物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

latexの作動の疑問

2013-12-20 12:00:37 | デジタル・インターネット

数学・物理通信3巻8号の発行の直前であるが、まだトナーの入荷の連絡がない。それでプリントして読むという点検ができないので、発行はまだできない。

私以外の投稿者からは彼らの原稿に関してはOKとの了解を得たのだが、昨日編集をしていると私の箇所に不具合が出てきた。

これはminipage環境を使って、図を横に並べて配置していたのだが、それが上下にずれてしまったのだ。その図のことを記述したpicture環境の一部をどこか書き換えた覚えはないのでわけがわからない(注)。

そのようなわけのわからなさは数式の番号でも生じた。投稿者が\labelと\refというコマンドで数式の番号を入力しておられるにもかかわらず、参照するときの式の番号が1章の式に2章の数字が入って来るという不可解である。

どこかが悪いのだろうが、結局原因がわからないので、しかたなく式の番号の前に投稿者の名前の頭文字を一字挿入したら、それで参照する式の番号が一致したので対症療法はうまくいった。やれやれ。

こういうことがあるから、機械の調子みたいなところがlatexにはある。まだ使い方が上手ではないということだろうか。

(注) このブログを書いた後で、latexの原稿でminipage環境で書いた二つの図の間に入れていたコメント行を削除したら、図が二つ左右にうまく入るようになった。コメント行は悪さをしないはずだが、必ずしもそうでもないことがわかった。

もっとも単独のlatex原稿ではコメント行は別に悪さをしていないのだから、不思議というしかない。


神の数式

2013-12-20 11:31:02 | 物理学

いつだったか「神の数式」という2回の放送がNHKであったのだという。

それを見たドイツ語のクラスのメンバーのK夫人がそれをご夫妻で一緒に見たのだが、まったくわからなかったと先日話をされた。

その再放送がNHKのBSで12月24日夜7時から4夜連続であるという。それを見てその解説をしくれないかとの依頼であった。そのときにKさんご夫妻のようなとても知的なご夫妻が見てわからなかったのなら、私にわかるはずがないと答えたのを覚えている。

昨日になってその放送を見た、物理を過去に専攻された方のコメントが書かれたブログとか再放送の予定をK夫人からメールで教えてもらった。

そのブログを見たら、素粒子の話とか宇宙の起源に関する話だということがわかった。私は素粒子の最近の話に通じているわけではないが、これならまったくわからないということはないはずである。

コメントを読んで見ると、10回分の放送を2回に短くしてしまったためになかなか一般の人にはわかり難いだろうとあった。12月24日からの放送は4夜連続であるので、もう少しわかりやすくはなっているだろう。

一般の人でも素粒子の話や宇宙の起源について関心をもっている、一般の人がいるのを心強く感じた。


sioさんのコメント2

2013-12-20 11:04:45 | インポート

以下は「四元数と線形代数」に対するsioさんのコメントの一部を編集してここに掲載します。

全体は「四元数と線形代数」のコメントして載っています。そこを見てください。

これはですから私の意見ではなく、sioさんのお考えです。sioさんに全面的に賛成という訳ではありませんが、聞くべきご意見だとは思っています。

(以下引用)

最近の学生がユークリッドやアポロニウスの原典をろくに知らず(これらには邦訳がある)、ニュートンのプリンキピアやマクスウェルの電磁気学の原典をろくに知らないのと同様だ。

最近の数学者や物理学者たちはベクトルの起源はせいぜい四元数だということしかわからず、詳細はろくに知らないに違いない。

なんせ彼らはギリシャ語やラテン語はおろかドイツ語やフランス語すら読めない文盲が大半だから、過去がどうなっていても知る由もないし別に困らない。

19世紀以前の著作は著作権が切れているのでGoogle bookなどにも大量にあるが、数学オリンピックや物理オリンピックで金メダルを取るようなエリートですら誰も読みやしないのだろう。

問題を解く能力を軽視するつもりはないが、テストで点を取るという教育だけでは、古典を読んだり問題を作るという能力は育たない。オイラー著作集やガウス全集を原文で幼少時から読んでいましたなんて奴はエリートにすらなれない狂った国だからな。

非ユークリッド幾何ですら総合幾何学的手法を捨てて微分幾何などを使ってやるご時世だから。ちょうど初等幾何や解析幾何が教育で重視されずに数式を使う代数学や解析学が発達したのと同様に幾何的な四元数はベクトル解析や線型代数に汚損され失われてしまった。

最近の学生は総合幾何学的円錐曲線論や立体解析幾何や四元数的幾何学など原典レベルで学んだことがないにちがいない。

そもそも教育に費やせる時間が有限なせいで、大学院修士までにカリキュラムが収まり切らなくなってしまったからこういう古典をじっくり学ぶということも不可能になってしまったと岡潔も嘆いていたよ。

だからといってオルタナティブスクールなどを調べても、このような科学エリートの教育はなぜかどこでも行われていないようである。科学エリートは日本では中高一貫、海外では全寮制のスパルタ教育などによってしか育たないのだろうか?

結局こういう教育やりたければ学校教育機関に行かずにホームスクールで全部自力でこの境地に到達するしかないわけだ。10歳未満で大学理学部に入るようなエリートはみんなこうしている。ただし彼らも、古典まで読んでいる者は皆無だろう。

コーシー全集やラプラス全集など、読んでいる時間がない。テレンスタオもそのような古典を全巻読破しているわけではない。教育や寿命という壁にぶつかってしまうほど数学や物理学は肥大化している。

近代数学を極めるには幼稚園ぐらいで欧州の言語数カ国語をマスターしていないと無理だろう。それで30歳ぐらいまでずーーーっとお勉強で、ようやく「近代」数学の原典をマスター。しかし20世紀のものは消化すらできない。20世紀に生み出された数学は19世紀以前までの数学をはるかに上回る。。。

初等幾何ベースの古典力学とか、四元数ベースの電磁気学の教科書とか、今更出版されないだろうからなあ。力学や電磁気学や熱力学などもモダンな数学で記述した理論は多々見られるが、こういうクラシカルな数学で記述した本はろくに出版すらされていない。

マッハやヘルムホルツなど、もはや名前すら知られていないのではないか。本来、こういうものこそ文庫や電子書籍に入れておいて数百円で入手可能にしておくべきだ。全て絶版で数千円、数万円するのでは、若者には存在を知って入手するまでのハードルが高すぎるだろう。

そもそも良い作図ソフトがないので、数式の電子化については相当技術が発達したが、二次元・三次元の簡単な図形すら電子化が難しく19世紀以前の昔の論文の復刊や邦訳とか、本文はTeX化されてても図がスキャンで酷いのが多いからな。。。

青空文庫にも、なぜかエッセイや科学哲学ばかりで科学の古典は皆無、解析学の専門書はなんと一冊もない。

だいたい、最近の科学者は英語以外の外国語が文盲なので、老人世代が生きている内に彼らに古典を翻訳させたほうが、いいだろう。昔は数カ国使えないとだめだったからな。高木貞治も英仏独語で論文を出しているし。それが今やもはや理系でロシア語など読める人材すらろくにいない。

19世紀以前の数学や物理学の専門書も、年数冊ぐらいなら邦訳が出てるから、文芸復興と称してどこかの出版社がやってくれないかな。

(引用おわり)


海外留学ができない理由

2013-12-20 10:50:33 | インポート

古代または近代数学や物理を研究する必要性を説いたsioさんの、私のブログ「四元数と線形代数」への長文のコメントがありました。

以下の文章はそれに対する私の感想と意見をコメントに対する返答として書いたものです。

ブログで取り上げた方がいいと判断したので、以下に部分的に再掲します。また再録にあたって、加筆をしました。なお、sioさんのコメントの全体についてはまた議論する別の機会をもちたいと思います。

古代や近代の数学や物理を読み解いた人(たとえばよく知っているわけではないですが、高瀬正仁さんとかまた旧知の山本義隆さんのような方)も十分に評価すべきではないかと感じています。

ただ、現在の大学や研究所の雰囲気は漏れ伺うところではそういう余裕がまったくないようです。

これがどこからきたのか、はたまた是正する方法があるのかはわかりません。

すべて国の財政的、経済的な政策である要因が大きいと感じています。このことがもう10年もすると日本の国の学術がまず疲弊し、その結果として、日本の国が経済的にも政治的にも立行かなくなる原因となるのではないかと憂慮しています。

特に科学技術の上で大きなビハインド(遅れ)となる可能性が大です。

政治家は今後30年間にノーベル賞受賞者100人を出すなどと豪語されていますが、その内情はとてもお寒くて、多くの若者は希望を持てないし、海外留学などもっての外だとか聞きます。

もし大学等から海外留学するときには、もう日本にはもう帰ってくるべき地位とか職場などないと覚悟しないと留学できないのだとか。つまり海外流出できる自信のある方しか海外留学などできない。

こういう状況では若者にいかにamibitiousたれといっても無理でしょう。それくらい日本には余裕がないのです。それを若者の冒険精神の欠如みたいに言われたのでは若者がかわいそうです。

そのことを心配をする、新聞やテレビの論説など読んだことがありません。少なくとも若者の気持ちの問題だとされている。そんなものではなくて、多分構造的にそういう気持ちを起こさせないほど状況が切迫している。

このことの実情を大学学長や理事会とかの幹部もわかってはいないということを示している。

ドイツの外国からの研究者受け入れを行っている機関フンボルト財団が9月に日本にやって来て、ドイツへの留学希望者を探したらしいのですが、そういう研究者がほとんどいないという実情にびっくりしたそうです(注)。

もっともドイツはそんなことを日本に言うと内政干渉ととられるかもしれないのでアドバイスもできないでしょう。

これは10年くらい前に比べて、研究留学の奨学金を給付している、このフンボルト財団への留学希望の日本人候補者が激減したために、フンボルト財団が日本からの研究留学者数の復活を目指した活動だったと聞きました。

(注) 実は私も約40年前にこのフンボルト財団のお蔭でドイツ留学できた一人です。