物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

海外留学ができない理由

2013-12-20 10:50:33 | インポート

古代または近代数学や物理を研究する必要性を説いたsioさんの、私のブログ「四元数と線形代数」への長文のコメントがありました。

以下の文章はそれに対する私の感想と意見をコメントに対する返答として書いたものです。

ブログで取り上げた方がいいと判断したので、以下に部分的に再掲します。また再録にあたって、加筆をしました。なお、sioさんのコメントの全体についてはまた議論する別の機会をもちたいと思います。

古代や近代の数学や物理を読み解いた人(たとえばよく知っているわけではないですが、高瀬正仁さんとかまた旧知の山本義隆さんのような方)も十分に評価すべきではないかと感じています。

ただ、現在の大学や研究所の雰囲気は漏れ伺うところではそういう余裕がまったくないようです。

これがどこからきたのか、はたまた是正する方法があるのかはわかりません。

すべて国の財政的、経済的な政策である要因が大きいと感じています。このことがもう10年もすると日本の国の学術がまず疲弊し、その結果として、日本の国が経済的にも政治的にも立行かなくなる原因となるのではないかと憂慮しています。

特に科学技術の上で大きなビハインド(遅れ)となる可能性が大です。

政治家は今後30年間にノーベル賞受賞者100人を出すなどと豪語されていますが、その内情はとてもお寒くて、多くの若者は希望を持てないし、海外留学などもっての外だとか聞きます。

もし大学等から海外留学するときには、もう日本にはもう帰ってくるべき地位とか職場などないと覚悟しないと留学できないのだとか。つまり海外流出できる自信のある方しか海外留学などできない。

こういう状況では若者にいかにamibitiousたれといっても無理でしょう。それくらい日本には余裕がないのです。それを若者の冒険精神の欠如みたいに言われたのでは若者がかわいそうです。

そのことを心配をする、新聞やテレビの論説など読んだことがありません。少なくとも若者の気持ちの問題だとされている。そんなものではなくて、多分構造的にそういう気持ちを起こさせないほど状況が切迫している。

このことの実情を大学学長や理事会とかの幹部もわかってはいないということを示している。

ドイツの外国からの研究者受け入れを行っている機関フンボルト財団が9月に日本にやって来て、ドイツへの留学希望者を探したらしいのですが、そういう研究者がほとんどいないという実情にびっくりしたそうです(注)。

もっともドイツはそんなことを日本に言うと内政干渉ととられるかもしれないのでアドバイスもできないでしょう。

これは10年くらい前に比べて、研究留学の奨学金を給付している、このフンボルト財団への留学希望の日本人候補者が激減したために、フンボルト財団が日本からの研究留学者数の復活を目指した活動だったと聞きました。

(注) 実は私も約40年前にこのフンボルト財団のお蔭でドイツ留学できた一人です。


IT企業に期待したいこと

2013-12-19 13:32:47 | 科学・技術

どんなことをIT企業に期待したいか。

朝食後に妻と話した。妻は食物とエネルギーが人間が生きていくには欠かせないから、野菜をつくる野菜工場をITでコントロールする技術を農業会社と提携して開発すべきだという。

野菜はもちろん露地物がいいはずだが、もしか天候に左右されるなら、野菜工場でつくられるはいいはずだ。もっともそれも費用対価格の問題に大きくかかっている。

きゅうりとかトマトやナスなどまたキャベツとかは野菜工場でつくることができそうである。もう何十年も以前に日立の量子光学の研究者だった方が、彼の業績としての量子光学の書を出版した直後に野菜工場の担当になったと聞いている。

だから、大企業はそういうことを開発をする試みをしていたのである。その後それがどうなったかは知らない。

小規模には徳島だったかどこかで、野菜工場の試みをしているという話はテレビで見たことがある。

武谷三男は先端技術は実は農業だという反語的な発言をしたことがある。太陽光と太陽熱の恩恵をフルに生かしたのが、農業である。

野菜工場を完全にフルオートマティックにすることがいいとは思わない。もしか、太陽光が利用できるときはそれを野菜に浴びることのできる環境で、エネルギーの消費を減らすことのできるそんな野菜工場はできないものか。

建築家の丹下健三は私の出た高校の先輩だが、地元の今治では彼の設計した公会堂とか市役所は昼でも電燈の明かりが必要だということであまり評判はよくなかった。もっと自然環境を利用するべきだと。

建造物としてはデザインが優れていてもそれだけではこれからの建築物もいいとは言えないだろう。それと同様なことが野菜工場もあるだろう。

つぎに、太陽光による発電はやはり自然エネルギーの利用という意味ではこれからの課題だろう。

ドイツでは国家のエネルギー政策のお蔭もあって太陽光発電が盛んになってきている。日本ではその政策がまだできていないので、利益が上がるかどうかわかならないのでそれほど一般的ではないが、ドイツと比べたら太陽の光の強さはかなり強いのでやはり有望である。

どうしてそのような政策がとられないのかわからない。原子力にはもう将来はないというのが識者の意見だというのに。

この間、新聞に出ていた川柳に「原発はトイレのないマンションではなく、着陸できないジェット飛行機」とあった。まことにそうである。

小泉元首相が最近、脱原発を唱えているが、首相時代はまったく身近な専門家意見を信じていたとのことである。もっとも彼が調べれば、そんなことはウソだとすぐに見破れるくらいの情報はその当時でもあったと思う。でも文系の首相だからしかたがなかったのだろうか。

太陽光発電においてIT企業に何を期待するか。これは多分にエネルギーロスを少しでも減らしようなシステムであるだろうし、また、天候に左右される不安定な発電能力をうまくコントロールして、安定化するところであろう。

すでにそういうシステムはアメリカで開発されているとも聞くが、これは独自に日本でも開発しておく、必要があると思う。


sioさんのコメント

2013-12-19 12:47:31 | 科学・技術

sioさんの『四元数と線形代数』のブログに対するコメントは長文でいろいろなテーマにわたっているので、その全体をすぐに感想を述べることができない。

ここではsioさんが彼(勝手に男性と決めてすみません)のコメントの終りの方にある、リマークでIT企業に関係するかもしれない部分だけをここにコピーをしておく。

(引用はじめ)そもそも良い作図ソフトがないので、数式の電子化については相当技術が発達したが、二次元・三次元の簡単な図形すら電子化が難しく19世紀以前の昔の論文の復刊や邦訳とか、本文はTeX化されてても図がスキャンで酷いのが多いからな。。。

 電子書籍も数式や図の表示で規格化が企業サイドでなされないせいで個人が参入できるレベルにない。未だ啓蒙活動や政治活動の段階に留まっている。

epubで数式と図が表示できるスマホ用アプリすら未だにろくに存在しないのに電子書籍元年など愚かにも程がある。しかもTeXが使えるpdfで販売できないという腐ったシステムだし、画面の小さいスマホではリフローができないのは、つらい。(引用終わり)<o:p></o:p>

 第一のパラグラフで言及された、よい作図ソフトがないというのは本当だろうが、これは作図ソフトの問題だけだろうか。私はまだ使ったことがないのだが、Asymptoteというソフトがあると聞く。

それがまだ日本語ではあまり普及していないが、もしそれが優れたソフトなら、いずれはlatexのように普及をするであろう。私はいまはlatexのpicture環境で時間をかけて試行錯誤で図を描いているが、そういうこともAsymptoteでいつかは克服できるだろうか。だが、なかなか習得が難しいと聞く。

電子書籍元年という掛け声は確かに時期尚早のようですが、今後に期待したいところです。


セールスエンジニアに贈るヒント

2013-12-18 17:23:48 | 社会・経済

アベノミクスだとかで浮かれている人はそれほど多くはなかろう。地道に、自分たちの技術を社会に売り込んでいるセールスエンジニアも多いはずだ。

ところでいつだったかものの本で読んだことを書いてみよう。

日本一の自動車のセールスになった人の話だが、はじめの2年間はひたすらお得意先回りをしたが、一向に車は売れなかった。

だが、あわてて車を購入してもらおうとはせずにひたすらお得意先を回って自分がいかに信頼のできる人物であるかを分かってもらうことに務めた。

そういう数年間を送った後で3年目くらいから顧客から注文が入るようになって、そのうちに日本一のセールス高を誇るまでになった。

もちろん、はじめからいくらかでもモノが売れてくれれば、いうことはないが、商品の説明はするが、あえて販売にあまりに熱心になるのではなく、まずは人間的な信用を得ることに務めた結果としてその後のセールス日本一とまで言われるようになったという。

なんでも難しいものである。業績を伸ばすためにはのどから手が出るほど物を売りたいが、それを我慢してひたすら得意先または新たな顧客に自分を、自分の人柄を知ってもらう。要するに世間話や客の話や要望を聞く。そういう繰り返しが最終的に成果を収めるという。

実際に講演で経営者から聞いた話であるが、この人は元々技術者である。

よく大学生が求職のために会社訪問してくれたときに希望を聞くと、研究所に勤めて、製品の研究開発をしたいという。が、自分は研究開発の最前線は販売や商品の設置や現場への製品のクレームにあると考えていると言われた。

現場に技術的な要望があるという。確かにクレームはなかなか技術者にとっては課題として重い。

しかし、そのクレームをクリアできれば一つ上の技術段階へと進むことができる。これは三浦工業というボイラーの会社の経営者の方から聞いた話であったが、その問題意識に眼を開かされた。

社会に技術は必要とされているのだが、その必要とされる技術はあくまでも社会からの要求から起こるべきものであろう。

天才的な技術者が研究所で頭で考えた結果であるはずがない。もしはじめはそうであったとしても、それが普及して一般化するには必ずユーザーからのフィードバックが必要である。

標語的にいえば、「技術の先端はユーザーにある、現場にある」ということだ。

日夜、セールスに悩んでいる、セールスエンジニアに贈るヒントの一端である。


追補

2013-12-18 13:28:50 | 数学

近々発行予定の数学・物理通信3巻8号に掲載予定の自著の「四元数と空間回転6」に書き加えたいと思い出した。

もちろんつけなくてもいいのだが、つけた方がいいと判断している。それで今朝7時半ごろに起き出して、その草稿を書いた。

毎日私は朝起きるのが8時半ころであまり早くはないのだが、それでもときどき1時間くらい早く眼が覚めることがある。

今日はそれにあたっていた。細かいことをこのブログに書くことができないのだが、角変数の変域を変えるという話を私のエッセイの脚注で書いたので、それについて私のわかっていることを追加した方がいいと思った。

\thetaという角変数は数学で3次元の極座標系ではz軸から下向きに測るが、それをxy平面から測る必要ができた。そのときには元の\thetaの余角(これをよく\deltaと表す)を角変数にとる。

しかし、新しい角変数\deltaを導入すれば、また変数が多くなるので、前の極角\thetaをもう極角ではないが、新しい角変数に使われる。

というようなことを書いておきたいと思ったのである。

実は球面三角法に関心があったので、「FNの物理学」にあった球面三角法の項を見たときに、上に述べた\deltaを\thetaで表してあったので、そのときにちょっと違和感を感じた。

ところが「四元数と空間回転6」でEuler角による回転について述べたときに、引き続いた3つの回転の最終の角位置を得る道筋は一通りではないことを知った。

また、その多義性を一義的にするためには「Euler角の正準集合」をとること、すなわち\thetaの変域を[0, \pi]から[-\pi/2, \pi/2]に変更する必要があるという。

そうすると、このときの角変数 \theta の0はどこにとればいいのだろうと考えたら、どうしても元の極角 \theta の余角 \pi/2 -\theta ととる必要があることがわかった。 この余角をもう一度 \theta と表したのが天文学等で使われる、球面三角法での\theta であることに気づいた。

文章だけで述べるとごちゃごちゃしているが、こういうことを書いておきたいと思った。

ここで書いたことはとても読みにくいので、関心のある方は近々発行の「数学・物理通信」3巻8号を参照してほしい。


すい臓がんの検査法

2013-12-17 12:01:08 | 健康・病気

昨夜のTEDカンファランスの放送は、すい臓がんの簡単で安価な検査の方法を確立した、アメリカの高校生の講演であった。

Jack Andrakaは15歳のアメリカの高校生であるが、すい臓がん(pancreatic cancer)の安価で5分でできる検査法を確立した。

すい臓がんがなかなか見つけにくいということはよく知られており、その検査法も高価だという。それは血液中のたんぱく質の中で8000種類もあるものから、すい臓がんに関係したものをみつけるという操作に手間がかかるためだという。

検査にかかる費用は80万円(?)くらいかかるらしい。Jack君は親しかった叔父をすい臓がんで最近亡くした。そのことが彼がすい臓がんに関心をもった理由である。

インターネットでWikipediaとPublic Library of Scienceで検索をしてすい臓がんについて調べた。その中ですい臓がんに罹ったことを示す、メソテリンというたんぱく質があるということを知って、これをどうやって簡単に検査できるかを考えた。

アメリカ中の約200人のすい臓がんの研究をしている医者にメールを出して、自分の研究計画を示したが、それらの研究者の199人からは否定的な返事しか来なかった。1人だけ関心を示してくれた教授の実験室を借りることができるようになり、検査法の確立の実験をした。

そのアイディアは高校での生物学の授業の途中で思いついた。それは抗体についての生物学の先生の退屈な講義中であった(注)。カーボンナノチューブについての最新の科学雑誌をその授業中に見ていたところ、メソテリンとカーボンナノチュ―ブとの組み合わせることを思いついた。

血液とか尿からその中にメソテリンが増加していることをその検査材料を用いて調べればよい。電気抵抗がメソテリンが増加していれば、変わるのだという。

約5分の検査で生存率100%の段階でメソテリンを検知できるのだとはJack君の講演で知った。

私は兄嫁をすい臓がんで亡くしたし、自分自身もいつかはすい臓がんで死ぬのではないかと予想したりしている。だから、これはなかなか希望の持てる話である。

Jack君のお父さんは土木技術者であり、おかあさんは麻酔科の医師であるという。彼によると小さいころから彼の疑問に両親は答えてはくれなかったが、彼の疑問を解くための助力を惜しまなかったという。

いまでは、無料でいろいろな情報や知識をインターネットで得ることができるようになっており、それでJack君の研究ができたとのことである。

私もいろいろなことでサイトで検査したりするが、これは主に日本語で検査しているせいか、なんでも答えが見つかるわけではないと思っている。だが、かなりのことが以前と比べてインターネットで分かるようになっているとは思う。

(注) 放送の中では抗体の講義が退屈だったとあったが、このブログでもいつかも述べたように抗体そのものが退屈だというわけではない。これはJack君の当面の関心からは遠かったということを示しているだけだと思う。


certify

2013-12-16 16:58:03 | 外国語

英語で「証明する」という日本語をどう訳すか。

数学を知っている人なら、proveという語を思い出すだろう。ところが証明するという日本語をこれとは違った英語をあてなければならないこともある。

そして、この証明するという英語の方が多分普通にはよく使われると思う。その語がcertifyという語である。

もう、30数年も前になってしまったが、ドイツに留学をしたいと思ったとき、何であったかは忘れたが、ある種の証明書の発行をしてもらわくてはならなかった。

日本語の文書は勤務していた学校が発行してくれるのだが、それを誰かに英訳してもらう必要があった。

それで、その当時の教養部の英語のM先生に頼みに行った。M先生はその英訳を快く引き受けてくれたのだが、そのときにはじめてcertifyという語を知った。

文書の冒頭でThis is to certify・・・という文章が出てきた。いま辞書を引いてみるとcertifyには「(文書などで)証明する」という意味が書かれており、単に日本語に直せば証明するという語になるが、その意味するところは数学などでよく使う語のprove(証明する)とは自ずから違っている。

certificateというと証明書であるが、ある国家資格をとった証明書とか、大学の修了証明書のようなものを指すのであろう。

Websterを引いてみるとto declare (a thing) true, accurate, certain etc. by formal statement, often in writingとある。

一方、proveの方は一般用語としても使うのだろうが、数学用語として to test or verify correctness of (calculation etc.) と記述されている。

もともと、proveという語の証明は意味はあまりはっきりとは覚えていないが、「真であることを示す」とか「わかる」という意味であったと思う。


松前町第九を聴く 2

2013-12-16 13:07:00 | 音楽

2010年に「松前第九を聴く」を書いてから、3年ぶりに第九を聴きに行くことができた。

今回は13時過ぎに家を出て、知人を誘い、13時45分くらいについた。先回よりも少し時間の余裕があったが、すでに前の方を除いて席はほとんど埋まっていた。しかし、3列目に座ることができた。

伊予高校の吹奏楽部の演奏も以前よりは洗練されたものになっているように感じた。また、松山市内から伊予高校の長谷川先生を慕って、伊予高校へ進学した生徒もいるとの話を後で聞いた。

松前町長のご挨拶がはじめにあったが、今年は5回目だということとつぎは10回目を目指したいという意思表示があった。こういう文化的な行事がいいと思っている町民は市長を次回の選挙でも支持するであろうから、いい選挙活動でもあろう。

それにやはり町長自身がこのイベントを誇りにしていると感じられた。松山という大きな町が隣にあるのに、そこでは第九の演奏会は行えていない。それよりも小さな町である、松前町が第九の演奏会を5年も続けているということに。

それは隣の市にある伊予高校とその音楽の指導者、長谷川先生の熱意が実ったものであろう。

第2部が第九の第4楽章であり、すぐに合唱を聴くことができた。合唱の参加者数も今年は208人だというから、舞台がもう狭いという感じだった。ソロの大森いちえいさんの歌声もすばらしかった。

もっとも合唱の人数が多くて、大森さんが舞台の全面から落っこちるのではないかとちょっと心配までしたが、そういうハップニングは幸いなことに起こらなかった。

合唱の迫力が3年前に比べて格段に大きくなっていて、合唱に参加している人たちものびのびと歌っていると感じた。

それにプログラムの裏表紙に第九の歌詞がドイツ語で出ており、第1節だけカタカナで読みがついていた。コンサートの最後にその意味がわかった。これは場内の観客にこの第1節を一緒に歌って貰うという趣向であった。

そして、そのこころは会場の観客の一部が合唱に来年以降参加してほしいということにあった。

多分この試みは成功であり、来年以降も合唱に参加したいという人は増加するであろう。曲の合間の指揮者の長谷川さんの解説も適切なものであった。

ひとつだけ驚いたのは吹奏楽の始めの曲目が変更になった理由を先生が楽譜が日本になく海外に注文したが、間に合わなかったという理由を述べられていた。

日本はなんでもある文化的な国であると思っていたが、曲によっては楽譜が日本にないこともあるのだと知った。長谷川さんは楽譜とはいわず、スコアが国内になかったという風に言われたと思う。


数学・物理通信3巻8号

2013-12-14 14:48:49 | 数学

数学・物理通信3巻8号の編集が終わったと書きたいところだが、まだ編集後記を書いていない。

そこのところは未完成だが、他のところは編集ができたので、投稿者に点検のための草稿を送った。よほどのことがなければ、年内に3巻8号の発行ができるだろう。

3月、6月、9月、12月の四季の発行であり、それらの月に一号出せば十分なのだが、投稿が多いので、これらの月に今年は2号ずつ発行した。もちろん、12月はまだ発行見込みの段階である。

1巻11号、2巻6号、3巻8号の発行となる。3巻8号が発行になれば、これまで通算で25号の発行がされたことになる。毎回、投稿を頂く方々に感謝である。

このような活動が誰からも褒められるわけではないが、これは自分が楽しみにして編集発行をしているものであるから、特に不満はない。

そういえば、月1回やっている雑談会もこの12月で45回か46回を重ねる。年末は懇親会であり、誰もレポートをしないが、それもまた楽しみにする人がおられる。

ブログも2400回に残り14、5回で達するところまで迫ってきた。無理をすれば、年内に2400回を越すが、いまのところそこまで頑張る気持ちはない。

たまたま書くことがあって年内に2400回を越せばそれもよし、越せなけらればそれもまたよしである。


タチツテトとその類似品

2013-12-14 12:00:25 | インポート

先日医師の飯尾先生から次のようなコメントを頂いた。

(引用はじめ) 今の世はタチツテトであるといいます。

(1) タ は多様性
(2) チ は地球、つまりエコ
(3) ツ は通信、つまりネット
(4) テ はデフレ、つまり安い値段
(5) ト はコト、物はもう足りたのでイベント

だというのです。(引用おわり)

まことにそのようなまとめをされる頭のいい人が世の中にいるものだと思わされた。

どうも、このコメントほど冴えた言い分ではないが、私の知っているものをご紹介しておこう。

一番初めは学生の頃に妹から聞いた調味料の使う順序である。サシスの順序に使うと。つまり砂糖、塩または醤油、酢の順であるとか。

カウンセリングでは「ほうれんそう」が大切だと聞いた。報告、連絡、相談である。大学の新しい学部とか学科では環国人情であるとか。

これは環境、国際、人間科学、情報の学部(または学科)のことである。このことを聞いたのはもう10年以上前のことなので、今では違っているかもしれない。

こういうこととは違ったものに記憶のためのものもある。いわゆるmnemonics(発音nimanik)記憶術である。

これで一番重宝しているのはベクトル3重積のback-cab ルールである。3つのベクトルa,b,cがあり、これのベクトル積a*(b*c)=b(a・c)-c(a・b)の右辺の形から来ている(注1)(注1付加)。

これはいわゆるBerkleyの物理学シリーズの訳本(丸善)を読んで知った。もちろん、a,b,cの中でb,cがナブラという微分演算子であるときにはFeynman lecture(訳書は岩波書店発行)の注意にしたがってb(a・c)を(a・c)bとbを後ろに回して使わないといけないということはあるが。

フランス語では語尾の子音は発音しないのが普通だが、carefulに含まれた子音 c, r, f, l はよく発音されるという注意もある。

sin,cos,tanという三角関数の定義を覚えるのに「対/斜(sinの定義)の隣/斜(cosの定義)は対/隣(大車の隣車は大輪)」という覚え方もある(注2)。

ただし、このときに角に向き合った辺を対辺(高さともいう)、それから角の側の辺を隣辺(底辺ともいう)という。英語では対辺をopposite side, 隣辺はadjacent side, 斜辺はhypotenuseというらしい。

この最後の斜辺のhypotenuseというのが私にはなかなか覚えられない。

(注1) ここで*はベクトル積を表す記号の代用をしている。

(注1付加)バックーキャブ(bac-cab)ルールではなくて、中央項ルールの方が有用である。ベクトル積a*(b*c)=b(a・c)-c(a・b)では(bac-cab)ルールでいいのだが、(a*b)*cのときはそのままでは(bac-cab)ルールはつかえない。

ところが中央項ルールでは、どちらでも真ん中にあるベクトルbの前の係数は残りのベクトルのスカラー積(a・c)となる。もう一つのカッコ内にある、ベクトルaの前の係数はa以外の残りのベクトル-(b・c)であり、要するに(b・c)に負号ーをつければよい。

すなわち、(a*b)*c=(a・c)b-(b・c)aである。この中央項ルールは元のベクトル積a*(b*c)=(a・c)b-(a・b)cでも成り立っていることは各自で確かめられたい。

これは単なる記憶法だが、便利である。

(注2) 対/斜は、もちろん、sinの定義、隣/斜はcosの定義、対/隣はtanの定義である。この定義は三角関数というよりは、むしろ三角比の定義というべきであろう。


トナーの不足

2013-12-13 12:02:01 | 日記・エッセイ・コラム

プリンターのトナーが昨夕切れてしまった。それでプリンターが動かなくなってしまった。

トナーの注文をしなくてはいけない。前のプリンターなら、かすれてもプリントができたのだろうが、新しいプリンターは動かないようになっているらしい。

数か月も前からトナーが残り少なくなっているとの情報をパソコンが出し続けていたのだが、そのままつき続けてきたが、ここにきわまった。

トナーがどのくらいの値段がするかはお店に聞いてみないと分からないが、多分8、000円くらいのオーダーであろう。そしてそれを取り寄せてもらうには数日かかる。

子どもたちが27日に帰郷するので、それまでに購入しておかなくてはならない。というのは彼らは私のパソコンのプリンターで原稿を印刷することがあるからである。

休みで帰郷していても仕事があったり、仕事したりするのである。どこにいても仕事が比較的簡単にできるようになったということはいいことだが、逆にその仕事に人間が追われるということも意味する。

そして、頼まれた原稿を新聞社にメールで送ったりしている。何と忙しいことよ。子どもが帰って来たら、グリューヴァインをつくって飲ませてやろう(注)。

(注) グリューヴァインはドイツの冬の飲み物である。赤ワインに砂糖とかラム酒とかを入れて温めた冬の飲み物である。暖かくて寒い冬がなんとかやり過ごせるという感じがする。ドイツ人はグリューヴァインを売っているのを見ると飲まずにはいられない。

冬にライン河畔のSpeyerという町の教会を訪ねたときに、友人のKarl M. Schmidtがグリュヴァインを売っているのを見つけて、二人で飲んだのがはじめてであった。

妻と子どもたちもいたはずだが、妻はアルコールにとても弱いので、そのときに飲んだかどうかは覚えていない。子どもたちにもそれをなめるぐらいのことはさせたであろう。


行き着いた末

2013-12-12 13:34:27 | 社会・経済

本来経済活動を活発にするには国の政策としては中央銀行(日本の場合なら日銀)が金利を安くしてお金を借りやすくする。

ところが金利がほとんど金利がない、いわゆる0金利にすでになって久しいので、経済政策として金利が動かせない。

そのために一時的な手段として社会に出回るお札の量を増やしてみた。これが4月に実行された金融の異常緩和である。

それと来年の4月から予定されている、消費税の増税で少し駆け込み需要を喚起しようということらしい。もっともその後の落ち込みが多分起こるだろう。

貨幣の量を増やしても長期的にはその効果はないという(貨幣の中立性)ことが経済学者の間では通説らしいので、どうもちょっとした短期的な効果しかないのであろう。

だから、アメリカでしばしばうわされているように、金融緩和とか0金利からの脱出をどうやって図ることができるかを考えることが本当の経済学者や政治家の才能が問われているところだろうに。

物理の実験などで、外から物質に圧力をかけてそのときの応力の変化を測ったり、電圧を測ったりとかしたりする。または電場をかけてその物質の応答をみる。同じようなことを社会の経済の問題でしているのだと思う。

もっとも、ここまで社会の経済が動かなくなってしまった、現在の社会は隣国との軍事的な圧力状況を作り出しておけば、防衛予算を増やすことに理解が得られると考えているのが現在の政権であろう。これは多分に防衛産業の圧力であるかもしれない。

しかし、そういう状況は市場経済がどうも行き詰ってしまった最後の段階だという気がする。だから政府は中国との和解も韓国との和解も「わざと」しないであろう。

中国の方はともかくとして、韓国とは私などの素人考えでも従軍慰安婦に賠償金を払うという姿勢を示して払えば、韓国との問題の少なくとも一つは解決する。

もちろん、財政はそれだけ苦しくなるが、それはしかたがないと思う。だが、そうはしない。なぜか。それは隣国との緊張関係が外交的にもあれば、防衛関連の予算を増やす口実ができるからであろう。

どうも深読みのし過ぎかもしれないが、言外に口外はしないが、そういうのが経済界とか政権の中枢におられる方々の考えであろう。そして防衛とか外交の秘密が拡大してそれも秘密にされたことを、もし公にすれば刑に服すようになるという脅しも十分にできるようになった。

それが秘密保護法案の心であろう。

どうもこういうことを書くつもりではなかった。現在の市場経済が行き詰っているということを言いたかっただけなのに。

富国強兵へと突き進んだ、明治、大正時代と昭和20年までの時代が失敗に終わったことを歴史的に知っているのに、同じような夢しかもてない思想の貧困である。


イベント屋さん

2013-12-11 12:02:43 | 日記・エッセイ・コラム

妻はイベント屋さんである。

先日も医療生協の支部活動で、ある方に頼んで「そば打ち」をしてもらった。

ところがそのそば打ちのイベントをするつもりが、他にパソコン教室をやはり病院内でほとんど同時に開いてしまった。もちろん、パソコン教室で教える人は男性の方であり、妻がパソコンの使い方を教えるという訳ではない。世話役である。

ダブルブッキングの最たるものである。それでそば打ちをしてくださった方の奥様が腹を立てられたらしい。

こういう風に人を集めて何かイベントをするのが大好きなのである。性質として人を引き付けるところがあるらしい。もっとも常に誰かに電話してイベントに来てくれないかとかPRに、これつとめている。私は彼女のことをボスビリティのある人と呼んでいる。まるでボスざるのようである。

だから、先日の生協病院のフェスタのときにも不用品をもって行き、私もその不用品の販売に協力をした。

それほど売れたわけではないが、それでも不用品として無料で手に入れた品であるから、一品100円ででも売れれば、それは即すべて収入になる。まるで元手がかかっていないのだから。 それでも衣料の中で結構立派なジャンパーを200円で購入できて、喜んでいる人もおられた。

オーストリア製のビールの金属のジョッキの6個の一揃いは立派なものであったが、200円だったか300円だったかで売れた。もちろん、ビールを飲む習慣のあまりない方には無用の長物であるのだろうが、どこかのお店で購入すれば、数千円はすると思われる品物であった。

数箱の衣料収納箱の中の女性もののワンピースとかもあったが、夏物が大部分だったので売れなかったが、それでもその箱から引き出して勝手に何かいいものはないかと物色をされた方もかなりおられた。

もっともフェスタにもって行った品の大部分が売れ残って、また私の家の客間を占拠している。


四元数と空間回転6

2013-12-10 12:46:07 | 数学

表題のエッセイを書いているのだが、ようやく一番面倒な図1~3を昨日描きあげて、前に作成していた図4を描き直すことにした。

それが終わるとそろそろ完成としたいところだが、さて今回のエッセイでは四元数から話題がそれて、Euler角による回転について書いているので、最終の角位置を決めても、その角位置を実現するしかたは一意的ではないということを書くかどうかで迷っている。

このことはAltmannの本に例だけではなく、一般的な理由が書いてあり、はじめその個所を読んだときにはよく理解できなかった。

そこを3度目の読み返しを昨日したら、少し理解が進んできた。それでようやくその解説を書けそうになってきたのだが、さてそれを書くと結構ページ数が増えてしまう。

それで、それを書くべきかどうかで迷っている。この一意性がないことの一般的な理由を説明した文献は私の知る限りでは、このAltmannの書を除いては知らない。

確かに、インターネットのサイトとかを探せば、回転後の角位置を決めてもそれを実現するしかたは一意的ではないと書かれてあり、その実例が出ているが、それがなぜなのかの理由は書かれていない。

そのことに不満を抱いていたので、Altmannの書は貴重と思えた。だが、いくつかの文献に出ている例がすべてこの一般的な理由で説明できるのかどうかは、まだそれらの文献を逐一確かめていないので、Altmannの挙げた一般的な理由だけで説明ができるのかどうかは定かではない。

そのことの検討に時間がかかりそうなので、当面この問題はパスしてエッセイを一応完成にしたいという気持ちが強い。

これは問題が解決したという意味ではなく、少し気になっている問題を積み残しての見切り発車である。

もっとも、いずれはそこの課題をクリアしなければならないのは、もちろんである。


ヤーパン

2013-12-09 11:37:02 | 外国語

ヤーパンとはすなわちJapan(日本)のドイツ語の発音である。

今日、通勤途上に車のラジオのたまたまスイッチを入れたら、中国語の講座を放送していた。その中にヤーパンとしか聞こえない文があった。

これは歯痛、すなわち、歯が痛いことだという。これはドイツ語のクラスの笑い話の一つになるなと思いながら、仕事場に着いたのだが、どうもパンの部分が多分聞き違えたろうと思うようになった。

「痛い」というときに、この痛はtengとでも発音するのではないかと思い出した。このtengはトーンとでも発音するのだろう。

そうすると、ヤーパンではなく、ヤートンと発音するのであろう。それを私がヤーパンと聞き違えた可能性がある。

歯をどう発音するのかはわからないが、それなら話が通るような気がする。