いつもこのブログにコメントを下さる医師の飯尾先生から、細胞レベルではある種の獲得形質の遺伝があるのだと以前にドイツ語のクラスで聞いていた。
それに関係する記事が朝日新聞に載っていた。これはマウスが身の危険を感じるとその「記憶」がマウスの精子を介して子孫に伝えられるという実験が科学誌のネイチャー・ニューロサイエンス電子版に発表されたという。
(引用はじめ) 実験はオスのマウスの脚に電気ショックを与えながらサクラの花に似た匂いをかがせ、この匂いを恐れるように訓練、その後、めすとつがいにして、生まれてきた子どもに様々な匂いをかがせた。すると、父親が恐怖を感じたサクラの匂いのときだけ、強くおびえる仕草をみせた。孫の世代でも、同様の反応が得られた。
父マウスと子孫の精子のDNAを調べると、嗅覚を制御する遺伝子に変化の跡があり、脳の嗅覚神経組織細胞の集まりが大きく発達していた。父マウスから精子を採り、人工授精で子を育ててその脳を調べると、同様の変化が見られた。
生物の遺伝情報はDNAに刻まれて親から子へと引き継がれるが、生活習慣やストレスなど、後天的な要因で遺伝子のスイッチの入り方が変わることが知られている(注)。(引用おわり)
このニュースにどうして私が注目しているかというと、1950年代終りまたは1960年代の半ばには遺伝学でメンデル遺伝学の正統性が確立をして、いわゆるルイセンコ遺伝学が間違っていた。この事実と思想的には関係があろうかと考えるからである。
ルイセンコ遺伝学が遺伝学として間違っていたことは確立した事実だが、武谷三男がその後でも獲得形質の遺伝を主張していたということで、その思想を断罪する書『武谷三男の生物学思想』が最近になって、医学者の伊藤康彦氏によって出版された。
ところがもちろん1950年代末に決着がついた遺伝学の論争ではないが、その後に遺伝子レベルのある種の「獲得形質」の遺伝がわかったというわけである。
だから、直ちに伊藤の主張が間違っていたなどと主張するつもりは毛頭ないが、議論はもっと注意をしてする必要があるということを示している。
これは先ごろ利根川進の免疫における研究を知ったときにも感じたことだが、自然はなかなか簡単ではない。
また、私の科学史の論争相手である、Aさんがこの事実をどう考えるかも知りたいところである。彼は獲得形質の遺伝は50年代の終りに否定されたとして、それがひっくり返ることはないと断じている。
それは確かにその通りだろうが、環境要因による遺伝子レベルの変化が知られたということを彼はどう捉えるのだろうか。
(注) 後天的な要因で遺伝子のスイッチの入り方が変わることは飯尾先生がすでにこのブログでコメントされたと思うが、それがどのテーマに対してであったかは覚えていない。