物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

必要条件、十分条件の覚え方

2018-07-19 10:55:00 | 数学

必要条件、十分条件はどちらがどちらかがわからないと学生に言われたとかで、「わかりやすい覚え方は?」というのが先日の質問のこころ(意図)であったらしい。

インターネットにはいろいろ覚え方の工夫が出ている。「Aならば、Bである」という命題が正しい命題だとして、AからBへと矢印が向いているとする。

その矢印のさきにあるものBが必要条件だという。そして矢印の出どころAが十分条件だという。そういう覚え方もあるのだろう。

必要条件と十分条件を条件の集合と考えて、どちらが集合として大きいかを考えると、必要条件Bのほうが集合として大きい。十分条件Aは集合としてみたときに集合Aは必要条件の集合Bの中に含まれてしまう。そういう図を思い浮かべてBを必要条件とするという考えもあろう。

私の考えでは一つの記憶法では心もとないので、すくなくとも二つの記憶法を身につけておいていつも確認をしておくのがいいと思われる。そのうちに自然に判断がつくようになればいいのだが、さてどうだろうか。

「砂糖ならばあまい」という命題は正しい。そのときに「あまいことは」さとうであるための必要条件である。もっとも「砂糖」はあまいことの十分条件である。もちろんあまいものは砂糖だけではないし、はちみつもサッカリンもあまいかもしれない。だからあまいものとしては「砂糖」だけではない。あまいものの集合は砂糖だけの集合よりも大きい。だが、すくなくとも砂糖ならば、あまいであろう。だから砂糖であることはあまいことの十分条件である。

大学生が必要条件と十分条件について、どうも大学の受験勉強のようなノウハウを知りたがるのはちょっと問題ではあるが、学生から質問された先生の身になれば、窮余の策としてはこのような覚え方を教えるのは、しかたがないのかもしれない。

 


線形代数の学習目標

2018-07-18 13:34:53 | 数学

としては3つあるといわれる。

一つは行列のランク(階数)を求めること、私などは大学の数学といえば「線形代数と微分積分学」の2つになる以前に学生時代を送ったので、行列のランクの概念がわからなかった。

最近では1次連立方程式の係数行列とその拡大行列を、行列の基本変形という手段で階段行列に変形していくが、その変形によって、行の要素がすべては0ではない階段行列の数がその行列のランクである。

もし、係数行列とその拡大行列のランクとが等しく、さらに1次連立方程式の未知数の数とが等しいときには1次連立方程式は解が一意的に決まる。

しかし、係数行列と拡大行列のランクが等しくてもそのランクが未知数の数よりも小であるときには1次連立方程式の解は無数にある。

また、係数行列のランクが拡大行列のランクよりも小さいときには1次連立方程式の解はない。

これが線形代数を学ぶ一つの山の第1のものである。

つぎの線形代数の山は固有値を求めることである。これが線形代数の第2の山である。

そして第3の山はいうまでもなく、行列のジョルダンの標準形への変形であるという。

第3の山には到達しないとしても線形代数を学ぶならば、すくなくとも固有値を求めるところくらいまではやっておきたいというのが、線形代数の学習の目標になっている。

私などが大学では学ばなかった行列の基本変形が普通にどの大学でも少なくとも線形代数を学び人には教えられるようになっている。このことを知ったのは大学のときに有限要素法のセミナーを学生としていたときに、学生から教わったものである。

私が自分の大学時代での数学の学習では、行列のランクをまったく理解できなかったのが、目で見えるような形で行列のランクが定義されているのを知った。大学の数学教育も進んでいることをはじめて知った機会であった。


必要条件、十分条件

2018-07-18 12:11:31 | 数学

についてわかりやすい説明を書いた文献はないかと問われた。そくざに知りませんと答えたが、それは尋ねた人にあまりにも不親切だと思って、自分のもっている数学教育上で知られた幾人かの人の本を調べてみた。もっとも索引にある人のその説明を見ただけなのだが、説明が分かりやすいと感じたものはなかった。

どの本もこの必要条件と十分条件について書いてはある。しかし、それがわかりやすいとの判断はできなかった。これは何をしめしているのであろうか。

そもそもどういう人たちの本を調べてみたかというと、数学教育の権威でもあった、遠山啓さん、現在も存命で活躍されている、武藤徹先生の書、松坂和夫先生の本、志賀浩二先生の本、その他である。もちろんそれらの説明は懇切ではある。だが、私にはわかりやすいとは思えなかった。いや説明を読めば、それなりにわかりやすく書かれてあるのだが、もう一つだと思われた。

ということは簡単明瞭でわかりやすい説明など存在しないのではあるまいか。それでいくつかの例を挙げて説明をするしかないのではないかと思われる。必要十分条件に関しては現在では集合の含むとか含まれるとかに関係して説明がされており、いくつかの例を調べてそれで納得するしかやりようはないと思われる。

だが、絶対にわかりやすい説明ができないということは、もちろん言い切ることはできないので、あくまでそのような説明ができないかをいつも試みてみる必要はある。教育というのはそういう意味ではなかなか終わらないものだ。


トランプ大統領の行為

2018-07-18 10:38:03 | 日記

はなんでもまわりの国とか世界とかを困惑させているようだ。

アメリカ大統領は自国のいろいろの機関に対してすべてではなくてもある程度信頼をしていなくてはならない。ところが、ロシアに行って自国の機関に対して疑義を呈したかのような発言をする。まっとうな人とは言えないと誰でも判断するであろう。

パリ協定からの離脱やTPPからの離脱はそれを示唆していると思われたが、今度ばかりはアアメリカの情報機関よりもロシアのプーチン大統領を信頼したかのような発言であったらしい。

クリミヤ併合でロシアはG8から排除されたが、それを認めないというような感じの発言であるらしい。プーチン大統領は喜んだかもしれないが、ちょっとリップサービスが過剰すぎたようだ。

EUの首脳はトランプ大統領の扱いに困り果てている。世界恐慌に至らねばよいが、さてどうなることやら。アメリカは好況とかいうが、それもバブルだという人もいるようだ。


#はハッシュタグと読む

2018-07-17 10:44:01 | 日記

とかNHKのEテレで「SNS英語術」を見て知った。だが、#が、どういう意味を持っているのか知らない。機能的にはSNSでこの#をつけて投稿すれば、その関連のテーマのSNSに投稿できるという。

最近は新聞とかテレビとかではなくて、こういうSNSが一つの人と人との交流の手段となっているとかいうが、私はこういうものにはかかわらないようにしている。

それでなくても単なるブログでも炎上というほどではないけれども、炎上めいた経験をしたこともある。それでしばらくブログを書くのを1週間か2週間だけ控えたことがあった。

悪意の投稿だとまでは言わないが、人を黙らせて自分の意向を通すことを目的とするような方も論争のテーマによってはいないではない。

それも論争してもしかるべき意味のあることなら、まだいいのだが、あまりそうとも思えないことでもそうなることがある。そういうことは避けたいと思っている。たかがインターネットである。しかし、あまり神経質に論争などしたくないのである。


理想気体のエントロピー

2018-07-16 17:22:30 | 物理学

の計算がどこかにあるかと本を調べてようやく芦田正巳『統計力学を学ぶ人のために』(オーム社)にあるのを見つけた。やれやれ。式の計算はこれによると面倒だが、考え方は状態数を求めて、その対数を取り、それにボルツマン係数kをかけるだけであった。

これは戸田盛和『エントロピーのめがね』(岩波書店)の中に計算結果だけがでていたので、それを求めるのかを調べていたのである。

何冊も熱力学や統計力学の本を調べたのだが、どこかに書いてあるのだろうが、見つけられなかった。そういうところを知らんふりをして7月28日の雑談会で話をしてもよいのであるが、その詳細の話はしなくても自分の疑問に答えることは必要だろうと調べていた。


今日は連休の最終日だが

2018-07-16 10:45:47 | 日記

私は日曜以外は休まないことにここ十年ほどはしているので、仕事場に出てきた。

昨夜はウィンブルドンの男子決勝戦を見た。ワールドカップの決勝戦もあったのだが、テニスのウィンブルドンの決勝戦のほうが関心が強かった。

結局はジョコビッチが優勝をしたのだが、3セット目はアンダーソンも力を発揮したので、またアンダーソンの巻き返しがあるのではないかとまでおもわれたが、結局はセットカウント3:0でジョコビッチの勝利となった。

錦織が1ゲームをとった第4回戦を思い出した。ジョコビッチの強さが帰ってきたという感じが強かった。

サッカーワールドカップは結局フランスがクロアティアに勝ったと今朝妻のスマホで知った。前回のドイツの優勝が今度は隣国のフランスが優勝したわけで、なんのことはない、カップが結局のところドイツからフランスに移っただけに終わった。

毎回、ワールドカップは人々の関心を集めているのが、EUの大国ドイツとフランスとの優勝だとなると部外者としてみるとあまり面白くはない。結果を知る前にたぶんフランスが勝ったのだろうと妻と話をしたがその予想があまりにもどんぴしゃりと当たっていたのはあまり面白くはなかった。

しかし、年寄りのプレヤーだけを集めたと揶揄されたクロアチアの活躍はん¥ものだった。めざましいものだった。

 


今が一番過ごしにくい

2018-07-14 15:56:39 | 日記

季節だと思われる。それは蒸し暑い季節だからだ。8月も気温的には暑いが、それでも湿度が下がってくる。大学の宿舎に住んでいたころ8月になると湿度が少し下がってきたのを感じた。

もちろん、気温は高い日が続くのだけれど、湿度が少しづつ下がってきて過ごしやすくなってくる。もちろん、すぐには湿度が大きく下がってくるということはない。すこしづつ下がってくる。だから7月のいまがやはり日本で一番過ごしにくい季節であると思っている。

その季節をどうやってやりすごすのか。工夫のいるところではある。7月中だか8月になってだか覚えていないが、暑気払いと称して職場の職員組合が主催して夕方どこかのビアガーデンにくり出すこともあった。

しかし、それも若い時はいいがある程度年を取ってくるとそういう心の余裕も体のキレもなくなってくる。そういう年齢に今では達している。


成相先生

2018-07-14 11:15:47 | 物理学

成相先生は宇宙論の研究者でした。いまはない、広島大学付属の理論物理学研究所で研究をされていました。理論物理学研究所は学部の学生を受け入れてはいませんでしたが、大学院学生は受け入れていました。

私はもちろん彼の学生ではありませんでしたが、大学院のマスターのときに彼の相対論のセミナーをとりました。テクストは有名なメラーの『相対性理論』です。テクストは学生はすべて研究所の蔵書を借りて読んだように思います。学生数があまり多くなかったので、それくらいの冊数を研究所で用意していたと思います。

セミナーは一年間でしたから、一般相対論のところにも入ったと思うのですが、一般相対論は私には身につかなかったです。その後、10年以上たってロンドンを訪れたときに、書店でメラーのこの本を見つけて、購入し、いまでは自分でも同じ本をもっています。もっとも本は改定されて第2版となっています。

計算もある程度フォローしていたはずですが、まったくその記録は残っていません。先生、学生が計算がへたくそなので授業時間の後半ではいらいらして自分で黒板で計算することが多くなったという気がします。

少なくとも私たちから見ると計算がとても早くて、見る間に計算をしてしまうという感じがいつもしていました。いくら先生がよくてもどうもセミナーを学生のほうの学力というか実力がそれに伴わなかったという感じがしていました。

成相先生は猛烈な研究者の一人で、これは人から聞いた話ですが、夜の3時より前に寝たことはないとか聞いたことがありました。それくらい猛烈に研究をするという気風がこのころの理論物理学研究所にはあったようです。

もっともそういうハードワークのせいか、定年退職された後は、割と早く亡くなられたのを残念に思っています。

 

 


被害が大きかったのが

2018-07-13 11:51:23 | 日記

被害が大きかったのが、あまり台風とか地震とかの自然災害が少ないと言われていた、地方である、広島、岡山、愛媛であったことはどうも考えさせられた。

日本全国にはやはり安全だと主張できる地方はほとんどないことを思い知らされた。特に西日本豪雨の後の直後には広島と愛媛の被害が大きく報道されて、岡山の被害はそれほどではないのかと思われたが、日時が経つと岡山の被害が大きいことが分かってきた。

岡山も愛媛や広島と並んで、天災が少ないと思われてきたいい県であった。それが日時が経つにつれて、倉敷市真備町の被害が予想外に大きかったことが判明した。

それもすでに予想して、一般に公表されていた、ハザードマップとほぼ被害の範囲が一致したなどは科学や技術の予想が正しかったことを示している。

私たちがしておかなけれならなかったのはそれにたいする対策をもっと早くしておくべきだったということであろう。これはひとへに政治の怠慢である。


いろいろな職業の人

2018-07-13 10:53:32 | 日記

が世間にいるのは当然のことではあるが、音楽家という職業の人がいるのは私には信じられないくらいである。音楽は人間の作り出した大きな文化の一つだとは思うのだが、それを職業としてできるのが信じられない。

そういう考えはやはり世間の見分が私が狭いことを意味しているので、普通の良識ある人には当然のことなのであろう。ラジオのFMなどではそれらの音楽を職業にしている人が番組をもっている。

その一つにときどき車に乗っているときに、きくことがある、ジ・アルフィーがある。数人の男性メンバーの歌い手グループである。そのメンバーの全員の名前を知っているわけではないが、高見沢、坂崎、桜井さんというメンバーの名前だけは覚えた。

NHKのFMの番組をもっているくらいだから、愛好者にはよく知られたグループなのであろうが、私自身はこのグループの名前をほかのところで聞いたことはない。それは彼らの咎ではなくて、むしろ音楽に無知な私のほうの咎であろう。

ジ・アルフィー「終わらない夢」と題する番組をもってリクエストを受けたり、音楽を紹介したり、演奏したりしている。また、軽妙なメンバーのトークもいいと思っている。

 


H"atten Sie denn nicht st"arker bremsen k"onnen ?

2018-07-12 12:39:47 | 日記

「もうちょっと強くブレーキを踏むことができなかったでしょうか」という意味であろう。

これはある会話の中の一文を取り出したものである。この文章を見てあまり違和感を感じない人は、ドイツ語にかなり通じた人か、それでなければ、あまりドイツ語を分かっていない人であろうか。

状況は車に乗っていた男女が互いの車を衝突させてしまった。車はもう続いて乗ることなどできそうにない。そういう状況の下での会話である。事故に怒るでもなく二人がお互いの安否の状況を確かめ合っている。そういう状況を想像してほしい。

文頭のh"attenとbremsen k"onnenとは現在完了を形成するが、接続法第2式で丁寧に話をしている。(接続法の)現在完了なら、bremsen k"onnenではなくて、bremsen gekonntではないのと思う人もおられるであろう。だが、ここはやはりbremsen k"onnenが正しい。

このk"onnenは過去分詞(または完了分詞)である。もちろん、本動詞として単独でつかうときには、k"onnenはk"onnen, konnte, gekonntと変化するが、話法の助動詞としての動詞の3要形ではk"onnen, konnte, k"onnenと変化をする。

こういうことを知っていたからと言って私がドイツ語をとくによく知っているというわけではない。たまたま、こういうことを知っていたにすぎない。

しかし、こういうことは初歩のドイツ語学習者が学ぶ、ドイツ語文法書に載っているのだろうか。もっているドイツ語の学習書を探してみようか(注)。

 (注)早川東三『ドイツ語入門』(NHK出版)の「話法の助動詞の現在完了」の項にはちゃんと書かれてあった。


熱を温度差を利用しないで移動させる

2018-07-12 10:40:48 | 物理学

熱を温度差を利用しないで移動させることはできるか。もちろんできる。物理に詳しくない人はそんな馬鹿なと思う人もおられるかもしれない。答えはいわゆるカルノーのサイクルと言われるものでわかる。

物理の教師を長年してきたが、大学を定年退職する前の数年になって5年間ほどようやく熱力学を教えることとなった。

そのときにカルノーのサイクルを教えたのだが、どうもそのへんのことがわかっていたのかどうもあやふやである。1979年には朝永信一郎先生の『物理学とは何だろうか』(岩波新書)上が出版されてそれに「熱を温度差を利用しないで高温の熱源から低温の冷却器に移動させる」ことについて書いてあったのだが、どうもそれを読んだときにはっきりと認識をしていたとは言えない。

最近、熱力学のテクストを読む機会があり、また、戸田盛和『エントロピーのめがね』(岩波書店)を読んだりしていて、上に述べた『物理学とは何だろうか』を読んでみてようやく認識をした。カルノーのサイクルではピストンを準静的に動かすということで力学的な可逆過程を実現しており、また高温の熱源から低温の冷却器への熱の移動をその熱源と冷却器の温度差を使わないで行っているということが。

これで熱の移動にかんしても可逆過程となるように配慮をしていることがわかった。熱は高温の熱源から低温の冷却器にその温度差を利用して移動させるとこれはもちろん不可逆過程であり、カルノーサイクルが可逆機関であるという前提がくずれるが、このことをうまく回避している(注)。

村上雅人さんの『熱力学』(海鳴社)では、だからカルノーのサイクルをほとんど本の末尾にとりあげるという工夫をしている。

(注)等温過程で熱源から熱量Qをもらい、それを断熱課程で気体の体積を準静的に膨張させることで、力学的な仕事に変える。そしてその気体の温度を冷却器の温度と等しくなると力学的な仕事にならなかった熱Q'を冷却器に移動させる。このときまた準静的に気体の体積は圧縮される。このとき外界から気体に仕事がされる。

こういう風にして、確かに高温の熱源から低温の冷却器へその温度差を利用しないで、Q-Q'だけの熱を移動させることができる。しかし、サイクルにするために、さらに冷却器との接触を断って、断熱的にもとの気体の体積まで断熱圧縮する。ここまでくれば、このあとはサイクルをくりかえせばよい。


曲を演奏するときに

2018-07-11 12:21:02 | 日記

「その曲をリクエストした人のお便りを読むとその曲についての思いとかがいろいろで、リクエストに応じて演奏する曲の感じが毎回違ってくる」とNHKのFMラジオで番組をもっている「おばらたかし」さんが言っておられた。

演奏者とはそういうものかとあらためて知った。先日、歌手が、たとえば、恋の歌を歌うときにはどういう気持ちで歌っているのだろうとこのブログで書いたが、その一部の回答がこれで得られた。もっともその全部ではないが。

「おばらたかし」さんとはどういう人なのか知らないが、FMで11時から11時20分までピアノでいろいろな曲を弾かれている方である。合唱の指導もされているようだが、その詳しいことは存じ上げない。だいたい、私はピアノの音はあまり好きではないのだが、おばらさんの曲は楽しく聞かせてもらっている。そういう意味ではピアノの音といってもいろいろだと思う。


数学をどうして学ぶか

2018-07-11 11:29:09 | 数学

今日の朝日新聞に「どうして数学を学ぶ必要があるのだろうか」という疑問の読者の声とそれに対する意見が集中的に掲載されていた。

技術系の方々や高校の数学の先生が数学を学ぶ必要を述べていたが、高校の数学の先生は数学が不要ではないかという意見にも顧慮すべき点があり、そういう意見を参考にしながら、数学を教えるべきだという考えを述べておられた。もっともであろう。

私自身は数学が不要だと思ったことは一度もないが、それでも一般の人にも数学が興味深い要素を含んだ人間の創造した、一つの文化であることを音楽とか文学とかと同様なものだと、わかってほしいと思っている。

ともかくも、それが中学校や高校の課程に存在するから、教えるとか学ぶのではなく、生き生きとした興味あふれたものの一つであること、また、もし自分にそれが将来必要になれば、いつでも、また、いくらでも学ぶ直せるものだということを知ってもらいたいと思う。

もし、自分の生涯に数学が少しも必要がなければそれはそれで結構である。だが、どうしても必要だと感じたときには、ためらうことなく、自分でも学べるものだということだけは知っておいてほしい。

そのためには現在の数学の教え方がいいのかどうかは一考の余地があるだろう。