中山国交相の後任に、金子一義さん(岐阜4区)が決まりました。
金子さんは小泉内閣で内閣府特命担当相(2003年9月22日~2004年9月27日)として行革、産業再生機構などを担当しました。
金子一義さんは産業再生担当相時代の2004年7月15日、経営再建中の三菱自動車工業の産業再生法(産業活力再生特別措置法)申請を受け付け、支援を決めました。
この際、三菱自の子会社「パジェロ製造」の工場が金子さんの選挙区内の岐阜県加茂郡坂祝町酒倉にあることから担当部署にハッパをかけていたという疑惑がくすぶっていました。三菱自は「岡崎工場(愛知県)存続・坂祝工場(岐阜県)閉鎖」を計画していました。
三菱自が政府への届け出前に再建計画を練っていた2004年5月22日付の読売新聞は次のように伝えています。
(抜粋引用はじめ)
「三菱自の坂祝工場存続 胸なでおろす従業員ら「仕事に打ち込むしかない」
三菱自動車の再建計画で坂祝町のパジェロ製造が存続することになり、坂祝工場内外では二十一日、喜びや「これからも頑張らないと」という意気込みが交錯した。
パジェロ製造の加藤勝人社長はこの日午後六時過ぎ、町役場を訪れて「今後ともよろしくお願いします」と梅田克己町長にあいさつをした。(略)
同社の近くにある喫茶店(略)は「三十年間、喫茶店を経営している間、工場が大きくなる姿も見てきただけに、閉鎖と聞いて悲しかった。今は、ホッとしています」と話していた。
一方、県ではこの日午後四時から、商工局や新産業労働局、坂祝町の担当者を集めた会議が開かれ、パジェロ製造の存続が報告された。
会議は当初、同社の閉鎖に伴う失業者の雇用対策、下請け企業の救済策などを話し合う予定だった。しかし、会議直前に、存続が伝えられ、参加者らは、ひと安心といった表情。梶原知事は「生産工場の存続は、地元経済の安定にとって大変喜ばしい。今後、地元としてもパジェロ発祥の地として、三菱自動車再建に向けて最大限の支援をしていきたい」とコメントした。
(抜粋引用おわり)
というわけで、急転直下の工場存続だったようです。
当ブログがこの件で、パジェロ金子の総務相届け出資金管理団体「飛友会」が大臣退任後の2005年6月7日付で当時の東京三菱銀行会長の「三木繁光さん」と同姓同名の人物から10万円の個人献金を受けていたという事実を発見しました。
2005年4月15日発行の「会社四季報2005年春季号」1158頁では「三菱自動車(工業)」について「巨額赤字で継続疑義。2700億円の増資策含む新再生計画策定だが、新車販売回復が不透明。三菱グループの支援に限界も。単体繰越損失2130億円は急拡大」と東洋経済新報社の記者は評しています。データからすると、取引先銀行の筆頭(メーンバンク)は東京三菱銀行(当時)と明記してあります。
この1ヶ月半後に、東京三菱銀行の会長が個人名で、金子一義・前大臣に個人献金をしているということは何らかの御礼の意味合いがあったと推し量るのが妥当ではないでしょうか。
国土交通省は自動車の安全を確保する役所です。三菱自動車は財閥の悪い体質を持っており、伸び悩んでいましたが、RV車「パジェロ」のヒットでようやく認知度が高まりました。しかし、2000年に発覚した三菱リコール隠し(リンク先はwikipedia)三菱自本体と三菱ふそうトラック・バス(現在は別会社)による大規模なリコール隠しで信頼失墜。「国土交通省によると2000年の調査が不十分だったことが判明し、会社の存続の危機に遭遇している」(上記のwikipedia)という状態です。
いくら首をかえても自民党はこんなのばかりです。どうやら食の安全だけでなく、道の安全も怪しくなってきました。
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中山国交相が辞任=国会混乱を理由、後任に金子一義氏-首相「誠に残念」(時事通信) - goo ニュース
中山成彬国土交通相は28日午前、首相官邸で麻生太郎首相に会い、一連の問題発言の責任を取り、辞表を提出し受理された。在任はわずか5日で、後任には自民党古賀派の金子一義元行政改革担当相(65)が固まった。民主党など野党は、首相の任命責任を厳しく追及する方針で、発足間もない麻生政権への打撃は大きい。
総合経済対策を盛り込んだ2008年度補正予算案の成立に意欲を示す首相は、野党の出方を見ながら衆院解散のタイミングを判断するとしているが、こうした戦略に影響が出かねず、スタートから苦境に立たされた。
中山氏は「重要ポストに就けていただきながら、職責を全うできず申し訳ない」と述べて辞表を提出し、首相は「誠に残念だ」と受理した。中山氏はこの後、国土交通省で記者会見し、「(国会)審議にいささかの支障があれば、本意とするところではない」と辞任の理由を説明した。
また、河村長官は記者会見で「発言や一連の経緯を踏まえれば、辞任はやむを得なかった」と語るとともに、首相の任命責任について「なしとはしない」と認めた。同時に「(政権への)ダメージがないと言えばうそになるが、政治の遅滞は許されない。成果を出して国民への責任を果たす」として、信頼回復に全力を挙げる考えを示した。