物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

ベクトル解析とか線形代数とかの書

2021-06-09 12:18:11 | 本と雑誌
ベクトル解析とか線形代数とか、私は数学に弱いので、徹底的にわかりたいという欲求がある。

だが、その欲求をきちんと満たすという力も努力もたりない。それでベクトル解析についてのテクストを書いてみたいなどという、たいそれた望みをもちながら、それが生きているうちにかないそうにはない。

べクトル解析は数学を専門にしない私たちにとっての数学学習の最後の学習目標でもある。これはいわゆる森ダイアグラムといわれている、ダイアグラムでは大学の共通課程での数学の最後の学習目標は「微分積分学」と『線型代数学」を経て、その集大成としての「ベクトル解析」となっている。

ベクトル解析の目標は「ガウスの定理とストークスの定理」を学ぶことであろう。

しかし、ベクトル解析の学習には、いろいろの学習のレベルがありうる。多くのベクトル代数やベクトル解析の公式をできるだけ簡単に導くというレベルもある。

このレベルではたぶん普通にはテンソル解析の初歩を学んで、Levi-Civitaの記号の縮約をうまく使って多くの公式を導くという、レベルがある。これは物理を学んでテンソル解析を知っている人はこれをベクトル解析に応用すればよい。

私の小著『数学散歩』が、8,000円の高値がついたり、または、その海賊版のpdfが出たりするのは、このことを私の本が書いているために貴重と思う人がいるためであろう。

特に、Levi-Civitaの記号の縮約についてたぶん初めて詳しく書いた本であったろう。いまではもうちょっとわかりやすく書いた本も最近ではあると思うが、そういうことに突っ込んだ、たぶん出版された本のはじめであったろう。

数年前に英語ではそれにあたる本がもっと完璧なものが出ている。

ところが、「ベクトル解析」ではdivやrotの物理的な意味を説明することに焦点をあてたものもあり、これで有名なった書に『物理数学の直観的方法』がある。この本は最近では新書にまでなっている。どこがこの新書を出しているのかはっきりしないが、講談社ブルバックスだったろうか。

もちろん、その前にもよく調べれば、これらの演算の意味を書いた書は皆無ではなかっただろう。だが、『物理数学の直観的方法』の出版後はそのことを意識的に書いた書は多くなった。

ベクトル解析といえば、微分形式でこのベクトル解析を学ぶ形式の書も多い。特にガウスの定理やストークスの定理が、微分積分学の基本定理の一般化した定理だということはやはり微分形式の普及によって知られるようになった。

それについて詳しく言及しているかどうかは問わないとすれば、それについて一言もふれない書は現在では微分形式の書としては不十分といわれてもしかたがなかろう。





暑くなった

2021-06-09 10:31:36 | 本と雑誌
一昨日くらいから暑くなってきた。

なにをやっていてもこたえる。昔の人はどうやって夏を乗り越えたのだろう。

最近はエアコンとかもあるので、ある程度は夏の暑さも冬の寒さもしのげるいい時代ではある。

それでも、やはりあまりにすぐにエアコンに頼るのはどうかと思うので、いくぶんかはやはり我慢することになる。

「数学・物理通信」の共同編集者のお一人は札幌在住なので、冬の寒さは比較的にいえば、私は経験がないが、逆に札幌在住なら、夏の暑さはわたしの経験しているほどにはひどくはないのではないだろうか。

青森の弘前に遠い親戚が住んでいたことがあり、私と同年の方もいた。それも同じ物理学専攻であった。

この方は多分今も健在だと思う。この方とその弟さんとが私の郷里の I 市に遊びに春休みに来たことがあったが、愛媛県では女性でも冬の日差しがかなりきついので、日焼けしていることに驚いていた。

もっともドイツに30歳半ばすぎて留学したときには、ドイツ人は小麦色に日焼けした肌を大いに誇りにしていることを知った。もっとも数週間の休暇に出かけて海辺でせっかく日焼けした肌となっても、数週間もすれば、もとの木阿弥の真っ白な肌になってしまう。

マインツ大学の物理教室の秘書のお嬢さんもポルトガルに休暇ででかけて、小麦色の焼けた肌を誇らしげにしていたが、そのうちにもとの白い肌にすぐにかえってしまった。 

私も色黒のほうだが、インドから来た留学生だってはじめは色黒だが、ドイツの冬を過ごしているうちにもちろん真っ白とはならないが、その黒さが白くさめてしまうから、冬のドイツの日照はほとんどないといってよい。

こういう陰鬱な気候によって精神的におかしくなる人もいるとのことで、2月または3月にあるファスナハト(カーニヴァル)はそのドイツの冬のうっ憤を晴らしてくれるいい機会なのだという話をする人もいるぐらいだ。

もっともカーニヴァルの盛んな地域は伝統的にカトリックの信仰がほとんどな地域である。プロテスタントの地域には基本的にカーニヴアルのお祭りはない。


数学・物理通信11巻3号の最後の点検

2021-06-08 13:00:09 | 数学
数学・物理通信11巻3号の最後の点検に出した。

この点検で著者からのOKがでれば、その数日後に発行となる。OKが出てもその当日とかには発行しない。これは私が慌て者であるので、ポカミスを防ぐというような意味もある。

今月は他にも「R氏退職記念文集」も編集しているし、なかなか忙しい。R氏はドイツ人のドイツ語の教師であり、この3月末で定年退職した方である。

配偶者は日本人である。そしてその教えた学生のうちでドイツ語圏に在住している方が少なくとも2人はいることも今回の記念文集を編集する過程でわかった。

R氏はドイツから来て、人生の大半を日本人にドイツ語を教えることにつくしてこられたが、逆に日本人でドイツ語圏で日本語を教えておられる方もおられると知ると、まさには因果は巡るという感じである。

Fussballzitate(7.6.2021)

2021-06-08 11:45:53 | 本と雑誌
ひょっとしたら、これは同じ引用の2回目となるかもしれないが、サッカーの名言である。

 Der Ball ist rund, 
     und ein Spiel dauert 90 Minuten.    (Hepp Herberger)

  (デア バル イスト ルント、
    ウント アイン シュピール ダウアート
     ノインツィッヒ ミヌーテン)  ヘップ・ヘアベルガー

 サッカーボールは丸い、そしてゲームは90分続く

だからどうだと言われても困る。しかし、そこからその人のサッカーに対する哲学をうかがい知るのは各個人である。

いつものようにドイツ語の原文の下のカナはドイツ語を知らない人のためにつけてある。ドイツ語に堪能な人は無視してください。

知らない人もカナを読んでみてください。拙くともそこからドイツ語に近づく道があるかもしれません。Viel Spass !  (フィール シュパース)

6月の子規の俳句

2021-06-07 14:50:20 | 本と雑誌
6月の子規の俳句を書いておこう。

 五月雨に御幸を拝む晴れ間かな    子規
 
  rainy season 
       looking up at Mt. Mikiji
       in clear moment                    (Shiki 1892)

御幸寺は「みきじ」と読む。E大学の北側にラクダのようなこぶの二つある、それほど高くない山がある。それがこの御幸寺山であった。

1968年4月から、京都大学のある研究所の非常勤講師を数か月していたが、そこでの半年の滞在から松山に1968年10月に赴任した。私の居室はE大学の工学部の3階の北側の部屋で、そこからこの俳句にも読まれた御幸寺山がいつもよく見えた。その半年後には京都大学の卒業生のKさんが赴任して来られて、それから、また一年かそこらをその部屋で一緒に過ごした。

松山は郷里の I 市からあまり遠くなかったので、高校時代にも松山に来たことがなかったわけではないが、松山での生活の始まりの記憶が、この御幸寺山であった。

いまから50年以上も昔のことである。






  

日曜日によく休んだので

2021-06-07 13:44:57 | 本と雑誌
日曜日によく休んだので今日の月曜は元気いっぱいである。

ところが、エッセイを読んでもらったところ、いろいろミスを指摘された。すべてもっともな指摘なので修正をしようとしている。

ところが、ちょっと致命的なことに気がついてどうしようかと今ためらっている。どうしてもその致命的なところについての考えを述べなければ、ならないのだが、どうも面倒なことになってきた。

一人で考えているときには気がつかなったことに、これは少し以前から気がついたのだが、どうしよう。

元ネタの高木貞治『代数学講義』(共立出版)にはそこをうまく避けて記述をしているように思われる。


手紙のやりとりしている I さん

2021-06-05 11:09:36 | 本と雑誌
4月の終わりころから埼玉在住の I さんと手紙のやりとりをしている。この方はパソコンもインターネットもしないという方だから、しかたなく手紙のやり取りである。

普通にはメールを送れば、その返事がその日か、すくなくとも次の日くらいには帰ってくるのだが、そうはいかない。

それでおつき合いは長くは続かないだろうが、今かかわっている件が一件落着するまではつきあいは続く。

私の希望として

(1)パソコンのワードを使えるようにする
(2)インターネットを使えるようにする

ことは手紙に書いたのだが、そのスタイルを変える気がないらしい。I さんはそれで不都合はなかったといわれるが、そのために誰かが下働きをされていることには考えが及ばないのかもしれない。

人の生き方はそれぞれだから、一概に悪いとは言えないかもしれないが、生産性が極めて低いと思う。

いまどき、20世紀前半的な方がまだおられるとは思ってもみなかった。

妻に話した私の泣き言

2021-06-04 12:28:00 | 本と雑誌
朝食後に妻に話した私の泣き言である。昨夜もドイツ語のクラスがzoomであった。

そのときにサッカーのヨーロッパ選手権ゲームが6月に始まるということでSpiegelのオンラインの記事を読まされた。

その中に使われているドイツ語があまりなじみのある語ではなかった。それが私の泣き言の原因である。Spiegelのドイツ語はドイツ人でもわかり難いとかいう人もあるとか聞くが、やはりドイツ語の語彙が3000~4000レベルの私たちにはすこし難しい。

ドイツ語検定試験でも準1級なら、5000語のレベルが要求される。ドイツ語学習歴は50年以上だが、趣味としてのドイツ語だから、私の語彙数は多くはない。すくなくとも5000語のレベルには達していないだろう。

それで私はドイツ語検定試験の準1級を目指すことがなかなかできない。たぶん1次試験で落ちてしまって、2次試験に進めないだろう。

大学生のとき、ドイツ語を学んだ頃にドイツ語の羽田野(はたの)先生は君たちの語彙数は3000語のレベルだろうと言われていたが、その域を何十年もそれから経つのに抜けられていない。いや、学生のころは数百語も知らなかっただろう。

Es gibt Hausaufgabe. (宿題がある)といった「~がある」という表現を知ったのも大学3年生のころである。普通にはもう外国語を履修する必要がない、3年生になってからだから、かなりおそい。




二つの文書を作成している

2021-06-04 11:49:23 | 本と雑誌
二つの文書を作成している。

それは一つはこの3月で定年退職したドイツ人のドイツ語教師 R 氏の記念文集とそれと並行して「数学・物理通信」11巻3号の編集である。

どちらも一応形はできたが、むしろこれからが編集の作業の佳境である。こういうことを何度も繰り返してきたのだが、それでもやりがいを感じている。

もっとも今月はまだもう一つ「数学・物理通信」11巻4号の編集をしなくてはならない。こちらの原稿も大分できたのもあるが、まだ編集中のものもある。

「数学・物理通信」は3の倍数月に発行するので、6月はそれにあたっている。一号の発行でも十分いいのだが、I さんの投稿があったので、それを11巻4号に掲載したいと考えている。

それにつけた私の関連したエッセイもあるのだが、それでもまだ30ページには足らないので、前に発表したエッセイを修正して掲載しようかと考えて手を入れている。これにどれくらい時間がとられるのかはまだ分かっていない。



eine "altere Dame

2021-06-03 10:23:34 | 本と雑誌
eine "altere Dameとは中年の女性の意味である。こういう表現を絶対比較級といったと思う。

altは「年取った」とか「老齢の」という意味だから、altの比較級だともっと高齢の女性となるのかと思うのだが、そうではなくて、こ れの意味するところは中年のという意味で年齢でいえば、40ー50代のいまでいえば、まだ相対的に若いといえる女性ということになる。

いや、こんなことを思い出したのはいま編集している、R氏の退職記念文集にある年度の卒業生がIn tiefer Dankbarkeit(気持ちとしては「深く感謝の気持ちを込めて」のつもりだろうか)と書いた一群の文章を寄せてくれたからだ。

「絶対比較級と受け止められるのではなかろうか」という危惧が生じている。もしそうなら、tieferではなくて、in tiefe Dankbarkeitの方がいいはずだ。

いまちょっと独和辞書を引いてみたのだが、In tiefer Dankbarkeitで「深く感謝して」と訳がついていたので、まずは大丈夫らしい。

やれやれ。

(付記)上にIn tiefer Dankbarkeitではなくてin tiefe Dannkabarkeitの方がいいのではないかと書いたが、どうも私の誤解であるらしい。

tieferの語尾erは形容詞の比較級の語尾ではなく、前置詞 in にしたがった格支配語尾であるらしい。それだと比較級には全く関係がないので、動作を伴ったものではなくDankbarkeit(感謝)の中にずっといるので、inは3格(Dativ)支配である。それで3格の語尾erがついていることになる。

つまらない誤解をしたのはやはりドイツ語が難しいことに起因しているだろう。形容詞まで前置詞支配の格語尾変化をするなんて。

サッカーの名言

2021-06-02 10:50:52 | 本と雑誌
今週の月曜日の夜のNHKのテレビドイツ語講座「旅するためのドイツ語」でのサッカーの名言は

  Was soll ich dazu sagen ? 
   Ich bin Torwart.    (Manuel Neuer)

である。

訳は
  それについてどういったらよいだろうか?
    私はゴールキーパーなので。

とでもいったら、いいのだろうか。これは負けゲームの後の名言であるらしい。



「数学・物理通信」11巻3号の編集はじめた

2021-06-01 14:23:11 | 本と雑誌
「数学・物理通信」11巻3号の編集はじめた。とはいってもまだ3番目の原稿のチェックが終わらないので、なかなか進まない。

二つの論文はいいとして、それらの合計は18ページくらいである。第3の論文はページが少ないので、20ページをようやく超えるくらいであろうか。

これを次号に掲載することにして、他の原稿を掲載することも考えなくてはならない。

私の関係した数学エッセイは二つあるのだが、これもあわせてもやはり18ページくらいであり、これを一挙掲載とはしないほうがよいと判断している。

「数学・物理通信」のページ数は一号を30ページと一応決めている。それに合わせた編集を考えなくてはならない。



R氏の退職記念文集への寄稿がほぼ集まった

2021-06-01 13:14:04 | 本と雑誌
3月末で愛媛大学を定年退職したドイツ人のドイツ語教師R氏の退職を記念する記念文集の原稿がほぼ集まった。

30人までは行かなかったかと思うが、20人は超えたと思うので、なんとか編集者の私の顔が立った感じである。

なかなかいきいきした文章を寄せてくれ方もあり、読み応えのある文集となりそうである。主な人のは私も読んで、すこしテニヲハを変えたりしているが、それでも元の文章がすばらしいものがいくつかあるのはさすがであろう。

これからどのように編集するかを考える時期が来ている。