【元日経新聞記者】宮崎信行の国会傍聴記

政治ジャーナリスト宮崎信行、50代はドンドン書いていきます。

ゲリラ豪雨は環7・環8沿いに多い?→気象庁調査へ 公明党・高木美智代さん

2008年09月11日 14時27分23秒 | 第169通常会(2008年1月~6月)ガソリン国会
【衆院災害対策特別委員会 平成20年2008年9月11日】

 国会閉会中ですが、災害対策に関する件(平成20年8月末豪雨による被害状況など)を議題に林防災相らへの質疑が行われました。

 公明党高木美智代さん(比例東京ブロック単独)は、「東京では、ゲリラ豪雨は西に多く、東に少ないと言われる。特に環7環8沿い(都道・環状7号線、8号線)に多いと言われている」として地球温暖化、ヒートアイランド現象と関係があるのではないかと指摘。そのうえで、「この地域はなぜ発生しやすいのかという研究をすべきではないか」と気象庁長官に質問しました。

 私は東京の東部に住んでいますので、23区西部の環7・環8沿いの方がゲリラ豪雨が多いとは全然知りませんでした。というか、自宅周りの今夏の状況を振り返って、これよりゲリラ豪雨が多い地域があるとは信じられません。南国の島のスコール並みです。

 こういう地域ごとの状況を聞き取って、まとめるというのは法令用語として存在しない「代議士」ということばが今でも使われる所以だと思います。

 平木哲・気象庁長官はさすがにゲリラ豪雨とは言わず「局所的集中豪雨のメカニズムについて研究し、蓄積する必要がある」として研究をすすめることを明言しました。

 ただ、ゲリラ豪雨を引き起こす大きな積乱雲の発生を地域ごとに予測・発表することは難しいとしました。

ゲリラ豪雨は自民党のコンクリート国家建設の愚策のせいだ

衆議院インターネット審議中継
(↓こちらをクリックしてください)


おかげさまでベスト10を維持しています。
政権交代=二大政党制」で「今日よりも良い日本へ!」と思う方は・・・
1日1クリック!  こっちもクリック
         

にほんブログ村 政治ブログ 政治・社会問題へ     

大野松茂・前官房副長官が出馬を断念 埼玉9区

2008年09月11日 08時34分28秒 | 第45回衆院選(2009年8月)政権交代

 福田内閣の官房副長官をつとめた自民党の大野松茂さん(72)が10日、埼玉県狭山市内の自宅で記者会見し、次期衆院埼玉9区への出馬を断念し、政界を引退することを発表しました。

 埼玉9区は飯能市、狭山市、入間市、日高市、入間郡毛呂山町、同越生町。

 大野さんは狭山市長から衆院議員に転じ、当選4回。今回の引退と関係があるかどうか分かりませんが、6月30日付の朝日新聞が、大野さんが衆院に当選した5日後に狭山市に対して大野さんの親族の私有地の売却を持ちかけ、実際に狭山市が購入したが、現在も未利用地(塩漬け土地)のままである、と報じました。本人も認めていました。


大野官房副長官の親族、狭山市に土地売り納税 「道路用」塩漬け11年(朝日新聞)2008.06.30 

 埼玉県狭山市が、道路用地として大野松茂・官房副長官(衆院埼玉9区、自民)の親族から買い取った土地が、11年の間、利用されていないことが分かった。買い取り価格は大野氏側の希望した2億8千万円余。同氏側は当時、相続税の手当てに困っていたという。その後の地価下落で土地には約8500万円の含み損が発生している。大野氏は「他の土地も市に売ろうとしたが、それは断られ、市から望まれてこの土地だけを売った。市に圧力をかけたことは一切ない」と言っている。(西川圭介、野上祐)

 大野氏は狭山市長を8年間務めた後、96年10月20日の衆院選で初当選。大野氏の説明によると、土地の売買は、その5日後に大野氏側から書面で市に買い取りを申し入れ、希望売却価格は約2億8258万円だった。一方、同氏の妻と長男は同年11月11日に大野氏の亡父からの相続に伴う相続税(約5億6千万円)の支払期限を迎えており、同日、この土地などを担保に銀行から約4億9千万円の融資を受け、相続税を納付したという。

 市の文書などによると、市が大野氏側からの買い取りの申し出を受理したのは同月28日。その後、実際に売買されたのは97年3月で、価格は大野氏側の売却希望額と同じだった。4月4日には根抵当権も解除された。

 狭山市の道路計画は、近くに既存の道路があるうえ、周辺の住宅地の買収も必要だったため、公有地の取得を審査する市の委員会内にも当時から計画の実現を疑問視する声があったという。

 土地は、西武新宿線狭山市駅に近い店舗と住宅の混在地域にある面積1439平方メートルの「畑」。96年1月、大野氏の妻と長男が相続した。民間の評価機関によると、現在の評価額は約1億9700万円で、買い取り価格より約3割下落、市の含み損は約8500万円になっているという。

 道路計画は60年に都市計画決定されて、一部で工事が進められているが、市が大野氏側から取得した土地のうち道路予定地は約3割で、計画は土地取得から11年過ぎた現在でも実現のめどがたっておらず、現在はグラウンドゴルフの練習場になっている。

 こうした現状に、市内部には「計画通りの整備は困難」との見方もあり、土地に隣接する別の道路を拡幅する案も浮上。この拡幅案でも土地の多くは道路用地には使われない見込みという。

 この土地について狭山市は「道路計画は今も有効で必要な土地と考えている。予算がつけば周辺の住宅地でも粘り強く用地買収を行う」とし、買い取り額については「市も鑑定したが、売り主側の提示額の方が低くそちらを採用したようだ。ただ、鑑定書はすでに廃棄されている」と話している。

 ●「市のため、圧力一切ない」

 大野副長官の話 亡父の相続税の物納を税務署に認めてもらえず、親族が土地を担保に金を借り、最終的に土地を市に売って銀行に返済した。都市近郊の農家はみな相続税に苦労している。

 当時は選挙で忙しく、すべてを顧問税理士に任せていた。民間に売った方が高く売れただろうが、市のためにと思って売った。市に圧力をかけるようなことは一切していない。

 道路整備が遅れているというが、将来的に必要なものは確保するべきだし、結果的に塩漬けになっている土地はいっぱいある。あの土地はグラウンドゴルフの練習場にもなっており有効利用されているし、住宅地に空き地を確保する意味も大きいと思う。


 ■大野氏と親族の土地を巡る動き(大野氏の説明などから)

 60年 3月    道路計画が都市計画決定される

 86年 5月    狭山市長に初当選

 96年10月20日 衆院選初当選

      25日 親族側が土地の買い取りを市に申し出る

   11月11日 相続税の納付期限。土地を担保に借り入れ、納付

      28日 市が買い取り申請を受理

   12月25日 市が買い取り決定を大野氏側に通知

 97年 3月24日 市が都市計画道路用地として土地を買い取り

    4月 4日 根抵当権が解除される


 ◇

 民主党の埼玉9区総支部長は五十嵐文彦さんです。



 五十嵐さんは時事通信社出身のため金融・財政に明るく、民主党内の税制議論でも積極的に発言することで知られており、早期の国政復帰をめざしています。
 時事通信政治部記者時代には、いまだに政治記者の間で語り継がれる武勇伝があります。中曽根首相の後継者をめぐり、五十嵐さんは「中曽根首相、後継首相に安倍晋太郎外相を指名へ」と報じました。結果として首相になったのは竹下蔵相でしたから、誤報です。しかし、五十嵐さんはこの記事を書いた時点で「竹下首相」の流れが決まっていることを知っていて、あえて誤報を書いたとされています。五十嵐さんは竹下蔵相よりも安倍外相の方が内閣総理大臣にふさわしいと考えていて、最後の一矢としてこの記事を書いたとされています。自由民権運動時代の新聞記者の気概を思わせる人間味のある一流ジャーナリストです。

ブログランキングの順位が上がります!ボチッとお願いします。
  
↓     ↓こっちも! 
  
tag Nobuyuki Miyazaki kokkai DPJ LDP Japan Politics,Election Jiji Press


自民党の臼井日出男・選管委員長が出馬断念 千葉1区

2008年09月11日 08時13分51秒 | 第45回衆院選(2009年8月)政権交代

[写真はyoutube]

 自民党総裁選挙管理委員長の臼井日出男さん(69)が、千葉1区からの出馬を断念し、引退する見通しとなりました。11日付朝日新聞が報じました。臼井さんは当選8回で、最小派閥「番町研」所属ながら、法相、防衛庁長官を務めました。

 千葉1区(千葉市中央区、稲毛区、美浜区)では、臼井さんの拳を握りしめた気合いの入った姿をあしらったポスターがかなり張ってありましたから、最近まで出馬の意思はあったかもしれません。

 かわりの自民党候補には、臼井正一・千葉県議=臼井さんの長男=の名前が挙がっているそうです。

 民主党の千葉1区総支部長は田島要さんです。

 

 第168臨時国会では、午前中は衆院総務委員会、午後には衆院安全保障関連の特別委員会で1日2回質問に立つなど八面六臂の活躍を見せました。東大法学部卒、NTT出身で当選2回。

ブログランキングの順位が上がります!ボチッとお願いします。
  
↓     ↓こっちも! 
  
tag Nobuyuki Miyazaki kokkai-blog DPJ LDP Japan Politics,Election
 FC2
ブログ村


「9・11」あれから3年

2008年09月11日 05時35分10秒 | 第45回衆院選(2009年8月)政権交代

 私が激しい衝撃を受けた「9・11」から3年が経ちました。

 郵政解散総選挙(2005年9月11日)は3年前。きょうもあのときと同じようにTVはお経のように自民党政治家の声が繰り返し放送しています。

 3年前と比べてあなたの生活はよくなりましたか?
 投票とは未来(向こう4年間)に向けてするものであって、過去に向けてするものではありません。

 郵政民営化が「金融改革」だということに気付かずに、TVでのイメージだけで自民党に投票した人たち。本当に次の総選挙には投票所に行かないでください。あなたたちは有権者として政治を分析するという義務を果たしていないのだから、投票する権利も行使すべきではありません。ハッキリ言って、迷惑なんです。

 投票率が60%と仮定すれば、3500万人が「民主党バス」に乗り込めば憲政史上118年目にして、初の「投票行動による政権交代」が実現し、二大政党制が68年ぶりに復活します。3500万人--そんなに難しくもない気もします。

 「9・11」から3年が経ったということは、逆に言えば1年以内に解散があるということにもなります。最大で最後の政権交代のチャンスです。

おかげさまでベスト10を維持しています。
政権交代=二大政党制」で「今日よりも良い日本へ!」と思う方は・・・
1日1クリック!  こっちもクリック
         

にほんブログ村 政治ブログ 政治・社会問題へ     

自民圧勝「296」、与党3分の2超…郵政法案成立へ
(2005年9月12日11時56分  読売新聞)


 第44回衆院選は11日投票が行われ、即日開票された。自民党は絶対安定多数(269)を大きく上回る296議席を獲得し、公明党と合わせた与党全体の議席が総定数の3分の2(320)を超す圧勝となった。

 小泉首相が最大の争点に据えた「郵政民営化」は有権者に信任され、首相の政権基盤は一気に強まった。郵政民営化関連法案が衆院選後の特別国会に再提出され、成立するのは確実だ。民主党は公示前勢力を大きく割り込む惨敗となり、岡田代表は辞任する意向を表明した。今回の自民党の歴史的勝利は、2大政党化の流れや、衆院と参院の関係などにも影響を与えそうだ。

 参院が否決した法案を衆院が再議決して成立させるには、衆院の出席議員の3分の2以上の賛成が必要で、与党は議長を含め、321議席を得ることが求められる。今回、自公両党がこれを上回ったことで、郵政民営化関連法案の成立は確実となった。ほかの法案についても、与党は、参院の動向に影響されず、安定した国会運営が可能となる。憲法改正の発議は「各議院の総議員の3分の2以上」の賛成が必要だ。

 自民党が、衆院選で単独過半数(現在は241)を突破したのは、1990年以来、15年ぶりだ。280の自民・民主対決選挙区で、自民党は214議席を制し、民主党を突き放した。前回2003年衆院選で民主党が強みをみせた首都圏や大阪などの都市部でも圧勝した。比例選では、民主党が前回占めた第1党の座を取り戻した。

 自民党の勝因は、先の通常国会で否決された郵政民営化関連法案の是非を国民に問う、とした小泉首相が、都市部の無党派層から幅広い支持を集めたことだ。反対票組を公認せず、女性や公募新人らを対抗馬に立てる首相の手法が、自民党の刷新を印象づけた。

 公明党は、公認候補を立てた9選挙区のうち、沖縄1区で敗れた。公示前よりも3つ減らし、31議席にとどまった。

 民主党は、公示前よりも64議席減らし、113議席となった。政権公約(マニフェスト)で年金改革などを打ち出したが、改革イメージを示せなかった。

 共産党は公示前と同じ9議席、社民党は公示前を2つ上回る7議席を確保した。国民新党は4議席、新党日本は1議席だった。

 郵政法案をめぐって自民党が事実上の分裂選挙となり、民主党を加えた三つどもえの戦いとなった31選挙区では、自公両党は14、民主党は4、反対票組は13議席をそれぞれ確保した。

 小泉首相は11日夜、報道各社のインタビューで、「国民は、私の郵政民営化を正論だと判断を下した」と語った。

 首相は、20日にも召集される特別国会で首相に選出された後、現在の第2次改造内閣の閣僚を基本的に再任する形で、第3次内閣を発足させる。10月中にも同法案を成立させた後、内閣改造に踏み切る考えだ。

 選出された衆院議員の任期は09年9月までだが、首相はインタビューで、「06年9月(の自民党総裁任期切れ)までが私の任期だ。それ以後(の続投)はない」と語った。

 ◆民主・岡田代表が辞任表明◆

 岡田代表は12日未明、「民主党代表を辞職する。速やかに次のリーダーを選定していただきたい」と語った。今月下旬にも、党大会に代わる両院議員総会を開いて新代表を決める。1996年結党の同党は、00年と03年の衆院選で躍進したが、今回の惨敗で抜本的な建て直しを迫られる。