[写真]北澤俊美さん、宮崎信行撮影
「3・11」以降の自衛官、即応自衛官、即応予備自衛官、内局のみなさん。そして、そのご家族、恋人、すべてのみなさまに心からの感謝と、ねぎらい、そして、一人の日本国民としての誇りを表明します。なかでもとりわけ、今もご遺体の捜索にあたる、主に陸上自衛隊のみなさまのご労苦には、感謝の言葉もみつからないほどです。
このほど放送された朝日ニュースターの「別刊朝日新聞」に、防衛大臣の北澤俊美さんが出演。司会は朝日新聞の加藤洋一・編集委員で、私が日経の首相官邸取材ブースの末席に記者用パソコンを置いていたときに、壁を隔てて隣り合う朝日新聞官邸取材ブースの奥に控えてキャップとして指示を出していたのが、加藤記者。おそれおおくてお話ししたことはありませんが、その後、ワシントン特派員となり、ワシントン支局長として「オバマ大統領誕生」を見届け、今は帰国されています。
で、この中で、2011年4月4日、東北太平洋沖で震災救援にあたっていた米空母「ロナルド・レーガン」を北澤防衛大臣が訪れたときの動画が放送されました。この動画、加藤キャスターは「だれが撮って、なぜ朝日ニュースターにビデオがあって、放送できるのか」はいっさい語らず、放送されました。ということは加藤記者のコネクションで、入手した動画だということになるのだと思います。で、朝日ニュースターで放送されたものとはいえ、「高度にニュース性の高い素材」に関しては、著作権法の例外規定があるので、キャプチャーをブログで紹介させていただきたいと思います。
[画像]自衛隊機で空母「ロナルド・レーガン」に着艦した防衛大臣。ヘリで後ろ向きで、洋上の空母(護衛艦)に着艦するのは、俊美さんとしても初めてで、あの剛胆な大臣も緊張したそうです。
[画像]洋上の強い風に髪もなびかれながらも、さっそうと。
[画像]日本国防衛大臣に敬礼する米軍人。制服が違うと言うことから、おそらく4軍(陸軍、海軍、空軍、海兵隊)の代表者だと思います。こういった統合運用は、「3・11」以降、日本自衛隊でもしっかりとなされている、と私は信じています。
[画像]ここは指揮所でしょうか。大臣、ルース駐日大使閣下、内局トップ、統合幕僚監部、大臣事務秘書官らと説明を聞きました。
[画像]米空母「ロナルド・レーガン」で「トモダチ作戦(オペレーション・トモダチ)」にあたる、すばらしい同盟国の兵士にねぎらいと感謝の握手。
[画像]食事会の後のサプライズ。俊美さんは「まだ何かあるの?」という表情ですが、米軍人の方2人がなにか横断幕を開こうとしています。
[画像]開かれる横断幕に興味を示す俊美大臣。
[画像]そこには、「オペレーション・トモダチ」の文字と国旗、そして、4軍の名前と、日本への応援メッセージの寄せ書きが。大臣もビックリ。
大臣は兵士に肩を叩いて、喜びを表現。このしぐさは俊美さんのお得意で、国会での閣僚席でも、いろいろな大臣にこうやって肩を持って話しかける姿は恒例です。
ちなみに、北澤俊美さんはまったく英語が話せないんですね。漢文は得意ですが。政権交代直後の「チーム北澤」の政務三役、榛葉賀津也・副大臣、長島昭久、楠田大蔵両政務官は、それぞれ、米四年制大学→イスラエル大学院、米大学院→ワシントンのシンクタンク職員、昭和50年生まれの東大法学部卒ということで、3人ともペラペラ。県議出身の俊美さんは国際会議の経験はまったくなく、初めは「なんとも切ない」ということだったようですが、ヒラリー・クリントン国務長官・ゲーツ国防長官らとの「2+2」など、大臣在任1年8ヶ月で社交術もバッチリということでしょう。
実は私は、大学生のころ、「就活」で、自衛隊の説明会に行ったことがあります。広報ビデオ上映のあとは、内容はとにかく「防衛大学卒でなく、一般大学卒でも幹部候補生になって、防大出とまったく区別なく仕事ができます」という強調がおもでした。そして、説明会の後、「それではこのあと、陸自、海自、空自の3つの分科会になりますので、みなさんの志望の会場に行ってください」。ところが、私は、興味本位で説明会に参加していて、まったくそのことを考えてなく、「イチバン大きいから陸自にするか」ということで、陸自の分科会に参加しましたが、必死に質問を繰り返す女子学生をみながら、僕は試験に応募すべきでないな、と思い、そのままにしてました。そしたら、採用担当の幕僚からたびたびお電話をいただき、応募締め切り当日の朝にも電話があり、「志願者のなかに、わざと締め切り日ギリギリまで待って願書を郵送しようという方もいらっしゃるので、宮崎さんはそういう考え方なのかな、と思って電話しました」とのことで、「ホントウにそんな人いるか?」と思いつつ、丁重にお断りしました。何でまた、運動音痴の僕に、たびたび電話をくださったのかなあ、よっぽど志願者が少ないのかな~と思っていましたが、その後、新聞記者になり、そのときのことを振り返ると、説明会のときに参加者シートに書いた「早稲田大学政治経済学部政治学科卒業見込み」という学歴に興味をもっておられたのかなと思います。新聞記者はとにかく早稲田政経が多いので、広報担当の幹候にしちゃおう、という考え方だったのではないか、と。そうやって自衛隊の広報活動にお役に立てれば、国益に資する国民になれたかもしれませんが、まあ、そのポジションにいたるまでの訓練で音を上げていたことは間違いありません。時は移ろい、自衛隊への国民の認知と信頼は大きく高まりましたから、私なんかいなくても、自衛隊への理解は、これからもどんどん高まっていくでしょう。
政権交代という、不安定期に、シビリアン・コントロールを重視する俊美さんが大臣になり、この「3・11」でも身も心も頑丈そのものに仕事を続けていることはうれしいし、尊敬します。そして、改めて、吉田茂をはじめ、日米の信頼醸成に務めてきた先人の判断の確かさに思いを馳せます。太平洋(パシフィック・オーシャン=平和の海)を隔てた隣国との、デモクラシーと同盟という友情の「りんごの木」はしっかりと次世代に受け継がれていきます。
それを実現した英雄は自衛官のみなさんと在日アメリカ軍のみなさん全員であることは言うまでもありません。