シラードSzilardについては参考文献『シラードの証言』(みすず書房)を参照して下さい。またローズの『原子爆弾の誕生』はシラードに焦点を当てて描かれているので、大なり小なりシラードの人物像に迫れるかもしれない。とても機知にとんだ逆説的な思考な思考のできる発想の豊かな独自の気風と見解をもつ科学者の一人であった。
伏見康治は『シラードの証言』のあとがきの中でつぎのように述べている。
『シラードは第一流の学者、たとえば、ハイゼンベルクHeisenberg、と並べては気の毒な科学者である。しかし、いささかの才気があり、新しいアイディアを出すことを人生の最高の目標としている。同じ質のことを繰り返してそれを組織化し、体系化するというようなことは、あまり価値を認めない男である。
その男がたまたま原子核反応が、化学反応と同じように、エネルギーの生産やその他のことに使えるはずだというアイディアにとりつかれていた。そして、そこへ、ハーンとマイトナーのウラン核分裂の発見がとびこんできた。
シラードはナチスドイツから追い出されて、流浪の末にアメリカに来て、そのドイツが原爆を先に創り上げて世界征服に乗り出すのではないかとう政治的なアイディアにとりつかれた。その結果が、アインシュタインを説いて、アメリカに原爆計画のイ二シアティブをとらせることになった。・・・
ナチスドイツが壊滅して、シラードとしては用のなくなった原爆をアメリカに使わせまいとして、再度黒幕として政治の水面下で働いたが、今度はうまくいかなかった。彼は「原爆をつくらせようとして成功し、使わせまいとして失敗した男」なのだが、その失敗にもかかわらず、アイディアの創出こそ人生の価値だとする彼の信念は揺るがなかったようである』
(2023.2.22付記)
人柄が似ていたかどうかはわからないが、こういうところは日本人科学者の武谷三男と似ているような気がする。武谷は教科書的な体系化を嫌ったような気がするからである。体質的には私にこういう気概はない。教科書的な体系化大いに結構ではないかという考えだからである。そういう私が武谷三男の研究者の一人というのはちょっとした歴史の皮肉かもしれない。