[画像]外相の岡田克也さん。2010年8月5日の参院予算委(参院インターネット審議中継)。
【参院予算委員会 2010年8月5日(木)】
ある程度、歳を重ねた人ならば、菅内閣で外相をつとめる岡田克也さんが「怒ると恐い人」であることは察しがつくでしょう。身内でやる民主党代表選で、複数の候補が立ったときに、岡田さんが当選したことがないのは、「恐いから」かもしれません。国会議員は国益より私益を優先する、しょせんはサラリーマン崩れだ、という冷めた目も、私たち有権者は持っていいと考えます。
福島瑞穂さんが、参院選直前に、連立を離脱したのも、彼女が全国比例で改選期を迎えるという個人的な事情を抱えていたことを知っていれば、それは自然なことで、僕は別段、怒りは覚えません。
さて。
連立離脱および参院選での再選後、初めて予算委員会に立った、社民党党首の福島瑞穂さん。、普天間基地を辺野古崎沖に移す日米合意を「民主主義に基づき」破棄するよう求めました。
岡田さんは民主党幹事長として2009年総選挙を闘いましたが、「我々が選挙の前に出したマニフェストでは、県外・国外(への移設)ということばをあえて使いませんでした。その後、(社民党など)3党で連立の協議をしました。私は福島さんと直接、意見を交わしましたが、『県外、国外という言葉を3党合意に入れない』ということになった経緯を、(福島)委員もよくご記憶だと思います」と答弁しました。
福島さんは野党時代(2004年、2005年の)の菅直人さんが「県外移設」が持論だったと指摘しました。
菅総理は「今日の“国際情勢の変化”を踏まえて、5月28日の日米合意にいたった経緯は、(その時点で福島さんは内閣にいたから)よくご存じだと思う。岡田外相の発言にもあったとおり、(米海兵隊の)その存在が必要だ、と(日本は)考えているということで、日米合意を遂行していきたい」としたうえで、「沖縄の負担の軽減が目に見るかたち」になるよう、辺野古沖移転を進めていくと明言しました。
福島さんが「“国際情勢の変化”というのが分からない」として、首相に再答弁を求めると、岡田さんが答弁席に立ちました。
岡田さんは「例えば、北朝鮮情勢ひとつとっても、韓国の哨戒艦が沈められて、46人の人命が失われた。これは現実に最近起こった出来事であります。まあ、そういった非常に緊迫した状況の中で、(東アジアの安全保障をめぐる)状況は数年前と比べて、厳しくなっていると考えるのがふつうだと、私は思います。また、中国の東シナ海・南シナ海における活動についても様々なことが問題になっており、中国の海軍力の増強もここ数年、目立っているわけで、その辺も、国際情勢の変化として踏まえないといけないと思います」と答弁しました。
福島さんは「どうして沖縄を踏みにじるんですか?どうして沖縄を切り捨てるんですか?これじゃあ自民党と同じ手法じゃないですか」。
[画像]社民党の福島瑞穂党首(参議院インターネット審議中継)
岡田さんは「ですから沖縄のみなさんの理解を得ることが大事だ、と申し上げているんです。もちろん、踏みにじるとか、そういったことを考えているわけではありません」。
そして、岡田さんは、ある答弁をします。この答弁はとても印象深かったので、エントリーの最後にご紹介します。これを聞いて私は、10ヶ月強で、岡田さんも成長したんだな、僕もがんばらなきゃな、と感じました。
先を急ぎます。参院委員会室に戻ります。
福島さんは「安全保障の名の下に、基地をつくるのは政治手法として間違っている」とし、「民主主義に基づき、連立3党の合意に基づいて」、辺野古沖移設の日米合意を破棄しろ、と求めました。
これに対して岡田さんは、
「(キャンプハンセン沖に)新たな基地をつくるというのは負担であります。しかし、その結果として、普天間基地が無くなるということは、非常に大きな“負担の軽減”ではないんでしょうか?
そしてそれに関連して、8000人の海兵隊員がグアムに移転するんです。これは“負担の軽減”ではないんでしょうか?
そして、嘉手納以南にある基地の多くが帰ってくるんです。これは“負担の軽減”ではないんでしょうか?
そういったこと全体で考えていかないと一部だけを取り出して議論するのはフェアでないと思います」。
これに先立ち、岡田さんは羽田内閣、橋本内閣、鳩山内閣の3度にわたり連立政権を途中で投げ出した社民党に、次のように答弁しました。
「まあ、福島委員のお話を聞いておりますと、沖縄のみなさんの(県内移設に対する失望の)お気持ちは、おっしゃるとおりだと思います。しかし、それだったら、(日本)全体としての安全保障の問題はどうなるのでしょうか?
いったいどうやって、この国を守っていくのでしょうか?
国民の生命と財産はどう守るんでしょうか?
そのことに対する答えがなければ、私はあまりにも一方的な主張だと思います。福島委員とは、一時期、政権をともにしましたが、
政権を担っていくということは重荷を背負っていくということ であります。私はその重荷をともに背負っていけなかったことを残念に思います」。