新しいパソコンから、はじめてのブログへの投稿である。なかむつかしかった。第一、メールが出てこないし,インターネットも表示されない。そういう時間がかなり続いたが、なんとか試行錯誤しているうちにようやくインターネットの接続ができて、こうやって今入力している。これはどうなっているんだろうかと作った人の頭を疑った。
やれやれ。今日は疲れたからこれくらいにしよう。
新しいパソコンから、はじめてのブログへの投稿である。なかむつかしかった。第一、メールが出てこないし,インターネットも表示されない。そういう時間がかなり続いたが、なんとか試行錯誤しているうちにようやくインターネットの接続ができて、こうやって今入力している。これはどうなっているんだろうかと作った人の頭を疑った。
やれやれ。今日は疲れたからこれくらいにしよう。
が上手くいかないかもしれないので、このブログも数日から1週間くらいお休みになるかもしれない。かもしれないというのは自分でどうなるのか予想がつかないからである。すぐに対応ができるかもわからないし、そうではないかもしれない。
まったく無経験なものだから今回は予想がつかない。これが古いパソコンでの最後のブログを書くことになるかもしれないし、そうではないかも知れない。
いくつかのソフトの引継ぎがうまくは行かないと思うので、それには1週間くらいはかかるかもしれいない。
第一、ブラウザーでも長い間にお気に入りにたくさん入れているのが、すべて一からの出直しである。心配なことおびただしい。まあそれでもしかたがない。
月曜日に新しいパソコンを手に入れて、少し馴染むためにいろいろ触っている。今朝からlatexのソフトをDVDから入れたりしているが、なかなかなじめない。どうしてもどこに何があるのかがまだ見当がつかない。
それであちこちと探しているのだが、まごまごしているばかりである。ところが前につくった原稿が字化けをしてしまった。これの対策をマニュアルにはちゃんと書いてあるのだが、そのツールがどこにあるのかわからない。
しばらく、こういうことで仕事にはならない。
先日の日曜の朝日新聞Be欄に「あしたのジョーの泪橋」という記事を書いていた、近藤記者はひょんなことからの知り合いである。もっともネットを通じた知り合いだから面識があるわけではない。
近藤さんと知り合った理由は「数学・物理通信」にときど寄稿してくださる、武藤徹先生のかつての教え子ということからである。いつだったか武藤先生がご自身の5冊だったか6冊だったかのシリーズの数学の本を出されたことはまだ記憶に新しいが、これに関係して近藤記者が武藤先生の所へメールを寄せられたことがあり、それを参考のために私のところへ転送されたことがあった。
それでそのメールの内容が興味深かったので、「数学・物理通信」に転載をお願いして許可をもらった。それ以来の知り合いである。近藤記者は東京生まれであるにもかかわらず、長崎だったかの支局を志願して地方に転属になり、そこでアロハシャツを着て農業をしたというので、半年に一回くらいの割合でその経験を記事に書かれていた。
そのうちに長崎から大分の日田市に昨年ここで大水害が起こった頃、転勤された。いまはどこにおられるのかは存じないが、まったくそういうふうに独自気風の方であり、かつ音楽等の造詣も深い方だという。それで朝日新聞やその他の出版物に音楽関係の記事も書かれたりしておられる。
大学では何を専攻されたかは存じあげないが、「あしたのジョー」の結末だという、『燃えて燃えて燃え尽きて、真っ白な灰になる。ちんまりしたおとなしい幸せを拒絶する。世人ではない。「Sein zum Tode 死へと向かう存在」(ハイデッガー)として生きる』と先日の記事で書かれており、これまた格好のいい、もののいい方である。
近藤さんはさらに深読みをする。「かっこいい。かっこよすぎるとは、かっこ悪いことなんじゃないか?」この深い洞察には参ってしまう。
ちなみに上に出てきたドイツ語「Sein zum Tode 死へと向かう存在」はハイデッガーのものらしいが、最近ではSein zum TodとTodeのeが落ちるようになっていると思うが、これはまだ慣用句としてeが残っているのかもしれない。似た例にnach Hauseがあるが、現在のドイツ人はnach Hausという人も多いだろう。Dativ(3格)のeは最近では「落ちるよ」とはもう50年近く前に聞いた、フライブルクのゲーテ・インスティツートの先生の言である。
今回の記事も彼の生い立ちの一部が漏れ伺われたりする、興味深いものである。近藤さんにまたメールをして見ようかと思っている。
(注)いまちょっと前に書いた原稿の手直しをして、「とうさつ」と入力したら、「盗撮」としか変換されない。中学校の国語の先生に「洞察どうさつと読むなよ」と口を酸っぱくして言われたのに、現在では「どうさつ」と入力しないと「洞察」とは表現されない。まあ変われば変わるものである。
という楽器をはじめてみた。見ただけではなくその演奏をきくことが昨日できた。
北川翔さんという演奏者であるが、三角の形をした楽器でバラライカは。音がかろやかである。もともとロシアの楽器であるらしい。三曲しかこの演奏を聴くことができなかったが、今年の秋にはまた同じ人たちが松山でコンサートをする機会があるらしい。
ほとんど偶然である、このバラライカの演奏を聞けたのは。松山市のコミュニティセンターでの愛媛合唱団の定期コンサートに東京の白樺という合唱団がガスト公演したのだが、そのグループに付随して来られたのが、バラライカの北川翔さんとアコディオンの太田知美さんだった。二人とも合唱団白樺と関係の深い人たちであることが演奏の合間に紹介された。
私には珍しく、土日と休みをとった。これは土曜日にパソコンを買いに行ったからである。4月だったかに新しいパソコンがそろそろいると言ったときにそういう金はないと拒絶されたのだが、今回はどういう風の吹き回しか私の「人生最後の」パソコンを買ってもいいという。
それでいつも電気製品を買う、Edionに出かけた。今回ははじめてlap topのパソコンを買った。まだ手元には届いてないが、そのうちに手元に届くであろう。
昨日は愛媛合唱団のコンサートに妻と出かけた。はじめてバラライカという楽器の演奏を聞いた。アコーディオンとの合奏だったが、なかなか軽快な音を楽しんだ。
定年前の約10年間は工学部の電気電子工学科の所属であったので、その学生のために「電気工学科ミニマム」という数学の公式集というか、むしろ「反公式集』に近いという冊子を編纂発行していた。これは3年間にわたって続けたが、最後の発行年が2001年であった。ちなみに定年退職は2005年である。
1年目はわずか32頁だったが、2年目は59頁、3年目は83頁になった。取り扱った数学は1年目は「三角関数、指数関数と対数関数、微分と積分、Taylor展開、ベクトル解析」だけだったが、2年目には「フーリエ解析、微分方程式、複素数」まで広がった。
3年目には「偏微分、双曲線関数、デルタ関数」にまでテーマを広げた。さらに「逆双曲線関数」も取り扱ったが、これは数学の先生の助言で付録とした。はじめはlatexを使えなかったので、Mathtypeだかの数式入力だったのであまり見栄えがよくなかった。偏微分の章あたりからは latex が使えるようになった。
そこらあたりぐらいから式の見栄えが急によくなった。ベクトル解析のガウスの定理とかストークスの定理とかの証明をどう自分で書いていたか「ミニマム」を今日引っ張り出してきてみたが、もう少し親切に書かないといけなかったなと思い始めた。記述の内容が間違っているわけではないが、親切心に欠けるようでわかり難い、記述である。
もっとも最近ではインターネットで「物理数学」というか、「応用数学」というかそれらの講義ノートとかなどで立派なものが出ている。私の冊子のような貧弱なものは恥ずかしいくらいだが、やはり自分が手掛けたものはなかなか捨てられない。
アクセス数が一時的にあがったので、それにつられて自分自身も一時ふわふわしていたが、気持ちが落ち着いてきた。だって自分は自分なのだから。
誰かがこのブログをなにかのヒントの手がかりにするのはその人の勝手であって、わたしにはかかわりがない。ただ、そいう人のための道を示すしか私にはできない。
よく高校とか大学の初年級で学ぶ「数学」とか「物理」の内容にしても私にはところどころ自分なりの理解ができているだけであって、全体が面か線だとするとまるでそれらの線上の点々であって、線状に続いたものとはなっていない。
そいう意味では、そういう分野にシリーズを書いている人は日本人にも数人にはとどまらないが、すごいものだと思う。そういうものを最終的には志向してはいるのだが、なかなかほど遠いことを自覚している。
特殊関数の母関数のつくり方では先刻ようやく伏見先生たちの『直交関数系』(共立出版)でエルミ―ト多項式の母関数の求め方をチェックした。もっとも、よく使うルジャンドル多項式の母関数の求め方はこの本には載っていない。
複素関数の知識が必要だと書いてはあるが、引用文献を見るしかない。しかし、あまりその文献は私の知らないというか持っていないような文献なので、ちょっとすぐにはわからない。
そういえば、特殊関数の母関数の求め方を書いた本はいままで見たことがない。しかし、これをいつか調べてみる必要があると気がついた、この頃である。
微分方程式の「級数による解法」がシグマの記号を使ってどのように表されているか細かなことだが、気になりだした。それで昨日いくつかの物理数学の本とかを読んで見た。
一階微分が入ったときに和をとる記号のはじまりがn=0ではなくて、n=1からはじめたり、二階微分が入ると記号がn=2からはじまるようにしたものもあれば元のままのn=0のままのものあるが、それによって「べき」を微分したために出てきた係数を書き直しているものとか、もともと最低次のべきを有限の値sとかにしているのもある。
調和振動の微分方程式を解くという、いわば量子力学ではお決まりの方程式であるが、それを見直している。あまり詳しい説明をしていないものが大部分である。
この解法を少し突っ込んで考えてみようと思っている。
このことはすこしづつわかってきた。わかった後になるが、クライツィグ『常微分方程式』(培風館)を見たら、私の疑問に思ったことについて、言及してあることに気がついた。この本は最近買った本なので、こういう話が出ているとは思わなかった。
日常ではあまり飲まない私だが、先日家に帰ったら、妻に「エビスビールを買っておいたよ」と言われた。
それでその日は飲まなかったが、昨晩夕食に飲んでみた。私はビールはあまりキリンとかアサヒとかは好まないので、サッポロビールがお好みである。これらはキリンビールとかが好きな兄とはちがっている。
東京の山手線の恵比寿駅の近くにえびすビールの発祥の地があるらしい。先日、妻が東京の子どものところに滞在していたときに妻が友人とこのえびすビールの発祥地のレストランへ行ったらしい。残念ながら妻はアルコール耐性がない人で飲めない。
だが、何か料理はそこで友人と一緒に食べたらしい。妻はこの友人とは松山で知り合ったのだが、ある事情でこの友人が東京に住むようになった。もっともこの人はもともと東京の出身である。それでときどき妻が子ども家の手伝いに行くようになったときに、暇を見てはこの友人と会うようになったらしい。
私が学生だったころだから、何十年も昔からエビスビールはこくのあるビールとして知られており、一本とか一缶の値段が普通のビールよりも数十円高かった。それはいまでも続いているのであろうか。だが、およそビールを買って飲むことなど大学に在職中は水曜の晩の夕食に飲むくらいであまり飲んだことがなかった(注)。
その後、むしろワインを飲むようになり、ドイツ語の先生方と一緒に居酒屋に行くときを除いてあまりビールを飲んだことがない。ある程度おつきあいに飲むことができるが、自分で自らビールを買って飲むことはほとんどない。ビールよりも飲まないのは日本酒で、これは郷里の I 市に正月に帰ったときに、兄と日本酒を一緒に飲むくらいで日本酒はもっと飲まない。
私は父からの遺伝の影響かアルコールは飲まない方だが、私の二人の兄は二人とも相当な飲酒家であり、その一人はすでに亡くなっている。
(注)水曜の夕食になぜという疑問を持たれる人もいるかと思うが、これはたまたま私には水曜日に授業が多かったという事情に起因するだけである。
定積分の公式を分類わけして、それぞれをどういう導き方をするのか。その導き方を述べておきたいという、ささいで、つまらない考えをもっている。
歴史的にはビーラン・ド・アーンというオランダ人が定積分にその生涯を捧げたということが言われており、彼の編纂による、定積分表の翻刻版を大学の在職中は公費で購入してもっていた(注)。
それをもっているだけで詳しく読んだことがなかったので、今になってそれがどういう内容であったか知りたいと思っている。大学の図書館にも古い版があるようだが、私が購入した版はどうしたものか大学の付属図書館には残っていない。どなたかの研究室にはあるようだが、それが私の購入したものである可能性は低い。だいたい大学が法人化されたあとで、複数の在庫がある本は古書商に売り払ってしまった可能性が大きいと思う。
そういう目的もあって、一時複素関数論の本を読んだりしたが、すべての実定積分が求まるようにも思えない。そういったテーマの数学エッセイはもう何年も前に書き始めているが、これは皆様にお目にかけられるようになるのかは今でもわからない。
ビーラン・ド・アーンの『定積分表』の話題にかえると、この『定積分表』にはミスプリントが多いとか、岩波の数学公式集に出ていたような記憶があるが、定かではない。日本での一番最初の版は岩波書店発行だとインターネットを調べてわかった。
(注)ビーラン・ド・アーンの『定積分表』はいまさっきインターネット検索で知ったところでは1200頁を超える大作であるとあった。そして、この日本での初版は1953年だという。欧米に遅れること約100年だとあるサイトにあった。
数式での計算をするのがいわば私どもにとって商売ということで、鉛筆を数式の計算に使うのが学生時代からの習性となっていた。そして電動の鉛筆けづり器が長い間私には欠かせなかった。
というのはボールペンで計算をしていたら、数式の計算の修正に困るからである。鉛筆ならゴムで消せば、修正がすぐにできる。日本製のシャープペンシルは線が細くて使い物にならないとこぼしたら、「線の太いシャ-プペンシルもありますよ」と技官のOさんが教えてくれた。
それ以来、シャープペンシルを使うようになり、電動の鉛筆けづり器とおさらばした。いま使っているのは日本製のシャープペンシルではなくて、ドイツ製のFaber-Castelというシャープペンシルである。芯の直径が0.7mmと日本製のよりも太く、これでそれまで鉛筆と縁が切れなかったのが、縁が切れた。
計算といえば、岐阜大学にいた、 K 君などは数式の計算を万年筆でしており、計算をまちがえたときにはナイフでその箇所をけづって修正していた。もっともこの K 君はとても体力のある人であり、めったに計算違いをしないという、いわゆる計算の達者な人であった。
徹夜で計算をしていたのに翌日けろっとした顔で大学に顔を出すという、とても体力のある人であり、彼のやる計算などは私のようなすぐに体が疲れるものには真似がとうていできない。
彼は大学院修士課程のときの研究のテーマとして、高階スピンの問題をとりあつかったので、スピンが3/2とかスピン2とか、はたまた、スピン3とかの場の量子化に関心があった。スーパーグラヴィティの理論では高階スピンの場が必要なるだろうというのが彼の言い分であった。
いまでは、くり込み可能な量子場としてはスピン0, 1/2, 1に限られるという話だが、彼はそんなことをあまり気にしなかったのではなかったろうか。しかし、その頑健でたたいても死なないと思われた、彼が心臓の病で亡くなったのは、とても惜しまれることであった。
シャープペンシルのことを書くつもりであったが、いつものように話がはずれてしまった。
特殊関数の母関数の求め方があるとは考えもしなかった。
もう何十年も前のことだが、「母関数の方法」というタイトルで数学エッセイを書いて、それを『数学散歩』や『物理数学散歩』(いずれも「国土社」発行)にも収録した(初めの発表は愛媛県数学教育協議会の機関誌「研究と実践」である。)。しかし、昨日またこのエルミ―ト多項式のことを調べていたときに、伏見康治、赤井逸『直交関数系』(共立出版)を見たら、このエルミートの多項式を導き出す、母関数を求めることが書かれていた。
私など凡人はこういう母関数は頭のいい人が考えた、いわば、神様が与えたようなものと考えてきた。しかし、それではいけないに決まっている。だれでも天才とか秀才と同じように特殊関数の母関数だって求めることができるようになる方がいいに決まっている。
だが、そういうことに生来的に敏感な私自身がもう鈍感になってしまって、母関数は神様が与えたものでないとしても、私とは、けた違いに頭のいい秀才か天才が考えたものであり、自分では考えなくてもいいというふうに考えていたとすれば、その姿勢は反省しなければ、ならない。
村上雅人『なるほど熱力学』(海鳴社)を昨日の日曜から読み始めた。妻がいつもののように知人にコンサートに誘われて行き、日中いなかったので、どんどん読んで行った。だが、まだ半分くらいしか読んでいない。
だが、この本はカルノーサイクルのことを終わりの方の章に書いてあるので、するすると読める。いままで熱力学がわかり難いと思っていたのが信じられないような感じのする本である。
この本はGibbsの自由エネルギー G を中心にして熱力学を展開しており、今まであまり見たことがなかったような本である。熱力学関数としてはGibbsの自由エネルギーG とかエンタルピー H とかもちろんエントロピー S とかは出てくる。あまり出てこないのはHelmholtzの自由エネルギー F である。これは付録に説明が出てくるだけである。
村上さんは東京大学の金属工学科の出身であるので、多分金属工学科の出身の方ならよくご存じの化学反応とかの関連の話が多い。なかなかこういう種類の話は私には苦手なのだが、いまのところあまり理解につまるところはない。
『なるほど熱力学』はひょっとしたら、いやひょっとしなくても熱力学についての名著に入るのではなかろうかと思っている。
しかし、束縛エネルギーについてもう少し砕いた説明がほしいという気がしないでもない。昔ほど束縛エネルギーに対してアレルギーはもってはいないけれども。
大学に在職中に M さんという金属工学科で物理化学の講義をしていた先生の大学院のセミナーに参加したことがあったが、そのときの聞いた知識とか考え方と村上さんの書いているところと似た感じがしている。この M さんの講義に出た後でだったと思うが、Legendre変換についてのエッセイを書いたことを思い出した。
このセミナーに出たときに「自然な変数」という用語を知ったと思う。
Gibbsの自由エネルギー G なら、圧力 p と絶対温度 T が自然な変数であり、エンタルピー H なら、自然な変数はエントロピー S と圧力 p である。Helmholtzの自由エネルネルギー F なら、それは体積 V と絶対温度 T である。内部エネルギー U ではもちろん自然な変数はエントロピー S と体積 V である。
Gibbsの自由エネルギー G が有用なのは大気圧で実験を行うことが多いので、圧力と温度を変数とすることが便利だからである。