[写真]岡田卓也イオン相談役名誉会長=早稲田学報2010年4月号20頁から拝借しました。
お話を伺った応接室には大きな窓があり、太平洋がいっぱいに広がっていた。「晴れていれば、アメリカが見えますよ」、岡田さんはそういってほほ笑んだ。
早大の同窓会誌「早稲田学報」の4月号に、岡田卓也さんのインタビューが載っていました。イオン本社は、千葉市美浜区にあるんですね。千葉マリンスタジアムや幕張メッセの近くです。
早稲田の杜での青春よいずこ、岡田卓也さんは勤労学徒として、茨城・鹿島灘の浜辺で、アメリカ軍の上陸作戦に備えて、来る日も来る日も塹壕を掘っていたそうです。(岡田卓也著「小売業の繁栄は平和の象徴 私の履歴書」日本経済新聞社)。
遙かなる太平洋に胸を張るかに悠然とそびゆる鹿島灘は日本でイチバン長い灘です。その浅瀬を、米軍が上陸してくるという超正面突破作戦はとうてい考えられないと思うんですが、リーダーがアホだと、いつの世もタイヘンです。
早稲田学報では、岡田卓也さんに「なぜ木を植えるのですか?」とたずねます。
岡田さんはこう答えています。
「20世紀はアメリカとソ連の東西問題の世紀でした」(注:ロシアとは今のロシアのことです)、「21世紀は南北問題になる。その南北問題のキーワードは何か、私は『環境』だと思い、『イオン1%クラブ』と『イオン環境財団』を作りました。では環境とは何か。水と緑だ。水と緑ならば森、林だつなげていきました。環境財団の一つの仕事して『木を植えよう』と考えました」
岡田さんに、万里の長城の八達嶺に木を植えませんか?との提案が届きます。
「日本から延べ8000人のボランティアが中国に行き、中国の方と一緒になって100万本の苗を植えました」、「今や植える場所を探すほどになっている」、「失業救済ぐらいの気持ちで始めた苗木作りが、今や産業になっています」
[画像]木を植える岡田卓也さん、早稲田学報4月号から
そして、
「ラオス、タイ、マレーシア、ベトナムであろうが、青島、香港、カンボジアでもボランティアの方々と一緒にやります。当然、現地の人々も参加してくれます。ここから交流が始まります」。
「それから、アジア地域の変化というのは、日本の変化よりももっと早い。今、カンボジアへ行っても、ベトナムへ行ってもすごい変化です。自転車ばかりだと思ったら、カンボジアのプノンペンでも夕方になると車が渋滞するんです。驚きますよ」。
そして、中国については、こんな面白い話が。
「中国も最初に行ったころは、赤いものといったら旗だけか、というようなものでした。口紅なんて誰も塗っていないし、赤いものを探すのに難儀しました」
これすごいユーモアですよね。
昔の中国(大陸)に行ったときの感想が、赤いのは五星紅旗だけで、灰色の世界だった。これはおもろい。卓也さんの長男の岡田元也・イオン社長が記者会見後に、新商品と一緒にひょうきんなポーズで収まっている写真を新聞の経済面でよく見ますよね。ちなみに、卓也さんと元也さんはともに早稲田大学(商学部)を出ています。2人のユーモアはきっと早稲田で身につけたんだろうな、と思います。
そして、
「驚異的な速さでアジア諸国は変化しています。そういう意味では、若い人たちにはチャンスがある、と私は思います」と、次世代の若者たちへのエールでインタビューを締めくくっています。
さて。
岡田卓也さんは1959年(昭和34年)にアメリカにでかけました。その視察は「驚きの連続」で、帰国後、大いに発奮し、アメリカ流を取り入れて
「岡田屋」改め、
「SSDDSオカダヤ」というお店を開きます。
「SSDDSオカダヤ」とは
「セルフ・サービス・ディスカウント・デパートメント・ストア・岡田屋」の略だそうです。
セルフサービス方式を採用しましたが、「カゴを持って下さい」とお願いしてもお客さんはカゴを持ってくれず、常連客が「カタカナでオカダヤと書くとは何事だ」と叱られ、この1店舗で閉めました。とはいえ、「大量仕入れ・大量販売によるチェーンストアは、日本で必ず定着するという予感はした」そうです。(上記「私の履歴書」から)。
一方、小売業の繁栄に邁進する父とは違う「公の道」に進むため、東大法学部から通産省に進んだ岡田克也さんも太平洋を渡りました。
1986年1月28日、スペースシャトル「チャレンジャー」の爆発事故に毅然と振る舞ったアメリカ大統領、ロナルド・レーガン。
「私はアメリカの地で、政治や政治家の果たす役割の大きさ、あるいは政治の可能性の大きさに気づいた」「日本の政治を何とかしなくてはならない、と強く感じた。また、アメリカでできていることが日本でできないはずはない、とも思った」(岡田克也著『政権交代』 講談社、62~63ページから)
[画像]チャレンジャー爆発事故でも毅然と振る舞った米国大統領、ロナルド・レーガン(左)=US News & World Report誌から。
ロナルド・レーガンは、カリフォルニアの小高い丘から、太平洋を見守っています。西に見えるのは、ハワイであり、そして日本です。
さて、きょう8月5日は特別な日です。
いよいよAPEC浜の首脳会合まできょう(8月5日)であと100日となりました!!
かつて、世界の中心は地中海であり、大西洋でした。これからは、太平洋の時代です。世界の人口の4割以上、世界のGDPの6割近くはAPECなんですよ。少し自信を失い、内向きな日本ですが、横浜開港から151年間に吸収したあらゆるものを整理整頓して成熟させるチャンスです。
APECは2010年は浜、2011年はハワイ、2012年はウラジオストックで開かれます。先日、ウラジオストックでは、APEC2012向けに道路整備中にトラブルがあったとの外電を読みましたが、APEC浜2010が開かれる横浜市みなとみらい21地区のパシフィコ横浜は準備万端、大丈夫です。
高秀秀信・浜市長の時代にみなとみらいは日本中の注目を浴び、ゴールデンウィークのにぎわいでも全国ベスト3に入りました。2000年G8サミット開催は、九州・沖縄に軍配が上がりましたが、2008年のTICAD(日本アフリカ開発会議)に次いでの大規模国際会議の開催です。
[写真]パシフィコ横浜をはじめ、「みなとみらい21地区」の発展に多大な功績を残した在りし日の高秀秀信・横浜市長。
浜から、もう一度私たちは自信を持って、外洋に目を見開こうではありませんか。アジア太平洋各国の大統領・首相を菅直人首相と岡田克也外相らが迎えます。日本とアジア太平洋の発展のために、考え方の違いを超えて日本国民全員でおもてなしのこころを持ちましょう。
APECに参加するのは、
日本、アメリカ、ロシア、中国、香港、台湾、韓国、オーストラリア、ニュージーランド、カナダ、ブルネイ、インドネシア、マレーシア、フィリピン、シンガポール、タイ、ベトナム、パプアニューギニア、メキシコ、チリ、ペルーの21の国と地域です。
[画像]11月のAPEC浜首脳会合に参加する菅直人首相(日本)、オバマ大統領(アメリカ)、胡錦涛国家主席(中国)、ユドヨノ大統領(インドネシア)、メドべージェフ大統領(ロシア)、ベニグノ・アキノ大統領(フィリピン)=左上から時計回り
APECについて、もっと知りたい方は、下のバナーをクリックすると、「2010年APEC横浜開催推進協議会」のホームページに飛べます。
↓
100年先も、平和な太平洋であるために。
100年先も、豊かな太平洋であるために。
始まりはいつもヨコハマから!!
日本国民全員の総力を結集して、APECを成功させましょう!<rdf:RDF xmlns:rdf="http://www.w3.org/1999/02/22-rdf-syntax-ns#" xmlns:trackback="http://madskills.com/public/xml/rss/module/trackback/" xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/"> <rdf:Description rdf:about="http://blog.goo.ne.jp/kokkai-blog/e/6eaf91bade21d1a425177bbca2ac9698" trackback:ping="http://blog.goo.ne.jp/tbinterface/6eaf91bade21d1a425177bbca2ac9698/f5" dc:title="【APEC横浜まで100日】「晴れた日にはアメリカが見える」岡田卓也のアジア太平洋" dc:date="2010-08-05T08:21:03+09:00" dc:description="[写真]岡田卓也イオン相談役名誉会長=早稲田学報2010年4月号20頁から拝借しました。 お話を伺った応接室には大きな窓があり、太平洋がいっぱいに広がっていた。「晴れていれば、アメリカが見えますよ」、岡田さんはそういってほほ笑んだ。 早大の同窓会誌「早稲田学報」の4月号に、岡田卓也さんのインタビューが載っていました。イオン本社は、千葉市美浜区にあるんですね。千葉マリンスタジアムや幕張メッセの近くで" dc:identifier="http://blog.goo.ne.jp/kokkai-blog/e/6eaf91bade21d1a425177bbca2ac9698" /> </rdf:RDF> -->
お話を伺った応接室には大きな窓があり、太平洋がいっぱいに広がっていた。「晴れていれば、アメリカが見えますよ」、岡田さんはそういってほほ笑んだ。
早大の同窓会誌「早稲田学報」の4月号に、岡田卓也さんのインタビューが載っていました。イオン本社は、千葉市美浜区にあるんですね。千葉マリンスタジアムや幕張メッセの近くです。
早稲田の杜での青春よいずこ、岡田卓也さんは勤労学徒として、茨城・鹿島灘の浜辺で、アメリカ軍の上陸作戦に備えて、来る日も来る日も塹壕を掘っていたそうです。(岡田卓也著「小売業の繁栄は平和の象徴 私の履歴書」日本経済新聞社)。
遙かなる太平洋に胸を張るかに悠然とそびゆる鹿島灘は日本でイチバン長い灘です。その浅瀬を、米軍が上陸してくるという超正面突破作戦はとうてい考えられないと思うんですが、リーダーがアホだと、いつの世もタイヘンです。
早稲田学報では、岡田卓也さんに「なぜ木を植えるのですか?」とたずねます。
岡田さんはこう答えています。
「20世紀はアメリカとソ連の東西問題の世紀でした」(注:ロシアとは今のロシアのことです)、「21世紀は南北問題になる。その南北問題のキーワードは何か、私は『環境』だと思い、『イオン1%クラブ』と『イオン環境財団』を作りました。では環境とは何か。水と緑だ。水と緑ならば森、林だつなげていきました。環境財団の一つの仕事して『木を植えよう』と考えました」
岡田さんに、万里の長城の八達嶺に木を植えませんか?との提案が届きます。
「日本から延べ8000人のボランティアが中国に行き、中国の方と一緒になって100万本の苗を植えました」、「今や植える場所を探すほどになっている」、「失業救済ぐらいの気持ちで始めた苗木作りが、今や産業になっています」
[画像]木を植える岡田卓也さん、早稲田学報4月号から
そして、
「ラオス、タイ、マレーシア、ベトナムであろうが、青島、香港、カンボジアでもボランティアの方々と一緒にやります。当然、現地の人々も参加してくれます。ここから交流が始まります」。
「それから、アジア地域の変化というのは、日本の変化よりももっと早い。今、カンボジアへ行っても、ベトナムへ行ってもすごい変化です。自転車ばかりだと思ったら、カンボジアのプノンペンでも夕方になると車が渋滞するんです。驚きますよ」。
そして、中国については、こんな面白い話が。
「中国も最初に行ったころは、赤いものといったら旗だけか、というようなものでした。口紅なんて誰も塗っていないし、赤いものを探すのに難儀しました」
これすごいユーモアですよね。
昔の中国(大陸)に行ったときの感想が、赤いのは五星紅旗だけで、灰色の世界だった。これはおもろい。卓也さんの長男の岡田元也・イオン社長が記者会見後に、新商品と一緒にひょうきんなポーズで収まっている写真を新聞の経済面でよく見ますよね。ちなみに、卓也さんと元也さんはともに早稲田大学(商学部)を出ています。2人のユーモアはきっと早稲田で身につけたんだろうな、と思います。
そして、
「驚異的な速さでアジア諸国は変化しています。そういう意味では、若い人たちにはチャンスがある、と私は思います」と、次世代の若者たちへのエールでインタビューを締めくくっています。
さて。
岡田卓也さんは1959年(昭和34年)にアメリカにでかけました。その視察は「驚きの連続」で、帰国後、大いに発奮し、アメリカ流を取り入れて
「岡田屋」改め、
「SSDDSオカダヤ」というお店を開きます。
「SSDDSオカダヤ」とは
「セルフ・サービス・ディスカウント・デパートメント・ストア・岡田屋」の略だそうです。
セルフサービス方式を採用しましたが、「カゴを持って下さい」とお願いしてもお客さんはカゴを持ってくれず、常連客が「カタカナでオカダヤと書くとは何事だ」と叱られ、この1店舗で閉めました。とはいえ、「大量仕入れ・大量販売によるチェーンストアは、日本で必ず定着するという予感はした」そうです。(上記「私の履歴書」から)。
一方、小売業の繁栄に邁進する父とは違う「公の道」に進むため、東大法学部から通産省に進んだ岡田克也さんも太平洋を渡りました。
1986年1月28日、スペースシャトル「チャレンジャー」の爆発事故に毅然と振る舞ったアメリカ大統領、ロナルド・レーガン。
「私はアメリカの地で、政治や政治家の果たす役割の大きさ、あるいは政治の可能性の大きさに気づいた」「日本の政治を何とかしなくてはならない、と強く感じた。また、アメリカでできていることが日本でできないはずはない、とも思った」(岡田克也著『政権交代』 講談社、62~63ページから)
[画像]チャレンジャー爆発事故でも毅然と振る舞った米国大統領、ロナルド・レーガン(左)=US News & World Report誌から。
ロナルド・レーガンは、カリフォルニアの小高い丘から、太平洋を見守っています。西に見えるのは、ハワイであり、そして日本です。
さて、きょう8月5日は特別な日です。
いよいよAPEC浜の首脳会合まできょう(8月5日)であと100日となりました!!
かつて、世界の中心は地中海であり、大西洋でした。これからは、太平洋の時代です。世界の人口の4割以上、世界のGDPの6割近くはAPECなんですよ。少し自信を失い、内向きな日本ですが、横浜開港から151年間に吸収したあらゆるものを整理整頓して成熟させるチャンスです。
APECは2010年は浜、2011年はハワイ、2012年はウラジオストックで開かれます。先日、ウラジオストックでは、APEC2012向けに道路整備中にトラブルがあったとの外電を読みましたが、APEC浜2010が開かれる横浜市みなとみらい21地区のパシフィコ横浜は準備万端、大丈夫です。
高秀秀信・浜市長の時代にみなとみらいは日本中の注目を浴び、ゴールデンウィークのにぎわいでも全国ベスト3に入りました。2000年G8サミット開催は、九州・沖縄に軍配が上がりましたが、2008年のTICAD(日本アフリカ開発会議)に次いでの大規模国際会議の開催です。
[写真]パシフィコ横浜をはじめ、「みなとみらい21地区」の発展に多大な功績を残した在りし日の高秀秀信・横浜市長。
浜から、もう一度私たちは自信を持って、外洋に目を見開こうではありませんか。アジア太平洋各国の大統領・首相を菅直人首相と岡田克也外相らが迎えます。日本とアジア太平洋の発展のために、考え方の違いを超えて日本国民全員でおもてなしのこころを持ちましょう。
APECに参加するのは、
日本、アメリカ、ロシア、中国、香港、台湾、韓国、オーストラリア、ニュージーランド、カナダ、ブルネイ、インドネシア、マレーシア、フィリピン、シンガポール、タイ、ベトナム、パプアニューギニア、メキシコ、チリ、ペルーの21の国と地域です。
[画像]11月のAPEC浜首脳会合に参加する菅直人首相(日本)、オバマ大統領(アメリカ)、胡錦涛国家主席(中国)、ユドヨノ大統領(インドネシア)、メドべージェフ大統領(ロシア)、ベニグノ・アキノ大統領(フィリピン)=左上から時計回り
APECについて、もっと知りたい方は、下のバナーをクリックすると、「2010年APEC横浜開催推進協議会」のホームページに飛べます。
↓
100年先も、平和な太平洋であるために。
100年先も、豊かな太平洋であるために。
始まりはいつもヨコハマから!!
日本国民全員の総力を結集して、APECを成功させましょう!<rdf:RDF xmlns:rdf="http://www.w3.org/1999/02/22-rdf-syntax-ns#" xmlns:trackback="http://madskills.com/public/xml/rss/module/trackback/" xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/"> <rdf:Description rdf:about="http://blog.goo.ne.jp/kokkai-blog/e/6eaf91bade21d1a425177bbca2ac9698" trackback:ping="http://blog.goo.ne.jp/tbinterface/6eaf91bade21d1a425177bbca2ac9698/f5" dc:title="【APEC横浜まで100日】「晴れた日にはアメリカが見える」岡田卓也のアジア太平洋" dc:date="2010-08-05T08:21:03+09:00" dc:description="[写真]岡田卓也イオン相談役名誉会長=早稲田学報2010年4月号20頁から拝借しました。 お話を伺った応接室には大きな窓があり、太平洋がいっぱいに広がっていた。「晴れていれば、アメリカが見えますよ」、岡田さんはそういってほほ笑んだ。 早大の同窓会誌「早稲田学報」の4月号に、岡田卓也さんのインタビューが載っていました。イオン本社は、千葉市美浜区にあるんですね。千葉マリンスタジアムや幕張メッセの近くで" dc:identifier="http://blog.goo.ne.jp/kokkai-blog/e/6eaf91bade21d1a425177bbca2ac9698" /> </rdf:RDF> -->