ニュースサイト宮崎信行の国会傍聴記

元日本経済新聞記者の政治ジャーナリスト宮崎信行が衆参両院と提出予定法案を網羅して書いています。業界内で圧倒的ナンバー1。

「まず委員長席に座っている人にお聞きします。あんた誰なの?」藤末健三さん言われる、参・総務委

2011年05月10日 23時59分59秒 | 第177常会(2011年1月)大震災・3党合意

(このエントリーの初投稿日は2011-05-14 07:34:19で、バックデート)

 ゴールデンウィーク明け5月9日週の国会でしたが、政局はありませんでした。ホッとしました。フルピッチで法案が続く終盤国会特有のよい緊張感の下、「残り5週間(祝日なし)+会期末3日間」ということになりましたが、内閣も新しい法案をどんどん閣議決定しています。一部委員会では法案が渋滞しており、衆議院→参議院と考えると、一日たりとも、審議がストップすることがあってはなりません。

 今週は、公明党代表の山口那津男さん、幹事長の井上義久さんは民主党に厳しめでした。というのは、あす投開票の足立区の選挙の関係だと思います。区議選は定数が50→45に削減されながら、公明党は現有14議席(現職13人と代替わり新人1人)をめざしており、熾烈。また区長選も「自民党と公明党が推薦する現職区長」と「共産党が推薦する元職区長」の一騎打ちという非常に珍しい構図となっており、勝敗のほかにも、得票率が注目されます。

 ところで、マスコミでも誤解があるようですが、最終盤国会で参院での問責決議(案)が注目されますが、参議院では、自民党(83)・公明党(19)・みんなの党(11)の3党共闘でも過半数には8議席足りません。統一会派「たちあがれ日本・新党改革」(5)や、無所属(5)のうちの3人がそろって、ようやく過半数です。社民党(4)、日本共産党(6)が決議(案)に賛成しなければ、問責決議(案)が否決される可能性もあります。仙谷さん、馬淵さんの件がありましたから、参院では必ず問責決議が通るような観測が報道されますが、それは間違いです。テレビ入りの衆参の予算委などで集中審議がありますが、この第177通常国会は、地上波アナログテレビ放送が中継する最後の国会となります。質問のチャンスを獲得した人は、気負わずに、しっかりと思い出の国会問答を演出して欲しいと思います。

 これからの5週間、税制改正法案や復興に関する法案などをしっかりと報道していって欲しいものです。そういう意味では、参議院で那谷屋正義・総務委員長、衆議院で生方幸夫・消費者問題特別委員長が辞任したのは残念です。フィリピンでゴルフをしていた問題です。ちなみに日本のマスコミはほとんど「マニラ支局」を持っています。仮にグアムや済州島でゴルフをしていたら、報道されることもなかったでしょう。どうにもこうにも、民主党はワキが甘いです。

【2011年5月10日(火) 参・総務委員会】

(委員会での正確な発言については、参議院インターネット審議中継や、後日アップされる委員会会議録をご参照下さい)

 さて、那谷屋さんが委員長辞任届を出した翌日は、同じ民主党・新緑風会の総務委理事の藤末健三さんが委員長席に座って、審議がスタート。「昨日、那谷屋委員長は委員長の辞職願を議長に提出し、委員長の職を理事の私に委託されました。よって、本日の委員会につきましては、私が委員長の職務を行います。よろしくお願いします」と述べました。

 この後、民主党副幹事長の行田邦子さんの質問があり、およそ30分して2番目に自民党の青森選挙区、山崎力(やまざき・つとむ)さん質問に立ちました。山崎さんはのっけから、激しい口調で次のように、藤末さんをまくし立てました。

 「えー、自民党の山崎です。冒頭、委員長席にお座りの方におうかがいいたします。何の権限でそこにいらっしゃるのか? さきほどの説明でははなはだ不明確であります。というのは根拠が示されていません。那谷屋委員長から言われて、というようなことを言われて、これで、そこに座られて、この委員会の委員長役を務めるというようなことは、上は憲法とまではいいませんが国会法から、下は参議院の慣例と、いろいろなこと(ルール)があるわけです。そこを踏まえたうえでなければそういう仕事できないはずですが、いかがでしょうか」

 藤末さんは次のように答えました。

 「私としましては、さきほど言いましたように、理事として私に(委員長としての職務を)委任されたということで、(那谷屋さんからの)依頼としてここに座らさせていただいております」

 
[画像]自民党の山崎力さん、民主党の藤末健三さん、2011年5月10日の参院総務委員会、参議院インターネット審議中継から。

 山崎さんは次のように返します。

 「委員長から(口頭で)委託されればいいんですか? 理事じゃなくてもいいんですか? 例えば理事じゃない人にも委託してもいいんですか?その委託できる、という根拠を示さないまま、(委員長役をやると)言われるのはいかがなものか」

 他の委員からも、「根拠!根拠!」とヤジが飛びます。

 藤末さんから、あまり説得力のある答えが出てきませんでしたので、山崎さんは畳みかけます。

 「少なくとも立法府ですから、カタイこというようですが、あのとき(冒頭)での説明にひとことでもふたことでも、かくかくしかじかの条文、あるいは慣例によって、私がきょう、委員長の仕事をさせていただきますというかたちにしていただきます、と言わなければならないわけで。なぜ私がこのようなことを言うかと言いますと、民主党のみなさんがやっていることは、そのへんの区別がついていないことが極めて多いということを常々、思っておりますので、その辺のことをお答え願えればと思います」

 と最後の方でようやく口調はトーンダウンしながら、“委員長”にお願いします。

 「はい。山崎委員にお言葉をいただきました、私が委託を受けた根拠ですが、あのー、参議院規則の31条に“委員長に事故があるとき、又は委員長が欠けたときは、理事がその職務を行う。
ということが(書いて)あります。理事ということでありました、それに基づき私が委員長をさせていただいているという状況でございます」

 と述べました。おそらく、参議院事務局職員がとっさに助け船を出したのだと思います。しかし、事前に事務局に調べてもらって、会議ののっけから「参議院規則31条に基づき~~」と始めるべきだったでしょう。

 山崎さんは2002年にこの委員会の委員長をやっていますから、参議院規則31条は事前に分かっていたようで、次のようにその場で言い返しました。

 「参議院規則31条なら、きょうは、委員長に“事故があるとき”なのか、“欠けたとき”なのか。亡くなったときは“欠けたとき”、人事不省になったときは”事故です”。では、(今回のケースは委員長の一身上の都合による辞任届なので)本会議マターです。どちらなんですか? その点について猛省を求めたい」と指摘しました。

 藤末さんは
 「その辺のところは山崎委員のご指摘の通りで、後できちんと調べてご説明致したいと思います」

 と答えます。「後で」ご説明するんだったら、この日の委員会は何なんでしょうか。山崎さんは次のように発言しました。

 「ご指摘の通りだったら、(藤末さんは)『私に権限がないんで、委員長を辞めて、この委員会を流会にさせていただきます』と言うべきなんですよ。私は、言葉尻をとらえてこの委員会を流会にしたいと思いませんから、いちおうこらえておきますが、もう少し、しっかりとした根拠にもとづいた議事運営、ならびに立法府の議員としての役割をご自覚いただきたいと思います」

 「そこまで申し上げまして、総務省、大臣の方にいろいろご質問いたしたいと思います」

 野党・参院自民党はこういうときにも、ちゃんと審議をストップさせずに、質問をします。以前の抵抗野党なら、審議ストップのうえ、退室もあり得たと思います。参院自民党は3月には気負いがありましたが、こうやって中堅クラスはしっかりと議論をする。山崎さんは元総務副大臣です。自民党は政権交代に近づいていると感じます。

 委員会が始まる前に、藤末さんは参院事務局にしっかりと働きかけておくべきだったのではないでしょうか。この辺も政治主導の本質が分かっていない。政調で政策の勉強をする前に、参議院規則を勉強すべきでしょう。例えば、ワールドカップサッカーの日本代表が試合後のインタビューで「ルールを知らなかった」と答えたら、成田空港で水を掛けられるでしょう。同じです。国会は立法府なんだから、よりルールに習熟しないといけないと私は考えます。

 小沢一郎氏の党員資格停止を解除すべきだという議員が民主党のごく一部にいるようですが、「民主党規約の第何条に基づき~~」と主張しなければ、まったく説得力がありません。たんなるストレス解消のぼやきにしか聞こえません。まあ、民主党と現状は、山崎さんの言うとおりですね。岡田克也外相が初登庁と同時に「国家行政組織法第12条に基づく大臣命令を発する」と言ったから、省内をビビらせ、大臣としての主導権をにぎれたわけです。一方、総務大臣政務官の逢坂誠二さんは、35歳で全国最年少町長になったとき、北海道庁にあいさつに言ったら、「何で坊主頭なんだ。失礼だろ」と言われたそうです。いわば、「道庁からニセコ町に交付金・補助金は出さないぞ!」というけん制だったのではないでしょうか。

 何事も初めが肝腎。小沢グループや鳩山グループはそういうことがまったくできません。張り手や猫だましができないなら、政治家を辞めて、大学教授でもやった方がマシです。「非常時だから、小沢先生の党員資格停止の解除が必要だ」ではなく、非常時だからこそ、しっかりとした法規範の根拠を示せないとダメなんでしょう。

 残り、5週間+3日間、しっかりやってくださいよ。

 山崎力さんは青森選挙区で、1995年、新進党公認で初当選。この1995年夏の選挙は、自民党が結党40年目にして、初めて総得票数で第一党になれなかった選挙でした。しかし、1997年、小沢一郎党首が思い付きで新進党を解党してしまったため、山崎さんはやむなく、「改革クラブ(小沢辰男代表・石田勝之幹事長)」の救命ボートに乗りました。改革クラブは「創価学会の応援も欲しい保守系議員の政党」とハッキリ言っていた政党でした。しかし、その後は自公政権になってしまいましたので、山崎さんは自民党に入ってしまいました。青森選挙区は1人区だし、面積が広いです。それを考えれば、公明党さんと行動を共にしたのは、妥当な判断でしょう。仮に小沢一郎氏が新進党解党の暴挙に出ていなければ、もっと早く政権交代できたし、その政権には山崎さんのような頼もしい存在もあったわけです。「3・11」地震は当然起きたわけですが、原子力災害も違った状況になっていたかもしれません。それを思うと、つくづく新進党解党が残念でなりません。小沢氏は一兵卒なので、辞任する役職がありませんから、釣りをしていても叩かれなくていいですね。

【2011年5月13日(金) 参・本会議】

 総務委員長の辞任を受けて、委員長の選挙を行いました。選挙は省略し、西岡武夫議長が指名することになり、藤末健三さんが総務委員長になりました。

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菅首相、トップダウンの政治決断 中部電力の浜岡原発を停止 篠原孝さんに聞く

2011年05月10日 22時18分04秒 | 第177常会(2011年1月)大震災・3党合意

 菅直人首相は2011年5月6日(金)に記者会見し、中部電力浜岡原子力発電所(静岡県御前崎市の太平洋沿い)について、「これから30年以内にマグニチュード8程度の想定東海地震が発生する可能性は87%だ」として、「国民の安全と安心を守るために」「すべての原子炉を停止すべきだと私は判断した」として、「中部電力」に「要請」をしました。これを受けて、中部電力は5月9日(月)に臨時取締役会を開き、総理の要請を全面的に受け入れることを表明しました。また、菅直人首相は、5月10日(火)にも記者会見し、「原子力災害を引き起こした責任は東京電力だけでなく、国にもある」として、東京電力福島第一原子力発電所災害の収束まで内閣総理大臣としての歳費を全額、国庫に返納することを表明しました。

 菅官邸は4月上旬から検討をすすめてきたと報じられていますが、2011年4月8日(金)の午後7時半から8時半の1時間、農林水産副大臣の篠原孝さんが菅総理と官邸で2人で話し合った際に、「食品の安全性を考えると、原子力発電は高くつく」として、中部電力浜岡原子力発電所の停止を進言していたことが分かりました。

 「浜岡停止」に関しては、当ブログは4月中に情報を入手していました。が、なかなか東京住まいの私も「3・11」の精神的ショックで、取材が遅れていました。当ブログが5月10日、篠原さん本人に直接取材し、確認することができました。当ブログとしてはスクープを逃したわけですが、「3・11」以降、情報の混乱への不安が自他ともにある現状ですので、確報としてお伝えする結果となったことを、かえってスッキリ思っております(^_^)v

 4月8日(金)の1時間で、エネルギー問題だけでなく、TPPなども含めた当面の課題について、いろいろ話し合った篠原さん。4月10日(日)の菅首相の被災地訪問の際に、航空自衛隊のU4他用途支援機(およそ19人乗り)が空いていると聞き、自ら申し出て、政治家としては菅総理と唯一同乗しました。機中では菅さんは、政務秘書官(民主党本部職員出身)と隣りに座っていて、とくだん話せなかったようですが、現地で待ちかまえていた他府省の副大臣らと、被災地を視察したい際にも、「主に水産業の話を中心に、いろいろ話した」そうです。

 さらに4月15日(金)にも午後2時32分から30分間、菅直人首相と会いましたが、これは水産行政に関する話で、官僚同席でした。

 その後、篠原さんは民主党国対の許可も得て、チェルノブイリ事故25周年国際会議に参加しました。もともと外務副大臣の高橋千秋さんが政府を代表して参加していましたが、ウクライナに行き、科学者会議で特別に15分間英語でスピーチ。「ヒロシマ、ナガサキ、チェルノブイリ、フクシマ・・・」との日本からの報告に対して、イギリス人学者から「日本がこの25年間、イチバン真剣になって、チェルノブイリ(の作業)を援助していたのを知っている。ここには、(原発災害の収束の)知見がある」として、ウクライナ政府の責任者も「私たちが持っているデーターを全部、日本(Japan)に提供する」とのスピーチを引き出しました。

 この後、4月26日(火)にも、震度6強の「3・12」長野県栄村地震についての菅首相への阿部守一・長野県知事の要望活動に、北澤俊美防衛大臣とともに同席した後に、阿部さん、北澤さん退席後に、午前9時55分頃から、20分間ほど総理とサシで話し、チェルノブイリ訪問の報告などをしたようです。

 4月8日~4月26日までの間に、菅さんは篠原さんと延べ2時間以上二人で話したことになります。篠原さんによると「総理大臣というのは、周りが遠慮して、アポイントを入れなくなるから、意外と暇だ」として、「歳が近いし、お互いやり合うから、(総理にとって篠原さんとの話し合いは)いいストレス発散になっているようだ」とのこと。篠原さんによると、菅首相は篠原さんのアドバイスをそのまま受け入れて政策を実行することがありますが、今回の浜岡の中長期的な停止については、「菅さんも頑固だから。原子力のプロだし」として、篠原さんの「廃炉」のシナリオその通りではなく、かなり官邸内で検討があったようだとしています。

 まあ、「他の人も言っていたと思う」ということで、篠原さん以外にアドバイスをしていた人がいるかもしれません。ただ、それならそれで、菅側近は頼もしいということで、別段、だれが最初に言ったかという問題ではないでしょう。

 篠原さんは、郵政選挙で議席を守り2回生になった直後の2005年11月、衆院外務委員会の視察の際に、チェルノブイリを訪れています。そして、4月にチェルノブイリ事故25周年の国際会議のため、再訪しています。 篠原さんは農水省勤務時代から「日本の有機農業」についての研究を進めるうちに、「原子力発電は安いが、食品の安全性を考えると安くない」との考えを持ち、脱原発で知られる広瀬隆さんらの著作を読んでいたそうです。1985年に書いた篠原さんの著作「農的小日本主義の勧め」にも、脱原発を訴えていたそうです。ですから36年越しの政策実現になります。また、2007年5月に菅直人代表代行、山田正彦前農相と3人でドイツの黒い森(シュバルツバルト)に林業やバイオマスなどの自然エネルギーの視察に行った際にも、原発について、かなり議論したそうです。菅首相が「原発のプロ」というのは、篠原さんの言によると、どうやらホントウのようです。

 篠原さんは長野1区ですので、中部電力管内になりますが、「中部電力は原発依存度が低いからちょうど良かった」と、「浜岡停止」を支持しています。

 また、これはまだ、菅首相には伝えていませんが、選挙区内の長野県栄村の「3・12」の地震被害を5月1日(日)に視察した際に、「地震被害よりも東京電力柏崎刈羽発電所が近いことが気になる」との声を聞いたそうです。その後、地図などで調べた結果、柏崎刈羽にも地震被害の可能性が高い(すでに中越地震がありました)ことが分かったそうです。「仮に柏崎刈羽で放射能漏れがあり、冬の雪が降ったら、全員避難しなければならない」として、“放射雪”の可能性があるとしました。できれば菅総理に「柏崎刈羽の停止」も決断して欲しいとしましたが、この件は菅総理に直接話してはおらず、東京電力社内が混乱していることもあり、今後の課題として取り組んでいく構えです。

 篠原農水副大臣は「菅政権の中でイチバン歴史に残ることだ」としています。

 

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今後の政治日程を更新しました。

2011年05月10日 09時46分02秒 | 第177常会(2011年1月)大震災・3党合意

今後の政治日程 by 下町の太陽・宮崎信行

 有料会員制ブログ「今後の政治日程」を更新しました。

 連休明け政局がじゃっかん見えにくく、5月最初の更新が「2011年5月10日版」と遅れ込んでしまいました。

 波乱の政局はないと思いますが、残り会期も6週間と半分になってきましたから、法案ごとに「会期内に確実に成立させるつもりがあるかどうか」の見極めも、利害関係のある国民には注意が必要な時期となってきました。

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