと同様な殻構造が原子核にも見られることを実証したのがマリアの「原子核の殻理論」であった。それによると、原子核中の陽子または中性子の数の和がマジック・ナンバーといわれる2, 8, 20, 28, 50, 82, 126のときに特に原子核が安定であることを理論的に示すことができる。

 この殻理論のアイディアをマリアがフェルミに話したとき、彼は即座に「LS結合の証拠(evidence)はありませんか」と尋ねたという。そして、その点が殻理論にとってキー・ポイントとなった。彼女はこのことを率直にノーベル受賞講演で語っているという。

 競争相手のイェンゼン博士との共同研究とかノーベル賞受賞に対する冷静な態度を彼女の伝記で私たちが読むとき、古き良き時代の科学者の典型をここに見る思いがする。『ノーベル賞を獲った男』のカルロ・ルビアとか、『二重らせん』のワトソンのような科学上の発見に対するプライオリティへの執着とは別の世界がここにはある。

(1990.2.6)

(2023.2.1付記)1989年とか1990年とかは今から見ても激動の時代であったと思う。最近アメリカの原子科学者が世界の終わりまで90秒だという終末時計の現在の時刻を示した。これはいままでで最短の世界の終末の残り時間を表わしており、良識ある原子科学者の焦燥をも現わしている。

ゴルバチョフとレーガンの政治的な合意によってアメリカの原子科学者の判断では、世界の終末までの時間は一度17分前まで巻き戻されたが、昨年と一昨年の100秒に続いて世界の終末までの時間が現在最短の90秒となっている。

多くの世界の良識のある人々はロシアのウクライナ侵攻まで含めた現在の事態に心を痛めているのだが、世の中の一部の政治家にはこの危機感が分っていないかの如くである。この一部の政治家には日本の現在の政権にある政治家も含めるのは当然であろう。