どうして研究者は貧乏なのだろう。その理由を考えておく必要があろう。人のことはわからないので、まずは自分のことを書く。
大学の定年近くから物理学者の武谷三男の著作を集めるようになった。これは主に古本として出ているものを買いあさったのである。私の貧弱なポケットマネーはすぐに底をついた。ほぼ同じことを数学者の遠山啓さんについても行った。
この二人はご自分もかなりの著書をもっているが、それだけではなく、それ以外に彼らとつきあいのあった関係者もかなりおられる。それらの人にも目を配るとすれば、結構広い範囲で本人の著作だけではなく、関係のあった人の書にも入手するように目を配らなければならない。
図書館で探すという方もおられようが、そういう個人の研究をなさる方は自前の蔵書をもっているだろう。そうすると少しくらいどこかで1回、2回印税が入ってもそれらはすぐに尽きてしまう。こういうことで日本語の本のみならず英語の本とかも買うことになると貧乏この上もないことになる。
確かに私の家にどろぼうが盗みに入っても金目のものはあまりない。確かに本は一人前にはあるが、現金ではないのですぐにはお金に代えられない。
私はまだ理系だからそれほどではないのかもしれないが、文系の方は私程度ではなかろう。そうすると研究者の方は必然的に貧乏になる。
私も現役で勤めていたときにはまだ給料もあまりなかったが、あまり本を自分では買う必要を認めなかった。これは学校の校費で買えばある程度自分で本を購入するには及ばなかったからである。
ところが定年になるとどうもそうは行かなくなって、自分で意識的に購入したというところもある。
ところが、国立大学の運営交付金は減り続け、研究者一人当たりの予算は少なくなってしまった。多分私の在職していたころの半分いや1/3に減っているのではなかろうか。これでは研究を続けるということがとても難しくなっている。
それに研究者個人の生活も経済的に押しまくられているというが実状であろう。