これは科学技術に限ったことではないが、問題の解決に至るまでには大きくいって3つの段階がある。
第一は問題を設定して方程式を立てるという段階である。これが本当は一番難しい。現実の現象は複雑多岐にわたっているので、それを単純化して方程式にまとめる。これが第一にするべきことである。
第二にその方程式を解くことである。方程式を解くというと2次方程式の解の公式で解を求めるというような響きがあるが、方程式によって解を求める手法はいろいろであって、ここもかなり面倒である。それに多大の時間がかかることも決して珍しくない。だが、大学院で学んだことはこの部分はあまり評価がされないということであった。
いや評価はされているのだろうが、計算手法が新しく開発されたというのでなければ、前面にその苦労を取り出して述べるということはしない。計算自身が面倒であるということは誰でも知っているにもかかわらず。それはできて当然という感じがある。
それで、なんとか解が求まったとしよう。その解をどう解釈するのかということがまだ残っている。この第三段階は第一段階の方程式を立てるところと同じくらいの比重があって、これはきわめて重要視される。
私の長男がある計算をしてその結果について共同研究者のY先生にこんな結果が出たのですが、どうしてかわからないと言ったところ、それはこういう原因でこういう結果になったのだろうと言われたといっていた。共同研究者のY先生は数学がわかっておられるわけではないのだろうが、経済を実感としてつかんでおられて数学的な方程式を解いて得られた結果を解釈できるという優れた方だったらしい。
それで思い出すのは物理学者のボーアのことである。彼は方程式を解くのではなく、直観的に推測をして物理の研究を進めていたらしい。もちろん、そのときの直観のもとには多くの経験とか考察があったと思われる。もちろん、ボーア先生も間違えたこともあったし、変なことを主張したこともあった。しかし、量子論における彼の直観が大きく量子力学の創設に貢献したことは間違いがない。
そういえば、ファインマンの本に引用されている言葉にディラックの「方程式を解かないで理解するときにのみ、その方程式を理解する」とかいうのがあった。いくつもの優れた方程式を立てたり、独創的なアイディアで知られる物理学者ディラックならではの言葉かと思われる。