ETH (Eidgenössische Technische Hochschule Zürich, ETH Zürich, ETHZ)(注)と聞いてすぐにチューリッヒ工科大学のことだなとわかったら、それはかなりヨーロッパ通か研究者の方であろう。
いま調べて原稿を書いている、レントゲンがこのETHの初期の卒業生である。レントゲンが入学したころにはこのETHができてまだ10年ほどしかたっていなかった。
オランダで幼少時を過ごしたレントゲンはアビトューアの資格をある事情で得られず、大学に入っても資格を得られないということからアビトューアの資格がなくてもはいれる工科大学のETHに試験を受けて合格をして入った。
もっともその後ETHではなく、チューリッヒ大学で学位を得て卒業をしている。
ETHはいまではヨーロッパの名門の大学として知られており、かのアインシュタインの卒業した大学としても知られている。
アインシュタインはレントゲンよりも10歳か20歳年下なので彼はアビトューアなしではETHには入れず、もう一度ドイツで退学したギムナジウムをスイスのギムナジウムをに入り直して、アビトューアをとっている。
もっとも試験は前年に受けて数学と物理は抜群の成績だったらしいが、古典語ラテン語、ギリシア語とかの成績が悪くて不合格となっていた。
だが、いまならなかなか合格にはできないのかもしれないが、ETHの校長がアインシュタインにギムナジウムに入ってこれらの科目を習得するように説得したらしい。そしてつぎの年には無試験で入学を許可された。
もっともアインシュタインはほとんどETHの講義には出なくて、友人のノートを借りて勉強し試験はパスしたという。
ノートを貸した友人の度量が大きかったということだろう。
そのさぼりのためにETHの助手としては残れずベルンの特許局の技師の職を友人の父親の紹介で得たという。
そのベルンで2005年に大きな3つの論文を出して、一躍世界にアインシュタインの名が知られるようになった。
ベルンは河沿いの美しい町である。1976年の春にここを鉄道で通り抜けたが、実際にこの街を訪れたのはその数か月後の8月の終りのことであった。
(注)Eidgenössischとはいま辞書を調べると「スイス連邦の」という形容詞だと分かった。読みをカタカナでつけるとアイトゲノッシュシュとでもなろうか。アイドではなく,アイトである。
ノーベル賞受賞者を20人以上出しているとWikipediaにある。