物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

「一般から特殊へ」再考

2024-10-18 09:43:37 | 本と雑誌
「一般から特殊へ」というのは数学教育協議会を永年わたって先導してきた遠山啓の提唱した水道方式の主張である。

ところが私などがフランス語やドイツ語を学ぶときに日常よく使われる動詞は不規則動詞が多い、もちろんどの言語にも規則変化する動詞もあるが、日常よく使われるいわゆる英語のbe動詞にあたるものやhave動詞にあたるもの、行くgoにあたる動詞は大抵どの言語でも不規則動詞である。

だから言語の習得は「特殊から一般へ」のようでもある。もともと水道方式の提唱以前では「特殊から一般へ」という教え方が普通であった。

そこに「一般から特殊へ」という教え方を基本にするという水道方式の独自性があった。

ドイツ語のbe動詞にあたるものは動詞seinであるが、現在形での人称変化は

ich bin, du bist, (er, sie, es) ist
wir sind, ihr seid, sie sind

と不規則変化である。seinという原形からは想像もできない変化をする。 

一般的な規則と例外規則とをどのように教えるのか、言語教育はどうしたらよいのか。一度私も再考して見たい問題である。  

理解が一歩前進か

2024-10-17 12:10:15 | 数学
理解が一歩前進か。

いや別に大したことではないだろうが、「任意の大きさの四元数に、大きさ1の四元数(単位四元数という)をかけることは、単位四元数をかけられた四元数をある回転軸のまわりに回転させているのだ」ということの理解が一歩前進したのである。

私が『四元数の発見』(海鳴社)を書いたときに第3章でEulerの公式の四元数版としてEulerの公式を四元数の場合に一般化した式を書いておいた。もちろん、この式は私の発見ではない。

これは、Eulerの公式の四元数へ一般化した四元数は単位四元数であり、単位四元数をある四元数に掛けることはその四元数をある軸のまわりに空間回転させることと関係していたのだ(注)。

第3章でEulerの公式の四元数への一般化について書きながら、それが第4章の冒頭に述べた、四元数による回転公式u=q\bar{v}\bar{q}の理解に役立つとの認識がなかった。

何て浅薄な理解しかできてなかったのだろう、私は。1冊の本を書いて四元数の権威ぶっていたなんて,恥ずかしい。

(注)Eulerの公式を四元数へ一般化した四元数は単位四元数であることは私も示している。




いつものように

2024-10-16 13:13:41 | 本と雑誌
いつものようにブログを書く前に昨日からどのブログが読まれたかを見て、それを自分でも再度読んでいる。

自画自賛だが、なかなかどうして自分がけっこう知的な文章を書いていることに感心する。なんだか自分が書いた文章だとは信じられない。

ところどころ助詞が落ちていたりするとそれを補ったりもする。そうでないとやはり引っかかる文章であろうから。

2005年4月の終わりに子どもたちが流行りのblogを書き始めたらしいので、妻が「あなたも書けるのでは」ということで始めたblogである。ほぼ冗談とも思えたのに始めたblogであるが、もう20年目である。書いた回数は7000回はとうに超えた。

元参議院議員だったAさんなどはご自分の過去のblogを本として出版されているが、私はAさんほど知名人ではないのでそういう気持はもっていない。

それでも時々ではあるが、過去のブログを読んで下さる方があるのはありがたいことだ。高校の同級生でも私のようにほぼ毎日ブログを書いている人はいないであろう。

私の知人で何十年も日記を書き続けている人は知っているが。


優れた四元数による回転の解説

2024-10-15 10:39:04 | 数学
四元数はアニメのような3Dグラフィックスに関心のある若者をひきつけている。

ところが、この四元数による空間回転の表示が難しい(注)。世の中の秀才・才媛の方々はそういうものをあまり疑問には思わないで使って仕事をされているらしい。

ところがその四元数による回転公式がどのように導かれたかを解明してくれる、優れた解説をインターネットで見つけた。もっとも私自身はこの解説が優れた解説であることを認識していなかったらしい。私自身も四元数に関する本を書いているというのに。

これは「エフアンダーバー」というサイトの「クォターニオンと回転」という記事である。昨日午前と午後を使ってこれをフォーローしてみた。もっとも昨年(2023年)12月12日にこのサイトを見てプリントしていたのを読んだのである。

どういう職業の方のサイトなのかわからないが、四元数を使ったプロの開発技術者なのかもしれない。それにしてもきちんと理解したいという意欲を持った方がおられたと思い、ここにこの優れたサイトとその解説を推薦したい。

(注)難しいという表現が誤解を招きそうだ。表現自身は難しくはない。どうやってこの形で空間回転が表されることを見つけたかということを了解するのかが難しいのである。

(ー1)*(ー1)=1

2024-10-14 09:36:57 | 数学
(ー1)*(ー1)=1をどう理解するが。

これは中学校で代数を学び始めるときに問題となることであろう。私などはぼんやりした生徒であったから、それがどうしたということであまりこれにはひっかからなかった気がする。

しかし、考えて見ると不思議であり、そのことを納得しないと前に進めない生徒がいても不思議ではない。

いまでは複素数の乗法からのヒントを得てからの後知恵であろうが、ある数にー1をかけることは、その数を数直線上に表し、その数直線を原点Oのまわりに反時計方向に180度回転させたら、正の数は全部負の数になるし、負の数は全部正の数になるという直観的なイメージで説明をするだろう。

今回このことを言いたいためにブログを書いているわけでなく、そのことを書いた説明をランツォス著『数とはなにか』(講談社ブルーバックス、1970)にも見つけたということを書きたかったからである。

いまや四元数に関心がある人も、ない人もこのことを知っている時代になった。

私自身はある数にー1をかける、このイメージを高校生(1957年)だったときに藤森良夫『解析の基礎』上(考え方研究社)から学び、さらに大学時代にも遠山啓『数学入門』上(岩波新書)でこれから虚数単位 i の意味までも学んだ。いや、これもすでに『解析の基礎』で学んでいたことであったか。

だが、このイメージは意外と普及が遅れたが、いまや四元数の説明にこの事実は広く使われるようになった。

というのは虚数単位 i だけでなく、同じような働きをする新たな虚数単位 j をハミルトンがあることに気がついたというのが、四元数のそもそもの発見につながった。詳しくは小著『四元数の発見』(海鳴社)で述べた。

正弦定理と余弦定理

2024-10-14 09:02:51 | 数学
正弦定理と余弦定理の証明の図を『ゲームプログラミングのための3Dグラフィックス数学』(ポーンデジタル)の付録で見つけている。もっともこの本を古本で購入したのはもう1年以上前も前なので図はその購入時に見つけたのである。

それに基づいた正弦定理と余弦定理の説明を「数学・物理通信」に書きたいと思ったのだが、忙しさに紛れて忘れてしまっていた。

すでに2度くらい正弦定理と余弦定理の証明については「数学・物理通信」に書いたかと思うが、上に挙げた書の図がとても印象的であったので、その気になっている。他ではあまり見たことがない図である。

ひょっとしたら、秋山武太郎『わかる三角法』(日新出版)にも似たような図が出ていたかと思ってその本を探しに行ったが、これには同じような図は出ていなかった。

いずれご紹介をしたいと考えている。もっとも『3Dグラフィックス数学』の説明を私なりに洗練させた方法で紹介するつもりだ。

依頼された原稿の草稿

2024-10-13 18:32:17 | 本と雑誌
依頼された原稿の草稿を数ページだけ書いた。私は文章を書き始めるのはあまり苦にはならない。だが、出来上がりは遅いのが特徴である。

これは一度書きあげたと思った原稿を何度も読み返すからである。だから全体の仕上がりはそんなに早くはない。

ただ、文章を書くのは嫌いではない。もっとも名文を書くわけではないので、できるだけわかりやすく書こうとはしている。だが、それが本当にわかりやすくなっているのかは自分のことなのでわからないというのが実状である。

もっとも時間が経ってみれば、自分の書いた文章もある程度は客観視できるのであろう。過去の自分はある種の他人であるのだから。 それに自分の書いた文章であっても随分時間が経てば、理解できないことも起こってくるだろう。




研究者は貧乏2

2024-10-12 15:44:43 | 科学・技術
どうして研究者は貧乏なのだろう。その理由を考えておく必要があろう。人のことはわからないので、まずは自分のことを書く。

大学の定年近くから物理学者の武谷三男の著作を集めるようになった。これは主に古本として出ているものを買いあさったのである。私の貧弱なポケットマネーはすぐに底をついた。ほぼ同じことを数学者の遠山啓さんについても行った。

この二人はご自分もかなりの著書をもっているが、それだけではなく、それ以外に彼らとつきあいのあった関係者もかなりおられる。それらの人にも目を配るとすれば、結構広い範囲で本人の著作だけではなく、関係のあった人の書にも入手するように目を配らなければならない。

図書館で探すという方もおられようが、そういう個人の研究をなさる方は自前の蔵書をもっているだろう。そうすると少しくらいどこかで1回、2回印税が入ってもそれらはすぐに尽きてしまう。こういうことで日本語の本のみならず英語の本とかも買うことになると貧乏この上もないことになる。

確かに私の家にどろぼうが盗みに入っても金目のものはあまりない。確かに本は一人前にはあるが、現金ではないのですぐにはお金に代えられない。

私はまだ理系だからそれほどではないのかもしれないが、文系の方は私程度ではなかろう。そうすると研究者の方は必然的に貧乏になる。

私も現役で勤めていたときにはまだ給料もあまりなかったが、あまり本を自分では買う必要を認めなかった。これは学校の校費で買えばある程度自分で本を購入するには及ばなかったからである。

ところが定年になるとどうもそうは行かなくなって、自分で意識的に購入したというところもある。

ところが、国立大学の運営交付金は減り続け、研究者一人当たりの予算は少なくなってしまった。多分私の在職していたころの半分いや1/3に減っているのではなかろうか。これでは研究を続けるということがとても難しくなっている。

それに研究者個人の生活も経済的に押しまくられているというが実状であろう。

一難去って、また一難

2024-10-12 15:33:28 | 本と雑誌
そろそろ自分本来の仕事にもどれるかと思ったのだが、頼まれごとをされた。

それも締め切りが11月28日だとか、これではまた一月近く自分本来の仕事には戻れないだろう。

しかし、年を取るとこういった仕事はあるうちが花かもしれない。そう思って精を出すしか仕方がないだろう。




goo blogの改悪

2024-10-11 14:22:07 | 本と雑誌
goo blogの改悪について述べたい。

goo blogについてそれを使っていながら、その悪口を言うのは大いに気が引けるが、最近昔のblogに対してコメントの投稿があった。それがまったく新しいコメントなら、まだしも投稿者の名前は変わっているのかもしれないが、昔投稿され たコメントのコピーの投稿である。

これは何が何でもいたずらがひどすぎる。さっそくコメントを削除しようと思ったのだが、コメント管理のところを見てもすぐに削除できるように以前はなっていたのだ。

それでそこをちらった見たのだが、どこがどうなっているのやらわからない。これは改悪以外の何ものでもないのではないか。goo blog管理者の猛省を促したい。

(2024.10.12付記) こう書いてちょっとしたら実は問題のコメントを簡単に削除できることを知った。この悪口はだから削除すべきかとは思うが、記念に残しておく。goo blog管理者様、悪しからず。


数学・物理通信14巻6号の発行

2024-10-10 12:48:58 | 数学
年をとってせっかちになったので、先ほど数学・物理通信14巻6号を発行した。

今朝もう一度再点検をしたら、2か所ほど小さな訂正をしたくなったが、それを無視して発行を強行した。

これは自分のあと生きられる時間と自分のしたい仕事との関係を重視する観点からそうしたのである。それで自分が十分に満足できないのはわかっているが、小さなことを修正したとしても誰もが気がつかないような些細なことである。

そのための時間を費やすことがいいのかどうかと考えてしまった。私も含めて人は無限に生きられるという勝手な幻想をもっている。

理性的に考えたらだれもそういうことはあり得ないことは重々承知しているのだが、あたかも無限に生きられるかの如く振る舞っている。他の方は知らないが、少なくとも私はそうであると気づいてしまった。

それを反省しなくてはならない。この考えが今私に起こっている。

メメントダルベリック

2024-10-10 10:11:23 | 本と雑誌
今朝、朝食を取ろうしたら、メメントダルベリックという語が頭に自然に浮かんできた。ところがそれがどこから来たのだったかわからない。

単に言葉だけが頭に浮かんできたのだ。そのとき、そう妻に言ったら、妻がスマホで即座にお得意の検索してくれた。どうしてこの語を私の頭に浮かんだのかもわかった。

今年の4月から始まって9月に終わったNHKラジオの姫田麻利子先生のフランス語初級講座でのもう一人先生がアルべリック・ドリブル先生で、この放送中のコメントがメメントダルベリックであった。

M’emento d'Alb'ericと綴る。Alb'ericはドリブル先生の名前である。ドイツ語ならVorname(姓ではない方の前の名前)である。d'Alb'ericのdは元はdeだが、直後に母音のAが来るためにd'となっている。

M’ementoだが、これはラテン語由来の言葉で「メモ」くらいの意味らしい。

私もM’emento moriとかいう語を何回かこれはフランス語講座ではないところで聞いたり、見たりしたことがある。これは「死を忘れるな」というような意味に使われていたような気がする。

というようなことで我が家の朝食時は盛り上がった。

「数学・物理通信」14巻6号の編集が終わった

2024-10-09 16:52:27 | 数学
「数学・物理通信」14巻6号の編集が終わった。やれやれ。

発行は来週の月曜だろうか。というのも週末は私は忙しいからである。編集は文章の具合も見るが、それだけではない。

印刷具合も見なければならない。私は細かなところも気になるほうである。それでも見落としはある。これは一人の人間のすることであるからしかたがない。

編集委員となってくださっているSさんの寄与はとても大きいので感謝、感謝である。もう私一人で背負える限界を越えているような気がする。

3か月ごとの発行は私の力の限界を越えているような気がする。どうしたらいいのだろうか。


研究者はおよそ貧乏

2024-10-09 12:00:23 | 科学・技術
研究者はおよそ貧乏である。私が元研究者の部類に入るかどうかはわからないが、貧乏なことは事実である。

これはもう60年以上昔のことだが、高校生のころだったか、高校の卒業直後だったかに「あなたは金儲けには向いてない」と同級生だった女性に面と向かって言われたことがある。頭のいい女性で、兄さんは医者であり、そのお父さんも医者だった。

「いや、金もうけなどしようと思ったことはありません」とは言ったのだが、それでもたじたじとなった。

それにしても、なかなかづけづけ言う女性だなと思った。普通はそういうことはたとえ思っても口に出して言うものではなかろうと思う。

それくらいお金には縁のない気質だと思われていたのだろう。それはもちろんそのことはいまだって変わりはしない。

お金儲けにはならない「数学・物理通信」などというサーキュラ-を発行している。寄与は小さいとしても広い意味の文化には役立っていると思っている。

日本の科学技術の低下が言われて久しい。またその回復の見込みもあまりない時代ではある。しかし、日本の潜在能力としてはうまく組織すればそういう科学技術の再生できる要素を本当は日本は持っているという気がする。

ただ、その組織だった手立てはいままでのところ、まったく打たれてはいないし、どうしたらその手立てが打たれるのかの考察もされてはいないだろう。だから、現在は落ちるところまで落ちるしかないのかもしれない。

きわめて悲観的だが、しかたがないだろうか。



24 sur 24

2024-10-08 09:23:41 | 本と雑誌
24 sur 24はフランス語である。ヴァントキャトル スウル ヴァントキャトルと発音する。(フランス語の堪能な人はカタカナ発音を無視してください)。

いま辞書を引いてみたら、vingt-quatre heures sur vingt-quatre(直訳すれば24時間の上に24時間)と辞書にもあった。四六時中と訳があったが、いわゆる「24時間営業の」という意味である。

日本ではコンビニは24時間営業が普通である。だが、私自身はコンビニも23時まで営業をして、翌朝は6時営業開始にした方がいいという考えである。

ヨーロッパにいけば、お店は夜8時までくらいで閉めてしまうのが通例である。観光地でも日曜は観光の土産物店があからさまには営業をしていない。
日曜は開店不可の日だからである。最近は法律が変わっているかもしれないが。

もう半世紀ほど昔だが、ロマンチック街道の観光地であるローテンブルクを家族で訪れたことがある。私には2度目か3度目の訪問であった。日曜日だったかでお店はフルには戸を開けていなくて、戸を1/3くらい開けていた。いわゆる営業をしていない振りである。

もっともそこを戸を開けて入り何かおみやげの記念品を買った覚えがある。ローテンブルクの市門が写真に写った観光写真入りのターフェル(小さな板)である。いまでも自宅の書棚をカラフルなこのターフェルが飾られてある。

自宅の玄関にはこのときに買ったのではないが、元は銅版画だろうが、ローテンブルクの市街のパノラマ図の紙に印刷したものを提示している。

もっとも私の家を訪れた人で「これはいいですね」と言った人はまだ家を建てて50年以上になるのにそういってくれた人は皆無である。

普通の日本人はそういうものに無頓着でもある。ヨーロッパに憧れる人などいないのかもしれない。