物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

数学を理解するには2

2024-10-07 07:21:41 | 数学
ところが凡人の私たちには数学を理解するには「実例で考えなさい」と言われてもどういう風に考えたら実例が考えられるのかまったくわからない。

実例を考えられるためには数学そのものがわかっていなくては実例もかんがえられないという堂々めぐりとなる。

ただ、そういう風な指示はいつでも心にとめて数学の本を読むことを心掛けるしかない。そうすれば、いつかは自然にそういうことができるようになるかもしれないなどと頼りない期待にかけるしかないのだ。
 
そういえば、優れた数学者だった故池田峰夫(元京都大学教授)さんからポントリャーギンの『連続群論』(岩波書店)のセミナーを受けたときにも彼からいつでも「実例で考えなさい」との指示があったが、私を含めてセミナーを受けている学生は誰も実例で考えたりできているようではなかった。

そこが訓練された数学者と普通の学生との違いなのかもしれない。

そうだとすると数学を理解するということはやはり私たち凡人にとっては永遠のテーマなのかもしれない。

数学を理解するには

2024-10-06 10:44:25 | 数学
数学を理解するにはどうしたらいいか。

これは私が数学者Nさんから聞いた方法である。

Nさんは「実例を考えながら数学を理解したらいい」と言われていた。これはNさんの先生である数学者・倉田令二朗さんの教えでもあったのだろうか。

Nさんは東北のご出身だが、工業系の大学を出て九州大学工学部の大学院に進み、そこで倉田令二朗さんの教えを受けた特異な経歴の持ち主である。

だから、数学オンチの私などとも波長が合うというところがあり、友人となった。

彼と知り合ったのは実は大学生協関係の会であった。当時彼は高知大学生協の理事長であり、私は愛媛大学生協の理事長であった。これだって私が強く望んで理事長になったわけではなかったが、たぶんNさんだってそうだったろうとと思われる。

そこで出会ったときにはNさんが数学者であることも知らなかった。彼だって私が物理屋のはしくれとは知らなかったろう。もっともNさんは夫人が松山の出身であり、定年退職後の将来は松山に住むことだけは確かであったろう。

いずれにせよ、そういうことが私とNさんを結びつけるきっかけとなった。その後、2009年末から二人でメール配布のサーキュラー「数学・物理通信」を発行することになり、現在に至っている。

数年前に俊秀の物理学者Sさんを「数学・物理通信」の編集者にお迎えした。彼は中西先生(京都大学名誉教授)の共同研究者であったかたである。現在は編集者が3人となっている。

数学・物理通信14巻5号の発行

2024-10-05 15:44:20 | 数学
遅くなった数学・物理通信14巻5号の発行を昨日行った。それと14巻6号の予備的な編集も終わった。

それでその原稿を1次校正として投稿者に送った。いくつかの問題点を残してではあるが。

まず第一に武藤徹先生の著作リストの不完全性である。これは急に著作リストをつくろうとしているので仕方がない。今リストアップしている本の名は50くらいである。私自身が所有している先生の本はまあ多くても10冊程度であろう。

できるだけ本の現物をリストをつくることをしてきたが、今回はしかたがない。いくつかのデータが欠けたリストになる。

フリクション・ボールの意外な弱点

2024-10-05 15:14:01 | 科学・技術
始めにお断りしておくが私はフリクション・ボールの愛用者である。

先日、施設に入居している妹にちょっとした文書を送ってやった。そのときに宛先をいつも使っているフリクション・ボールで書いた。

数日して妹から電話がかかってきて表書きを何を使って書いたのかと聞かれた。実はこの手紙が妹のところに届くまでにすったもんだがあったらしい。というのは宛名が消えてほとんど見えなくなっていたらしい。

それでもなんとか届いたのからよしとせねばなるまいが、どこの誰に宛てた文書かわからなかったらしい。

フリクション・ボールは強くゴムでこすると字が消えてしまうという、優れモノのボールペンである。私は一生の大半を数式の計算をして過ごしてきた。

数十年前まではシャープ・ペンシルの愛好家であった。これは鉛筆では間違った計算を消しゴム消して修正ができるからである。

それがフリクション・ボールができてからはシャープ・ペンシルはもう使わなくなった。ボールペンではあるが、ゴムでこすって消すことができるようになったからである。

パイロットのこの製品はまずはヨーロッパで販売されたと思うが、そのうちに日本でもコンビニ等でも売られるようになった。

まだボールペンとしては一般にはそれほど知られていないかもしれないが、すぐれものの製品である。

ところが郵便物の表書きの場合には郵便物と郵便物が互いにこすれ合って宛名が消えてしまうことが起こるらしいことがわかった。妹にはこれから郵便物を出すときは宛名は普通のボールペンで書くと約束をした。

優れモノのフリクション・ボールにも弱点があることがわかった。パイロットの方々どう対処されますか。 

衣替えの季節

2024-10-04 10:52:33 | 本と雑誌
つい先日まで短パン、Tシャツ姿で闊歩していたが、さすがに寒くなってきた。エアコンなしでは暑くて室内にいることが難しかったのだが、それもなくなった。さすがに寒くなったあわてて長袖のシャツを出してもらった。

6月1日と10月1日が衣替え時期だと言われて来た。秋分の日を過ぎたら、ようやく暑さが涼しさに変わってきて、妻が『「暑さ寒さも彼岸まで」というが本当にそうだね』と言っていたが、その通りと頷けた。




人生を新たに始めることは

2024-10-03 11:46:29 | 本と雑誌
人生を新たに始めることはできないが、10月になって、ラジオの語学講座が新たに始まった。

私の場合にはドイツ語とフランス語の講座である。イタリア語にも関心があるが、まだこれにはとりかかることはしていない。まあ、一生そういう日はこないだろう。

もっとも私は大学院学生のころ1年間イタリア人にイタリア語を学んだことがある。もっとも50年以上も昔のことである。

そのときpiovet molto en casaという変なイタリア語を覚えさせられた。意味とすれば、「家の中に雨が降る」である。ぼろ屋でもなければ家の中に雨が降るはずはない。もっともcasaは家のことでCasablancaという都市があるが、これは白い家という意味である。

今日は検診日

2024-10-02 13:23:05 | 本と雑誌
今日は検診日であった。

9時過ぎにはこれは病院に行ったが、12時過ぎにようやく自宅に帰ってきた。これは私に腹部大動脈溜があるために血圧が上がることを内科の先生が極度に心配されるからである。

血圧が130以下である様にといつも注意されている。もっとも130代になることは血圧の薬のおかげでごくまれである。通常は110代である。

今日もあまり悪くはないということでむしろお褒めの言葉をもらった。だが、いつでも用心に越したことはない。特にこれからは寒くなっていく季節なので。


平和は戦いからは来ない

2024-10-01 18:10:39 | 本と雑誌
イスラエルとガザのハマスとの戦闘はレバノンのヒズボラに飛び火してしまった。ひょっとしたらイランとイスラエルの戦争に拡大するかもしれない。

これはイスラエルにはわるいが、こういう武力に武力を対抗させるのではいつまでたってもイスラエルに平和は来ないと思う。

イスラエルの人だってうすうすはそう感じているのだろう。だが、少しイスラエル人が死んだからといってその報復を爆撃とかでおこなったら、そのとばっちりにあう人がどうしてもでてくる。そしてそのとばっちりでなくなる人の方が多くなる。標的にした人の数よりも圧倒的に多くなる。

そして、その人たちの親族や隣人が恨みに思わないはずはない。和平しか最終的な方法はないのだ。いくら強力な軍備とか武器を備えていても。そのことがわからない理性のない人たちではないと思うのだが、実際の対応は最悪である。

そしてやはり同じ場所になかよくいろいろな民族が共存するということを志向しなくてはならない。

20世紀半ばの核戦争の脅威が叫ばれたころ、戦力の平衡ということは実現不可能だと世界の識者が論じた。それと同じことが小規模だが起こっている。そしてそれはいつ世界規模の大戦へと移行するかもしれない時代なのだ。

まずは力のあるものの自制を促したい。

つぎから、つぎへと

2024-10-01 12:31:37 | 本と雑誌
つぎから、つぎへと用があるものだ。

Nさんの『武谷三男の生涯』の原稿を見ることから解放されて、数学・物理通信14巻5号の編集をしてきた。その発行は明日か明後日になるが、目途はついた。

ということで14巻6号の編集がようやく視野に入ってきた。これも10月中には発行をしなければならない。

原稿は朝日新聞の近藤康太郎記者のと小方さんのがあり、武藤徹先生の追悼号なる予定である。それと私が用意している武藤徹著作目録である。これはなかなかすべての文献にあたることができない。

私の持っている本と国会図書館の目録から基本はつくったが、一部は愛媛大学図書館に行ってページ数を確かめたものもある。県立図書館にも4冊ほど私の持っていない本が所蔵されているので、県立図書館が休館になる前に行って見せてもらわねばならない。

それ以外は収録データとしてたらないものがあるが、これは仕方がないと考えている。

それらがすめば、本来の私自身の仕事に帰ることができる。なかなか忙しい。