物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

武谷の書籍・文献の入手

2012-04-13 12:47:54 | 学問

物理学者・武谷三男に関する書籍や文献をここ数年集めている。

また彼の論文リストと著作目録を作成しており、現在いずれも第3版を「素粒子論研究電子版」に載せている。これが最新版ではあるが、どうも著作目録は改訂が必要であり、第4版を用意していた。

それで、少し改訂した原稿をつくっていたのだが、インターネット「日本の古本屋」を先日見たら、彼の談話のある資料が出ているのを見つけた。それで早速注文したのが、昨日届いた。

いつももう私の眼につかない武谷の文献はもうないだろうと思って自信満々なのであるが、その気持ちはいつも裏切られる。これは法政平和大学マラソン講座「天皇問題を考える」(オリジン出版センター)である。

なかなか国会図書館のOPAC目録にもディジタル資料にも出てこなかった文献である。人間のすることには完全はありえないということをまた思い知らされた。

武谷の書籍とか寄稿のある書を網羅的に集めるということをしているのだが、さすがに財政的にそれを完全に行うことは個人としては不可能である。それでも乏しいポケットマネーでできることをしている。

この私の試みができたからといって、世の中が根底から変るなどということはまったく期待できないし、単に自己満足にしかすぎない。

だが、誰かそういうことをする人がいてもいいのではないか。そんな気持ちからである。だが、これは私の妻や子どものような家族から考えたら、実は集めた蔵書の処分を考えたときにはとても迷惑なことである。

私の死後は愛媛県立図書館に寄贈するようにと日頃から言っているが、そこに受け入れてもらえるものかどうかわからない。

ああ、どうするか。困ったことである。

(付記) 私の武谷三男著作目録(第3版)によれば、222冊の書籍が所載されている。そして第4版ではそれに数点の追加がされる予定である。また、この著作目録に載っている書籍の大部分を所蔵している。

しかし、いままでどうしても入手できないものが何冊かあるが、それとても20冊以下であろう。ひょっとすると10冊以下かもしれない。

10冊も集められないものがあると聞けば、それではそんな蔵書は到底頼りにはならないと思われることだろうが、人間一人のやれることはまあこんなものである。

(2013.12.4付記) ちょっと調べてみないと自分でもわからないが、多分素粒子論研究電子版に「武谷三男著作目録」(第4版)を掲載している。

最新版を知りたい方はそれをご覧ください。この第4版によれば231冊の著書とか寄稿記事のある書がリストされている。

中国語に訳された書があるらしいが、それを知ることはまだできてはいない。なかなか完全を目指すことは難しい。


元同僚からの便り

2012-04-13 12:02:14 | 日記・エッセイ・コラム

E大学に勤めていたときの同僚が松山の施設から東京の施設に移ったとの便りをもらった。彼は英語のとてもよくできる方で何回か論文の英語をみてもらったことがあった。

あるとき、脳の障害で半身不随となり、それでも大学に数年間なんとか勤めていたが、年金をもらえるだけの年数だけやっと勤めたということでとうとう途中で大学を辞められた方である。

施設に入っていたが、彼の介護をなさっていた夫人も先年亡くなってしまい、一人で松山の施設に入っておられたが、東京に住んで居られる子どもさんの近くの施設に今年始めに移られたというご挨拶のはがきを頂いた。

彼にはずいぶん親しくしていただいたのだが、それでもあまり彼を訪問するということができず、申し訳がなかった。

それでも、子どもさんの近くに移られてほっとされていることだろう。彼の子どもさんたちはいずれも優秀な方々であって、彼を十分に助けてくれていると思う。

この便りにメールアドレスがついているので、彼に届くのかメールを一度出してみよう。


また選挙か

2012-04-12 12:02:13 | 日記・エッセイ・コラム

無料塾の事務局をやっている方に出した問いへの反応がないので、妻に愚痴をこぼしたら、選挙の準備にかかっていて、忙しいのではないかと言われた。「へぇっ」と思ったのだが、どうも6月にでも衆議院選挙があるつもりで準備を政党各党がされているらしい。

そういえば、J党のS候補者のポスターが街角に張り出されていたり、K党の代表の写真付きのポスターが街角に張り出されている。前回の衆議院選挙は任期ぎりぎりであったが、それでもポスターはかなり前から張り出されていた。

それで連想して思い出したことがあったのは、湯川秀樹著作集(岩波書店)の月報にN教授(私もちょっとだけ大学院で彼の講義を聞いたことがある)が太平洋戦争末期に電車で湯川教授と一緒になったときに「もうすぐ戦争が終わるね」と言われたと書いていた。そしてその理由として会社の株価が上がったからその理由を書かれていた。

湯川教授がそういうときにそういう判断をされていたというのはさすがだと思わされた。そのころN教授は湯川研の助手か大学院生だったと思われるが、そういうことを覚えておられたのは多分その考え方に彼なりに感心をしたからであろう。

冒頭の選挙の話に帰ると私などにはそんな心配をすることへの違和感である。国会では決めるべきことがまったく決まらないでものごとが先送りされていく。それにみんなうんざりしている。だのに、つぎの選挙の準備にもう勢を出している。そんなことではしょうがないではないかと思わざるを得ない。

しかし、そうはいっても各政党共にいかに多数をとって、自分たちの主張を通すかというのが眼目であるから、選挙をなおざりにはできない。というのが彼らが言い訳であろう。


ライフログ

2012-04-11 11:06:44 | 日記・エッセイ・コラム

先日、NHKのクローズアップ現代でライフログというのが流行っているという現象を取り上げていた。ほとんど時々刻々の自分の生活の記録をとる人が増えているという。「なんとせわしいことよ」と思う私は古代人であろうか。

そういえば、40年以上昔に知り合った、化学者のある先生は日記をつけるのを日課としていて、いつも日記帳を携帯しており、彼が当時滞在していた、イギリスのバーミンガムから彼の家族と共に当時私たちの住んでいたマインツにやって来たときに愛用の日記帳を携えていた。

とはいっても彼は別にイギリス人ではなく、日本人でそれも私の勤めていた大学の学部は違うが、先生であった。そして彼からゲッチンゲンを訪れたという話を聞いた。それはそこが量子力学発祥の地であるからということであった。そこで、彼は核分裂反応の発見者のオットー・ハーンの墓を訪れたと話してくれた。

それまで私は大学工学部で8年近く量子力学を教えていたが、在独中にゲッチンゲンに行ってみようという気はあまりなかった。それがこのK先生の話を聞いて一度はそこを訪ねたいと思った。

その後、今度は逆に8月の終わりに一家でバーミンガムの彼の家を訪問したが、そのときはまだゲッチンゲンには行っていなかった。

ゲッチンゲンが私に親しくなかったわけではない。学生のころにロベルト・ユンクの「千の太陽よりも明るく」の翻訳が出版されて、それをはじめ妹が大学の図書館から借りて来たのだったか、それを読んで自分でもその翻訳本を手に入れて読んだ。これは本当に心躍る物語であった。いまでもこの本の翻訳を文庫で読むことができる。

ユンクはジャーナリストであり、小説家でないが、多分この書が彼の最高傑作であろう。原子爆弾へと到る原子物理学の発展の人間ドラマをまた、その地ゲッチンゲンを生き生きと描いていた。

私たちが実際にゲッチンゲンを訪れたのは1976年12月のクリスマスの後の雪の季節であった。そしてそのときの記念として市の中心街で買ったゲッチンゲンの市街図は鮮明だったそのオレンジの色はあせてしまっているが、私の仕事場に架かっている。


桜の木を切る

2012-04-10 13:59:58 | 日記・エッセイ・コラム

桜が満開なのにその桜の木をチェンソーで切るという罰当たりなことを午前中にしてきた。

松山市来住町の愛媛医療生協病院の新築工事のために、いまほぼ満開の桜を数日中に始末してしまうというので、その桜の木から腰掛やこけし人形を作ろうという妻のアイディアから出たことである。

医療生協の活動仲間のKさんの夫君がチェンソー持参で駆けつけてくれた。チェンソーはすごい威力で瞬く間に数本の桜の木を切って、その幹から腰掛になりそうな素材を切り出してくれた。そしてその謝礼としては一食数百円の弁当が出ただけである。

私はその切り出された木の枝とか幹の一部とかを車で運ぶための要員として狩り出された。もし、桜に思いがあったとしたら、私たちはまことに罰当たりな行為をしたことになる。

E大学に勤めていたころ大学工学部の建物の建築のために何十年もかけて大きくなった木を切るというので、それをどこかに移植できないのかと尋ねたら、費用がかかって駄目だと即座に事務長にいわれた。

木が大きくなるのは何十年もかかるが、それを切り倒すのは簡単にできてしまう。

それも経費の観点からどこかに移植するなどということは一般にできない。そういうことを知っているので、感慨などはなくなってはいるが、そんなことでいいのだろうかと思ってしまう。

これは原発をつくるということとは自ずから異なっているべきであろう。原発はつくるのに一年くらいはかかるかもしれないが、それにしても数十年もはかからない。

もちろん建設してそれを使い続けることを考えると30年くらいは使いたいというのはつくった電力会社としては人情というものであろうが、しかし、それが原発事故等によって人間の生存を困難にするというのであれば、やめたいと思う人が出てきてもしかたがない。

それは木が何十年もかかって育つのとはまったく違う話であろう。確かに原子炉をつくってそれを動力として使うというアイディアはすばらしいものである。

原子力工学の初歩を大学の講義で教えなくてはならないという事態になってはじめて、フェルミの原子炉の理論を学んだときにはその考えに感心をした。

だからといって、原発が良いとはいえないと以前から思っているが、いま判断の難しい時期を迎えている。


花見は今年もなし

2012-04-09 13:17:35 | 日記・エッセイ・コラム

花見にはあまり縁がない。それで今年も縁がない。とはいっても昨日午後3時すぎに妻が花見にでも行きますかというので車で重信川河原をドライブをして、桜を楽しんだ。毎年それくらいで本格的な花見はなしである。

昨年だったかもう一昨年だったか私の仕事場で花見をかねて親しい友人と懇親会を開いたことはある。それはいつも雑談会のメンバーのうちでも特に親しい友人を呼んで、ワインとかビールとかの飲み会をしたのである。もっとも友人のTさんなどはビールコップ一杯ようやく飲める程度であるが、それでも彼は来てくれた。

他の人たちはそこそこ飲める人たちである。Sさんは数学者であるが、パーキンソン病を患っているので、あまり長くは私の仕事場に滞在できず途中で帰られた。今年は先週の金曜日に京都で大学の研究室の同窓生とか元スタッフが集まって懇親会が開かれたので、花見を兼ねた飲み会はできなかった。

京都は寒いから桜はまだかと思っていたが、琵琶湖疏水沿いの川岸には桜が満開であるとWさんが教えてくれた。このWさんは京都大学の湯川研究室のOBの方であるが、湯川研究室のOB会は20人くらいは集まるとのことであった。

4月7日(土)に駅に出るのに左京区岡崎から四条河原町まで歩いたが、確かにWさんの言われた通りに小さな疎水べりには確かに桜が満開であった。四条河原町から烏丸まで阪急で、烏丸から京都駅までは烏丸線を使ったが、二駅ですぐに着いた。

そして、15時過ぎには松山に帰り着いた。おみやげに久しぶりに京観世という菓子を買って帰った。

参加されなかった同窓生の近況では老齢のせいか、体調を崩しておられる方とかが多いような気がした。また亡くなった方々も数人おられた。同級生のH君だけではなく、G大学の先生をされていた、私より数歳年下のK君も昨年の夏に亡くなられていたことを知った。

彼はよくカナダのアルバータ大学に出かけてはそこで仕事をしていた。Capriという私と同年くらいの物理学者がいて、彼と親しかったらしい。Capriとは私は直接の面識はないのだが、Capriはこのごろ量子力学のテクストを出したり、演習書を出したりしていると思う。もうずっと以前だが、Capriが次年度の予算を前借してこのK君を呼んだということを聞いた。これはかなり異例のことだったらしく、アルバータ大学の物理ではそのことで評判がたったらしい。

このK君はhigher spinを修士の論文に研究テーマにしたので、生涯その周辺の研究をしていたのではないかと思う。とても体力のある方で徹夜で計算をして、間違いをほとんどしないというので、有名だった。万年筆で計算をするのだが、ほとんど書き間違いをしない。それでも人間だから稀に間違いをするのだが、そのときにはカッターナイフでその書き損じた字を削って書き直しをされていた。

このK君は人と飲み始めるときに1ダースのビールを脇において飲み始める。他の人がもう飲み疲れたときでもまだビールが1本でも残っていると、まだ1本残っているということで、それを飲み終わるまでは飲むことが終わらない。

いつだったか、このK君と一緒に友人のH君のホームタウンである、呉市に行ったことがある。街で食事をして、一杯飲んで気分がよくなったK君は路地を通りかかった車のドアを蹴飛ばしたりした。もっとも私の観察では彼はドアがへこまないように手加減、いや足加減をして車のドアを蹴飛ばしていた。

しかし、怒った若い運転手が降りてきて、つかみかかろうとしたが、このK君背が高くてごつい感じの男であり、それに彼はやくざかと見まごうぐらいに小指の先がなかったので、運転手の若い男性は恐れをなして黙って車で立ち去った。小指の先がないのは別にやくざのように指をつめたわけではなく、稲刈りのときに鎌でうっかり切り落としたのだと彼が言っていたので、私はそれを疑ったことはない。

その晩にはH君がまあまあと中に入ったので、ともかくもそれ以上の騒動には発展しないですんだ。ともかく、その後、数日後の大学でO先生にそのことを私は告げ口をしたが、そのときに彼は何らかの理由で寂しいのだと私の観察した感想を言ったら、O先生はしばらく「君はもう結婚もしているのに寂しいのかね」とK君をからかう種とされた。

後で、このK君のお父さんは戦争で亡くなれていることを知っているのかと彼と同級の別のK君に注意を受けた。そのころ彼のお母さんは存命中であり、かつ医師であることを後で知った。

いつだったか集中講義で彼をE大学に呼んだときに、私の家に泊めたことがあるが、「わはっは」と豪快に笑うのでまだ中学生だった、私の子どもたちが「わはっは・おじさん」と名づけて、いまでも「わはっは・おじさん」として我が家では通っている。

Oさん、H君、それにこのK君等は共に亡くなってしまって、私の記憶の中にしかいない。


研究室の同窓会

2012-04-05 12:02:43 | 日記・エッセイ・コラム

明日の4月6日(金)に京都で大学の出身研究室の同窓会がある。これは2年に1回行われる。毎回10人前後の人が集まるが、だんだん集まるべき人が少なくなっている。今回の世話人は大阪方面に住んでいるH氏である。

これは同窓生に病気等で死亡する方が出るのだが、新しく入る人はいないので、減る一方なのは仕方がない。それに若い方でも全員が同窓会に出るわけではなく出てくる人はかなり特別の人かもしれない。

それでも研究室の出身ではないが、かつて教官だったWさんがいま最高齢であり、彼が同窓会をすることが好きなので私たちの年代の3人が世話人を交替で務めている。

このことは毎回そういういきさつをこのブログでも書いていると思う。今回は大阪からK君が参加されるので会うのを楽しみにしている。K君は京都産業大学で行われている益川塾にも関係をしていると聞き及んでいる。

京都はまだ桜には少し早いだろうか。桜の盛りでかつ時間があれば、嵐山の天竜寺など訪れてみたいが、大体ものぐさな私などはあまりどこかに行くことなど滅多にないので、結局は4月7日にとんぼ返りすることになろう。

妻が今日は岩国の錦帯橋へとバスを仕立てて、桜見物を兼ねた日帰り旅行を企画して出かけた。自分がその世話人なのである。帰りに尾道の千光寺に立ち寄って帰ってくるとか。島並み街道を通って往復である。夜遅く帰って来るはずである。

今朝、明日自分も京都へ行きたいというようなことも漏らしていたが、まだ桜には早いだろうし、車で行くのは疲れるだろうから、止めた方がよいと言ったら納得したようだった。


健康診断

2012-04-04 13:12:14 | 健康・病気

3月に受けていた、病院での健康診断の結果を今朝聞きに行った。

特に大きな心配事はなかったのだが、前立腺肥大とか前立腺ガンのときに大きくなる何かの検査の数値がわずかに大きかったので、泌尿器科での検診を勧められた。

超音波のエコーでも前立腺の肥大は確認されているとのことであるので、おそらくはそのせいであろうが、安心はできない。だが、男性は老年になると前立腺肥大にかかるのだとはいつだったか泌尿器科の専門の先生から聞いたことがある。

糖尿の数値が標準からわずかにはずれていたが、これは糖尿ではなかろうといわれたが、今後の数値の変化に注目をしたいとのことであった。

また、内科に行ったときに何か血液検査をしてもらえとのアドバイスだったが、今思い出せない。肝臓に関係した検査の数値は要注意の範囲ではあるが、前回の検査から食事の改善によって、大きく改善されているとのお褒めの言葉をもらった。これは妻に感謝をすべきことである。

さて、来年度の検査までにどういうことが起こるであろうか。


自分の間違い

2012-04-03 13:51:42 | デジタル・インターネット

latexで原稿の入力をしていて、原稿を修正したはずだのにdviの方が変らないと思って不思議だ、不思議だと何回も同じことを繰り返したが、よくみたら、これは私の思い込みであってdviの原稿はlatexの原稿のそれを忠実に反映していたのだった。

自分の思った通りにdviが変更されないと思っていたが、自分の思ったようにはlatexの原稿を修正していなかったという経験ははじめてであった。人間は思い込みの強い動物である。いや、一般の方にはそういうことはないだろう。私が思い込みが強いと言いかえた方がよかろう。

昔、学生のころに自分でコンピュータのプログラムを書いてそれがなかなかコンピュータを通らず、「コンピュータを蹴飛ばしていうことを聞け」と思ったことが何回もあった。

実際にコンピュータを蹴飛ばしたことはもちろん一度もなかったが、そういうときにもちろん何回も自分のつくったプログラムを見直すのだが、どうも間違っているところが見つからず、上に述べたような気持ちが起きた。

だが、その後その誤りが発見されてみると悪いのは私の方で、コンピュータが間違っていたことなど一度もなかった。ちょっとコンピュータが融通を利かせてくれたらと思ったことは何回かあったけれども。

こういう経験をすると、高校時代に学んだ英語のことわざTo  err is human, to forgive is divine(過ちをするのは人間、許すのは神様)が身にしみたものである。人間というのはなんと間違いを犯すものか。それも多様な、思いもつかぬような間違いをする。


春咲く、シクラメン

2012-04-02 18:21:14 | 日記・エッセイ・コラム

仕事場のバルコニーは冬の間は寒いせいか、ここに置いてあるシクラメンがなかなか咲かない。これは例年のことである。

私はシクラメンは冬の花というイメージをもっていたが、どうもあれは温室育ちのせいではないか。先週の金曜日か土曜日だったかに急に暖かい日があったので、シクラメンが勢いよく一斉に咲いた。

いつかも書いたように朝鮮(いまの韓国)に住んでいた子供時代に子ども絵本かなにかでシクラメンという花があるということを知ったが、本当にシクラメンとご対面したのはそれから20数年後の30歳過ぎのころであった。

それまで一度もシクラメンを見かけたことがなかったとは思わないが、それがシクラメンと呼ばれていることも知らなかったのであろう。

このごろはスーパーの花屋の店先に冬が始まる前にシクラメンの鉢植えが並べられてあり、それは500円くらいで値段が手ごろなので妻が私のために買ってくれた。

しかし、1日おきに水はやっているが、なかなかつぼみから花が咲かずようやく、桜の花便りが聞かれるこのごろになって一気に咲く。

私は貴婦人のような、真紅のシクラメンが好きなのだが、それが今年も1鉢あり、真っ赤な花をつけている。もっとも今日は寒さがどうだったかかわからないが、暖房をつけなくても過ごせたからそれほどもう寒くないのであろう。

ここ数日書いてきた数学エッセイ「因数分解の公式を忘れたら2」の図も、ピクチャー環境でようやく描きあげて、ほぼ完成で、あとはこのエッセイの読み返しだけが残っている。

なにか自分の気をとられていることがあると、ブログは惰性のようには書いているが、どうも単なるルーチンワークになっている。


測り方の科学史II

2012-04-02 13:06:48 | 科学・技術

西條敏美先生の「測り方の科学史II」(恒星社厚生閣)が発刊された。

西條先生のとても勤勉な方である。徳島科学史研究会を30年にわたって主宰されてきたことはいうまでもないが、すでに10冊以上の書籍を上梓されている。

これは勤勉さがないととても達成できることではない。それもいずれも科学を教えるものには興味を引くようなテーマについての書である。

さて、この「II」は「I」とは異なり、原子とか分子それから素粒子等のミクロの世界を対象としたものの属性を測るということに焦点をあてている。「I」よりは「II」の方がより身近に感じているので、楽しみにして読んでいる。

私は後ろの章から読み始めて、一つづつ前の章へと後戻りするという読み方で、いま原子核のところを読み始めたところである。ところが西條先生が参考文献として挙げておられる書籍を私は一部しかもっていないことに気がついた。これはどうしたことだろうか。

私も広い意味の理科の教師なのだが、どうも西條先生がもっておられるような書ももっていないというのは私の教養の偏りを示しているのだろう。もちろん先生が上げられた参考文献を、すべて先生がもっておられるとは限らないが、その全部ではないにしてもかなりの書はもっておられるのであろう。

私はある種の数学愛好家であって、そういう書を少しはもっている。そのせいか理科の一般的な書をあまりもっていない。

それにときどき西條先生からメールをもらうことがあるが、先生は文学にもご関心をおもちであり、どうも文学には余り関心のない私と先生とはその点でも大きく違っている。

先生の書「測り方の科学史II」の紹介をするのが目的であったはずが、テーマが脱線してしまった。まだ十分この書を読んでいないからだが、素粒子の寿命のところで共鳴状態の半値幅が「小さい」とあったが、これは「大きい」の書き間違いではないのだろうか。寿命が短ければ、半値幅は大きいはずだから。

これはきちんと調べてみてからいうべきことであるが、中間子のpionの寿命が10^{-23}秒と予測されたとあったが、これは本当だったのだろうか。

pionの寿命は10^{-8}秒くらいであり、muonの10{-6]秒との違いに悩まされたということを聞いてはいるが、湯川の始めの寿命の予言が10{-23}秒だったと第1論文に書いてあったのかどうか、もう50年以上前の大学院生の頃にゼミで読んだだけであるので、記憶がない。もし、そうなら宇宙線の中に見つかりそうですねという返事を菊池正士さんにしたという返答がどうも筋があわなくなりはしないだろうか。

10{-23}秒というのは現在知られているレゾナンス粒子の寿命くらいであるので、それとの整合性はいいが、どうだったのだろう。手元に書籍がないのに書くのが憚られるが、pionの質量と核力の到達距離が反比例するだろうと思いついたというのは湯川の自伝「旅人」に確かにあったが、これに関しても小さな書き間違いがあるような気がしている。

だからと言ってこの書がつまらないなどとは思っていない。この書は中学生や高校生、また彼らを教えておられる先生のみならず、私たちにも新しい観点を提供してくれる書である。

(2012.4.4付記) Nakanishi先生のコメントによれば、pionとmuonの寿命違いに悩んだと上で私が書いたのは間違いらしい。pionは強い相互作用をするから、他の原子核とか何かとすぐに相互作用をしてしまうので、宇宙線中に見つけられた中間子(実はmuon)の平均自由行程が湯川の想定した中間子(pion)がもつであろうと想定される自由行程とではあまりに違いすぎることが、矛盾としてクローズアップされていたという。

Nakanishi先生のコメント有難うございます。