【元日経新聞記者】宮崎信行の国会傍聴記

政治ジャーナリスト宮崎信行、50代はドンドン書いていきます。

◎これがトドメでしょう

2008年07月26日 14時07分33秒 | その他

 政府自民党の2009年度予算案づくりの最大の焦点だった「社会保障費の2200億円減少」について、額賀財務相と舛添厚労相が「原則同意」しました。

 この時点で、日本医師会が自民党(公明党及び国民新党の数人含む)一辺倒の支持をやめることが確実と思われます。県ごとの医師会では、1年前の参院選以降、民主党を支援する動きが表面化しています。

 そして、財務省が厚労省に“武士のなさけ”の格好で「含み」を持たせたことによって自民党は「爆弾」をしょったと思います。

 それは、

 「秋以降の税制改正論議で安定的な財源を確保できれば、

 抑制幅を2200億円以下にとどめる」との条件を付けた


 ことです。

 「安定的な財源の確保」とは、
 「消費税率の引き上げ」と全く同じ意味です。

 政府自民党にとって2009年度予算案は今の衆院議員の任期中、最後の予算です。
 この中で、「2200億円の社会保障削減枠の維持」か「消費税率の大幅引き上げ」かの二者択一を迫られました。いうまでもなく、どちらも自民党を大敗に導くシナリオです。

 しかも厚労省にはラストチャンスとして、「消費税率を引き上げる」という同省の設置の趣旨とは何ら関係のない条件が、“生き残り”の条件として与えられたのです。

 総選挙前に事実上敗北が決まる、いわば自爆のシナリオが濃厚となったという見方もできます。自民党議員が29日(火曜日)の閣議了解の前に巻き返しを図っても、それ自体が導火線に着火することになる可能性があります。

 このまま政府・自民党が解散を先延ばししたら、「国が破れて財務省あり」という結果を招きかねません。どうやらターニングポイントは越えたようです。私はほぼ雌雄は決したと思います。改めて、財務省というシナリオライターのすごさには驚嘆します。

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関連)「総理、まだ国民の声が届きませんか。」日本医師会、再び全面広告で福田首相に“警告”(7月26日アップ)

社会保障費2200億円抑制、財務相と厚労相が原則合意(読売新聞) - goo ニュース

 額賀財務相と舛添厚生労働相は25日、財務省で会談し、2009年度予算の大枠を定める概算要求基準(シーリング)の焦点である社会保障費の伸びについて、前年度と同じく2200億円抑制することで原則合意した。

 ただ、秋以降の税制改正論議で安定的な財源を確保できれば、抑制幅を2200億円以下にとどめるとの条件を付け、前年度並みの抑制に強く反発していた厚労省側が年末の予算編成にかけて巻き返す余地を残した。(後略)

額賀財務相と舛添厚労相、社会保障2200億円抑制で合意
7月25日15時0分配信 ロイター

 [東京 25日 ロイター] 額賀福志郎財務相は25日午後、舛添要一厚生労働相との会談後に記者会見し、2009年度予算の概算要求基準(シーリング)において社会保障費の自然増を2200億円抑制することで合意したと発表した。
 この結果、社会保障費の増加額は自然増8700億円から2200億円を差し引いた6500億円となる。
 額賀財務相は「社会保障は2200億円の削減を行うことが基本であり、その実現に向けて努力する必要がある」と強調。ただ「仮に社会保障に関連して新たな安定財源、つまり税制上の措置が確保された場合には、その取り扱いについて必要に応じ予算編成過程で検討していく」とも付け加えた。(後略)


「総理、まだ国民の声が届きませんか。」日本医師会、再び全面広告で福田首相に“警告”

2008年07月26日 14時04分46秒 | 第170臨時会(2008年9月~12月)麻生兵糧攻め

(このエントリの初投稿日時は7月26日午後1時半)

 社会保障費の毎年度2200億円の削減目標(~2011年)を福田自民党内閣が撤廃しないことについて、日本医師会が7月23日付読売新聞に全面広告を出し、福田総理を再度名指しで批判しました。

 日本医師会は7月15日付朝日、日経に第一弾の全面広告を出しています。

7月15日付【自民党に最後通牒】日本医師会が福田総理を名指しで批判 新聞広告で「史上初めて」の続きです。

全面広告は日本医師会のホームページで見ることができます↓
http://www.med.or.jp/etc/iken/hantai.html

 第2弾の全面広告は、 

 福田総理は、「国民一人ひとりが、安心して暮らせるようになったと実感できる社会を実現する」と言っています。

 と書き出しから福田総理を名指しする表現に修正されています。

 全面広告から8日間経っても、「2200億円削減目標」を撤廃せず、この日から数えて次の次の閣議で「目標」が決定するという運びになり、日医が福田首相に再警告したかっこうです。

 文章は基本的に変わりませんが、最後段の2行が大きく変わっています。

(7月15日)
 総理は、国民の声を十分に認識しているはずです。
 どうぞ、それを政策に結びつけてください。


 ↓

(7月23日)
 総理、まだ国民の声が届きませんか。
 いまこそ、政策を転換するときです。


 と言う風に、「懇願」→「進言」に変わりました。

 これは前回の広告が開業医など会員から多くの反響が寄せられ、執行部が自信を強めているのではないか、と感じました。

 そしてこの翌々日に額賀福志郎財務相が厚労省に舛添大臣を訪ね、「2200億円の削減に原則合意」したことで、自民党政府は“ルビコン川を渡った”と考えられます。

 大きく変更された2行の後、引き続き同じ文章で締めてくくっています。

 日本医師会は、社会保障、そして国民医療を守るために、国民の皆さんとともに戦い続けます。

 「国民の皆さんとともに」だなんて、あの日本医師会がよく言うよ、という気がしますが、ここ数年、政治方針についての葛藤が県医師会の会長選挙などで垣間見られています。

 この最後の1文には「自民党」という文字がありませんし、彼ら彼女らが構造改革の犠牲者であることも事実として受け止めたいです。

   
tag Nobuyuki Miyazaki kokkai-blog 社会保障 Social Security Policy of Japan,DPJ,LDP,General Election Campain,Vote,Opinion in Japan


【夢の対談】新旧最年少首長、改革のバトンをつなごう(後編)

2008年07月26日 00時30分31秒 | ルポ)最年少町長さんの誕生(2008年2月)

[写真左は民主党衆院議員・逢坂誠二さん、右は和歌山県印南町長・玄素彰人さん]

 前編からの続きです。

 玄素 当選前から、お金(マネー)の流れを知るということが町政の流れを知るということだと考えていたので、「1円以上決済」をすぐに役場に実施してもらいました。

 そうすると、8割から9割が自分がイメージしていたとおりでした。が、ただ1割前後の未決裁書類の中には、「いやあこんなのほっておいたのかって!(いう歳出が含まれている)。もうビックリですよ」(笑)。

 でも、「ああ、あの職員はあの人の親戚だからなあ」と考えると、だいたいどういうことかは分かってきます(苦笑)。

 逢坂 選挙で歩いているから、だいたいのことは分かるよね(苦笑)。だから政権交代があるのはいいことなんだよね

 玄素 先日は、町会議員さんが「分かりやすい予算書のコピーだ」というのを手に持って、(職員に)「ほら見ろ、(印南町はこれから)こんな予算書をつくるんだぞ」と言って歩いていた議員さんがいましたけども。表紙を見たら「ニセコ町予算書」と書いてありました(笑)。



[活躍の場は広がっても「本籍地はいつも地方自治」]


[町長としての日常業務も板についてきた(紀伊民報)]

 逢坂 それと、老婆心ながら(4年間という)時間は短いですよ。

 玄素 はい。

 逢坂 (町長就任直後の)今年度=平成20年度というのはある種、つぶしの期間ですよ。21年度からやっと魂が入った仕事ができるわけですよね。でも、21年度(予算)から町長がやりたいすべてのことが即実現するわけではないわけで。

 そうなると、勝負は22年度(予算)にどれだけのことをやるかということだと思うんですよね。それで、たぶん、23年度は選挙の年でしょう?

 玄素 はい。

 逢坂 でも、選挙の年になってから、あれこれやるというのは、実力のない首長さんの常です。「選挙イヤーだからやっている」と言われます。「首長は2期、3期やらなければいけない」という人がいますが、だれもそのこと(再選)を保障してはくれないわけです。

 あっという間ですよ。予算編成なんてできそうでいて、簡単にできないですよ。(税収難の)今の時代だから、町長には何ひとつ権限がないと思ったくらいがいいかもしれない。

 玄素 はい。

 逢坂 あれ、(印南町の)財政はどうなんですか?

 玄素 和歌山県内では2番目か3番目かに良いんですよ。

 逢坂 ああ、それは良かったですね。

 玄素 ただし、過去の町長が生活インフラなどに投資していなかったっていう逆の意味で怖い面もあるんです。が、借金がかさんで(周辺自治体と)合併せざるを得ないという状況には今のところなっていません。

 逢坂 〔身を乗り出すようにして〕 ああ、それは良かった。

 玄素 内部改革で、2000万円から3000万円の経常経費の削減を就任後の3ヶ月で(検討を)やっているんですけど、(向こう)10年~15年間はまあ(合併しないでも財政的に)やっていけると考えています)。

 万が一、合併の話が持ち上がっても(印南町としては)財政的に有利な状況で交渉できます。まあ、上から道州制の枠がはめられてくればどうなるかは分かりませんが。

 逢坂 財政の調子が良いって言うのは、そりゃまあ、いいですなあ。

 玄素 これまでは、ひも付き補助金といえばひも付き補助金なんですが、交付税償還のいいような事業を選択して、単独事業をほとんどやってなかったんですよ。(国・県の支出が多くて)町の支出が少ない事業を選択していたようなところがあってその辺は(財政抑制策としては)しっかりやっていたと思います。

 逢坂 あと、職員の資質を上げるって言うのが非常に重要だよね。最終的には自分に返るだけでなく、将来の遺産として残りますからね。

 玄素 何をすれば効果的なんでしょうか? 5000万円、1億円の経常経費の削減をやっていく中で、職員にお金に対する意識を持ってもらうことが大事だと思っています。

 そこで、逢坂さんに教えて頂きたいことがあるんです。私は職員の研修制度にかかる予算は2倍~3倍にしてもいいと思っています。逢坂さんは職員研修はどのようにやられましたか?

 逢坂 3つあって①座学②交流③実践です。

 座学は地域づくり活性化センターで「悉皆研修(全員研修)」をルール化しました。

 交流というのは、組織の中に異物を入れるというもの。同じ文化の中にいる人は外の世界の人を知らない。交流には「行く交流」と「入れる交流」がありますが、一番いやなのは海外の研修生を町に受け入れることです。これはめちゃくちゃ面倒ですよ。

 たとえば、僕の頬の中のタンパク質をヘラでとって、他人の体に飛ばせば、タンパク質は拒絶する。タンパク質だって「自己」と「非自己」を分けるでしょう。

 でも、それが新鮮で、やがて研修生を受け容れていく。そうすると、翌年には「なんだ今年は研修生いないの?」って言われるようになってくる。これは大変な変化ですよ。異物を入れると恒常的に異物を求めるようになってくる。

 玄素 〔メモを取る手を休めずに〕はい。

 逢坂 「実践」というのはプレゼンテーション能力ですね。怒られるという能力も必要かも。実践からモノを学ぶ。ただし年長の職員だけでなく、全世代がやらないと。何とかなるものですよ。研修計画書をつくった研修と、自主的に手を上げた職員が受けられる研修を上手く取り合わせれば、職員のパワーアップにつながります。

 町長である自分が分かっていても相手に分かるとは限らない。だから私は時には、職員への指示は黒澤明の絵コンテのようにイラストも入れて具体的に紙に書いて渡してましたよ。そうすれば具体的に手取り足取りやっていける。そういう職員が周りに入ることが大事。




[参考資料=黒澤明の絵コンテ]伊万里市のホームページ(http://www.city.imari.saga.jp/icity/browser?ActionCode=content&ContentID=1181119719720&SiteID=0&ParentGenre=1000000000134)から部分的にお借りしました。

 玄素 そうやって足腰の強い自治体をつくっていくのは大変な苦労ですね。

 逢坂 そうですね。

 玄素 ・・・

 逢坂 でも、まあ・・・なんとかなるもんですよ(笑)。

 玄素 [ホッとした表情で]ぜひこれからも教えて下さい。

 逢坂 もちろんです。さて函館行きの飛行機に乗らないといけないので、出ます。いつでも寄って下さい。

 玄素 きょうは本当にありがとうございました!

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関連エントリのご案内です。

逢坂さん)
2008年2月1日付
【つなぎ法案騒動】逢坂誠二前ニセコ町長の鬼の形相
2007年10月24日付民主党代表、札幌から全国行脚スタート 候補擁立記者会見

玄素さん)
カテゴリ 
最年少町長さんの誕生(2008年2月)告示前から当選後までつぶさに記録しました!

 上のカテゴリの中のエントリ 
 2月24日付本記
【最年少首長】34歳・玄素さん、和歌山県印南町長に当選
 2月27日付【思い出写真館】
 2月17日付「850万円(税込み)」2階建ての町政への関心


【夢の対談】新旧最年少首長、改革のバトンをつなごう(前編)

2008年07月26日 00時30分00秒 | ルポ)最年少町長さんの誕生(2008年2月)

[写真左は玄素彰人・印南町長、右は逢坂誠二衆院議員(前ニセコ町長)]

 全国最年少首長の玄素彰人・和歌山県印南町長(現在35歳=当選時34歳)が、かつての全国最年少首長(35歳で当選)の前北海道ニセコ町長、逢坂誠二衆院議員を訪ねました。

 場所は国会議員会館の最上階にある逢坂さんの議員事務所。衆院総務委員会で、地方分権改革を進める逢坂さんは、町長就任前からの玄素さんのあこがれ。夢の対談の実現に、私は「これは改革のバトンタッチだな」と感じました。
 


逢坂誠二(おおさか・せいじ) 

 1959年4月24日、北海道ニセコ町生まれ。北大薬学部卒。ニセコ町役場入庁。企画広報係長を経て、中枢ポストの財政係長に。1994年のニセコ町長選挙に出馬、現職の町長を破り当選。当時35歳は現役最年少首長だった。情報公開を一歩進めた情報共有、分かりやすい予算書の全戸配布に加え、2001年には「まちづくり基本条例」の制定に成功。自治体憲法として全国の自治体関係者から注目を浴びる。2005年9月に町長を辞職、第44回総選挙に民主党公認・北海道ブロック比例単独で立候補、初当選。衆院総務委員。次期総選挙は、健康上の理由で引退する金田誠一さんの後継者として北海道第8区(函館市など渡島支庁・檜山支庁管内)に国替えし、出馬する。




玄素彰人(げんそ・あきひと) 

 1973年4月17日、和歌山県印南町生まれ。明大政経学部卒業後、新進党東京第11総支部職員を経て地元・二階俊博衆院議員の秘書に。2001年、印南町議に当選。2005年町長選に出馬、800票差で次点。商社設立後、2008年2月の町長選(町長の病気辞職により前倒し)に出馬し、前職後継候補との一騎打ちを制し、初当選。全国現役最年少首長(7月現在)となる。党籍は無所属。


 【逢坂誠二さんと玄素彰人さんの対談スタートです】

 玄素 私が2年半前、最初の町長選挙に出るときに、周りの人から「玄素君、町長選に出るんなら、ニセコの逢坂さんの本を読んでおいた方がいいよ」と言われ、数冊読んで勉強しました。きょう初めてお会いできて光栄です。

 逢坂 こちらこそ。まずはご当選おめでとうございます。

 玄素 ありがとうございます。逢坂さんが町長選に出たきっかけは?

 逢坂 私はニセコ町の職員だったんですが、31歳の時に町長選がありました。役場内で「今の町長はちょっと駄目だ。新人候補を出そう」という話が持ち上がっていたんです。私はそのとき「今の町長の方がましですよ」と意見したんです。そうしたら「お前は何だ。みんなが現職以外を担ごうと一つになっているときにお前はとんでもないやつだ」と言われた。

 玄素 そのときの新人は選挙に勝ったんですか?

 逢坂 そうそう。現職町長は当時2期目だったんですが、いったん「降りる」って言っちゃって、支持者に説得されて1ヶ月前になってからまた出馬を決めたんで、準備不足だったんだよね。

 私はそのとき(31歳)にはもう役所に見切りを付けて、現職町長に「私はおいとましますんで」と辞表を出していたんです。そうしたら現職町長が「俺はどうしてもやりたいことがあるので、もう1期やる。悪いけどもう1期(4年間)だけ俺と付き合ってくれ。4年経っても、お前はまだ35歳だろう。そのときは(町長選に出たり、辞めたり)お前の自由にしていい」と言う。

 年長の町長にも逆らえないし、「じゃあおつきあいします」と言ったら、その町長が選挙に負けたんだよ。私は職員だから、選挙運動はしなかったんだけど、私のことを気に入っていた町民がみんな私を嫌いになった。
 ところが(新しい町長が就任して)2年、3年と経っていくと「あのとき逢坂が言っていたことが正解だったんじゃないか」と(言われた)。みんなで新人を担いだけど、(町長になってからの仕事ぶりは)「こりゃ、とんでもねえ」と。

 新しい町長のメッキがはがれてきた。そうこういているうちに35歳のときに私がやることになったんだけど・・・ まあ選挙はいろいろあるわね(苦笑)。

 玄素 本当にそうですね(苦笑)。


[逢坂さんの著作は一部の自治体関係者では“バイブル的存在”]

 逢坂 町内にご親戚は多いんですか?

 玄素 いやあ親戚は奥さんの方が多いくらいで。家内は隣の市の職員なんですけど、出身は印南町ですから選挙はやりやすかったです。次点と116票差でしたから、家内の親戚票がなければ大変だったなとつくづく思います。

 まあ選挙といっても、(公示後ではなく)その間ですよね。僕は一度浪人していますから。32歳で出て駄目で、2年半、自分の会社を立ち上げたり、それなりに準備ができたというのも(勝因として)ありますけども。

 その間も家内は市役所の方に勤めていてくれたんで、それで安定的な生活はできたんですけども。

 逢坂 私はね、実は地元に親戚が一軒もなくて、両親も全然ニセコと関係ない人なんです。

 玄素 そうなんですか!

 逢坂 よく「選挙には不利だ」と言われていたけれども、たしかにそういう意味での不利さはあったけど、でも、かえって良かったと今でも思っています。そのことが結果的に当選した後、私を縛るものが何もなかった。

 玄素 親戚が多いからと言って、良いとも限らないですね。

 逢坂 他人同士は元々仲良くしないのが当たり前。だけど、親戚同士の仲が悪くなると、その溝っていうのは、グランドキャニオンより広い溝になるからね(笑)。

 玄素 同感です。

 逢坂 どんな選挙したの?

 玄素 僕はもう徹底的にどぶ板選挙をしました。町内をずーっと(前哨戦で)3回、4回まわって、まあ、(当時の)町長がすでに入院していたという関係もあって、「早く準備してほしい」という支持者の声もあったんです。

 前回(2006年町長選)もその1年前から手を挙げていましたから。町民の顔と住所と家族構成というのはだいたい頭の中のデータベースに入っているんで。町長になってからも、「○○地区の○○さんが来られた」って聞くと、すぐに、「ああ、あそこの家の前の溝(の話)ね」って言えるっていうのは、徹底的などぶ板のおかげだなと思います。

 前回町長選は、自分自身ローカル・マニフェストを書いて、「これでもか!」っていうくらい自分自身作り上げたものを「何だこんなもん、できやしないじゃないか」、「絶対無理だよ」って言われながら貫いたんですけど。それで(前回)落ちた経緯があったんで。これ(マニフェスト)だけじゃだめなんだな、と初めて分かりましたんで。

 それでハイブリッド(混合)型で、現実を見据えた選挙をやったつもりです。

 逢坂 やっぱり選挙は会うのが一番。大きい選挙でも小さい選挙でも会うのが一番だと思うけどね、私はね。

 私の選挙で最初に出たときは私を支持してくれた町議っていうのは1人だけで、あとの町議は全員向こう(対抗馬)。私を推薦してくれた団体はゼロで、有権者と会うことすらままならない。

 玄素 そうでしょうね。

 逢坂 でもあるときから、会ってもらえるようになった。2ヶ月ぐらいの準備期間しかなかったけど、やっぱり「会う」ということだけで(反応が)変わっていきますからね。やはり会うのがイチバン。

 ――昨年から町長選でもローカル・マニフェストを配れるようになりました。前哨戦で後援会作成のチラシで、ミニ懇談会を町内全地区でやって浸透することができたようです。ただ、マニフェストを説明するのではなく、はじめに質問をしてもらって、それに玄素候補が返答するという「Q&A方式」をとって、それが良かったようです。(宮崎)

 逢坂 私の時はマニフェストはなかったけれど、まさに同じような感じですね。会って話が出て質問に答えて、答えたものを政策に入れ込んで、次回会うときに「あなたの意見を入れて、こんな政策に進化しました」みたいなことをやり続けた。

 玄素 前職の支持者は、なかなか会ってくれないですから。

 逢坂 で、私は「逢坂を『支持する、支持しない』は言わなくて良い」と言ったんです。私の話を10聞いたら、相手(対抗馬)の話を10~20聞いてくれ。同じ視点で聞いてみてくれ。で、どっちが良いかは投票箱の前に立ったときに考えて。やはりどっちを支持するか色を出すのは難しいところがあるんですよ、話を聞きに行っただけで、非難されるようなところもあって。

 玄素 田舎というのはどうしてもそういうところがありますね。その後は選挙は?

 逢坂 2回目からは無投票でした。

 玄素 そうですか![少しうれしそうな表情]

 逢坂 一度なってしまえば“現職中心主義”みたいなものがあるからね。

 玄素 そうでしょうね。


[夏のニセコ町=株式会社ニセコリゾート観光協会HP]


[冬の印南町=宮崎信行撮影]

 逢坂 で、町長になってどうですか?

 玄素 就任してから3ヶ月。馴染めないところもありますが、自分で「長」だなと思うのは、私のところのような小さい町でも一つの課題について、「調べてほしい」、「こういう所(目標)まで持って行きたい」と言えば、すぐに情報が上がってくる。160人ぐらいの職員がいます。そこから吸い上げられる役所というシステムは良くできたものだな、と感じることがよくあります。

 町議や代議士秘書のときには、そうそうすぐに上がってくるところはありませんでした。

 逢坂 自治体というのはどんなに小さくても数十名から百名のスタッフがいるわけですよね。ある意味、国会議員より戦力は多いんですよ。いろいろな(職員の)力の濃淡はあるかもしれないでしょうが。

 玄素 町長の決裁が必要な書類も以前は「20万円以上」だったのを「1円以上」にしたもんですから、(両手を広げて)こんなに(書類が)上がってくるようになって、一日出張に出かけただけでも、大変な量になってしまいます(笑)。

 ◇

 この後、「決裁書類を1円以上にした効用」を語る玄素さんに、逢坂さんは「だから政権交代があるのはいいことなんだよね」と応じました。

 さて、その意味とは? 夢の対談(後編)へ。

(前編の初投稿日時は7月11日)