【元日経新聞記者】宮崎信行の国会傍聴記

政治ジャーナリスト宮崎信行、50代はドンドン書いていきます。

民主党女性副委員長に玉木雄一郎さんが就任でさあ巻き返しだ

2013年09月24日 19時25分15秒 | 第47回衆院選2014年12月アベノミクス解散

[写真]玉木雄一郎・民主党衆院議員、同氏フェイスブックページから。

 民主党は2013年9月24日(火)の第594回常任幹事会で、国民運動委員会から独立させた「女性委員会」の役員を補充しました。

 郡和子委員長、吉川沙織委員長代理に加えて、新しく副委員長に相原久美子さん、徳永エリさん、大西健介さん、斎藤嘉隆さん、さらに玉木雄一郎さんを補充する人事を全会一致で決めました。

 民主党女性委員会のホームページは下の通り。

http://dpj-womens.net/

 玉木さんは当選2回の44歳で、香川2区選出。本州以外の民主党唯一の小選挙区当選議員。

 先日は、ある前衆院議員から「私、半年前の、県連大会で次の選挙出ないと言ったんですけど、いまだに「引退」という記事が出ないんですが、いいんですかね?」ということでしたが、いろいろ聞いたら、「そういえば、玉木は(1期生の与党期に)政策調査会であまり見かけなかった。地元を回っていたんでしょうね」とポツリ。

 さて、対する自民党女性局ですが、これはエスタブリッシュメントです。自民党女性局の機関誌、月刊誌「りぶる」の広告を見ると、「特別企画 輝く女性たち 第3回 高市早苗政務調査会長」「連載 金美齢の常識・非常識 攻めの姿勢で単独過半数を」「歌プラス22 西城秀樹さん」など盛りだくさんの内容。月刊購読料は送料込みでわずか3600円(消費税込みかどうかは記載がなく不明)。

 森山真弓さんは内閣官房長官になってメガネを7つ購入しましたが、稲田朋美・行革相もメガネを10ほど持っていて、毎朝秘書官にその日の服装にあうメガネを選んでもらうとのこと。

 玉木さんは先の通常国会の衆議院内閣委員会で行革について、次のように語っていて、私は天才だと感じました。

[国会会議録から引用はじめ]

 これは、政権がかわっても継続維持をしていただけるというふうになった行政事業レビューシートの検索エンジンを、グーグルのカスタム機能を使って新たにつくったものです。お金はほとんどかかっていません
 
 例えば、と今入れていますけれども、鯨と入れて検索をかけますね。そうすると、行政事業レビューシートの中で鯨と出てくるものが全部出てきて、例えば捕鯨の関係とか、あるいはシーシェパードの対象で外務省だったりとか、つまり、省庁横断的にいろいろなものを横串で検索がかけられるんです

  私は、の中を変えたのは検索エンジンだと思っていて、政府を変えていくのも、こういう検索機能を徹底的に使うことだと思うんです。そのためには、検索にひっかかるようにもともとの予算とか決算とかを一定のルールの中できちんと整理してそもそもつくっていく。あるいは支出の際には番号なんかをきちんと入れてもらうというふうにすれば、例えば、概念的には予算執行年度が終わった瞬間に決算ができているとか、そういうことも理論的には可能なわけです

[引用おわり]

 私は古い人間なので、自民党女性局と聞いただけで、稲田大臣がしているおしゃれメガネを連想してしまいます。民主党の女性支持層は薄目です。これは、女性、とくに30代、40代以上の女性が「安定を大事にする」という特性があるからだと考えられます。

 その意味で、安定感のある玉木さんが民主党女性委員会のメンバーに加わったことは頼もしいことだし、ある意味、巻き返しの始まりだと考えます。

 ちなみに、上の玉木さんの議事録は連休前国会最終日にかけこみで衆委員会で可決した「マイナンバー法案」の審議に差し替えで登場したときのものです。言うまでもなく、マイナンバー法案は、玉木さんの先輩である大平正芳首相以来の40年来の悲願でした。大平さんは終戦直後に大蔵省で机を並べていた宮澤喜一さんに「なあ、日本では戦争で何もなくなってしまったが、鉄道は残っているから、あれを担保に外国からお金を借りられないか」とポツリとつぶやいたそうです。ゼロ式戦闘機がゼロ系新幹線になるとは大平さんも驚いたでしょうが、玉木さんの「検索エンジンで予算執行年度が終わった瞬間に決算ができている」と発言はさっぱりわからないでしょうが、まあ、終戦直後に比べれば、2013年の日本も、2013年の民主党も十分に復興できると考えています。


第185臨時国会の10月15日(火)召集前倒し不可能に維新拒否で衆院の「要求書」作成できず

2013年09月24日 11時40分07秒 | 第185臨時国会(2013年10~12月)秘密保護法

 写真は民主党ホームページから。

 第185臨時国会の2013年10月15日(火)召集(見通し)の前倒しが不可能な状態になりました。

 連休明けのきょう午前8時から、都内ホテルで、野党幹事長・国会対策委員長会談が開かれました。これは、自公民3党幹事長会談に先週出席した大畠・新幹事長の呼びかけに野党各党が応じたもの。

 ところが、維新の会が、臨時国会召集要求書(憲法53条、国会法3条など)への署名を拒否しました。

 現在情報を調べていますが、維新の会は、外交日程を優先する国会改革などから、APECや10月8日ではないかとされるTPPの首脳による「大筋合意」(破たんの可能性も)などを優先すべきだとの考えではないかと推測します。

 この結果、衆院では、民主党(56)、みんな(18)、共産(8)、生活(7)、社民(2)の合計でわずか91議席。定数480の「4分の1」(憲法53条)は120議席で遠く及ばない状況になりました。

 このため、5党は参院で集めるようです。参院では民主党(58)、みんな(18)、共産(11)、生活(2)、社民(3)で92議席なので、「4分の1」の60議席は大きく上回ります。

 ただ、私が調べたところ、参議院だけで臨時国会召集要求書をつくったのは、過去に第105回臨時国会の1度だけ。これは、1986年(昭和61年)5月26日で、半数改選がせまる参自民党(当時単独過半数)が「円高対策樹立のための臨時国会の召集」を要求。翌朝、第2次中曽根内閣は「円高対策の樹立と、衆議院定数の違憲状態の解消のために臨時国会を召集する」と決定し詔書を発布。6月2日に召集されたところ、午後2時に、衆議院解散詔書を発布し、衆議院議長が議長サロンで朗読。いわゆる「死んだふり解散」で、衆参ダブル選挙で、第2次中曽根内閣は圧勝し、自民党総裁任期延長による、第3次中曽根内閣・中曽根裁定へとつながりました。おそらく、藤波孝生・自民党国会対策委員長のシナリオでしょう。このときは、改正公職選挙法の施行日と(解散日でも参院選公示日でもなく)衆院選公示日にあわせ、47都道府県に紙媒体の官報が届くように個人で列車で配達したりというトリックにつぐトリックでした。

 今の日本に必要なのは、トリックではなく、君子は本を務む、本立ちて道生ず。民主党は2013年10月15日(火)召集に向けて、原発問題、農政、TPP、決算審査などの閉会中審査にとどめるべきです。いずれにしろ、たった、3週間しかありません。

 ◇

 会員制ブログの「今後の政治日程by下町の太陽・宮崎信行」を更新しました。

http://regimag.jp/b/sample/list/?blog=65&entry=34322

 きょうの午前8時から、野党幹事長会談が都内ホテルで開かれ、第185臨時国会の2013年10月15日(火)からの前倒し召集の署名集め(総議員の4分の1以上)が始まる見通しですが、召集に関して、政府の期限が決まっていないため、前倒しはないもよう(あるいは小幅か)。

 基本的には、衆議院経済産業委員会、予算委員会などの閉会中審査で、政府は対応する見通し。
 
 民主党は秋の臨時国会で、委員配置を新しくし、自民党も副大臣・政務官と委員配置の一新を予定しています。このまま、来年の第186通常国会まで続投する見通し。来年の通常国会は、法案次第では大幅延長も予想されます。集団的自衛権や、日本国憲法改正は先送りされるでしょう。

 衆議院解散はすぐにはありませんが、「今後の政治日程by下町の太陽」の登録者は、過去最多になっています。ありがとうございます。今後とも、長期的視点に立って、力の入れ方、手の抜き方の認識を共有して、永田町で「不毛だ」と感じることをなるべく減らして息の長い政治との付き合い方を一緒に勉強していきたいと考えております。


防衛医大看護学科1期生の願書は来週しめきり 野田政権最後の法律、我が党前に倒れる

2013年09月24日 09時17分59秒 | 第181臨時国会(2012年10~11月)友情解散

 チルドレン・ファーストと未来への種まきをした我が党の第1次与党期の最後、解散直前に成立させた法律が、「防衛医科大学に看護学科を新設する法律」だったことが分かりました。

 これは、「自衛隊法を改正する法律」(自衛隊法等の一部を改正する法律、181閣法5号、平成24年法律100号)です。

  かなり無茶な審議日程で、11月6日(火)に提出、総理の解散宣言翌日の15日(木)に衆安全保障委員会付託、16日(金)に委員会で可決のうえ、本会議に緊急上程し、可決、参院送付。さらに、16日(金)に参外交防衛委員会付託し、可決、本会議上程、可決・成立。そして、午後3時半、衆本会議が再開され、民主党初の解散詔書が朗読されました。

 なお、衆議院通過は我が党としては最後の法律ですが、参本の審議順から、成立した法律としては平成24年法律102号まであります。ですから、我が党が第1次与党期に成立させた法律は、平成24年法律102号まで、ということになりますから、これは全党員が政権を取り戻すまで絶対に暗記しておいてください。


解散詔書の準備が進む中、2012年11月16日の衆本会議で、政権最後の委員長報告をする神風英男さん。

 この防衛医大看護学科設立法案は、当初は「防衛省設置法改正法案」として提出されながら成立していなかったのですが、当ブログは、第180通常国会の会期末付のエントリーでも「他の学校を出た看護師を自衛隊が採用すれば事足りるわけで」と廃案で問題ないとの考えを示していました。

 しかし、自衛隊最高指揮官を務めた野田佳彦首相の下、防衛大臣政務官を務めた神風英男さんが衆安全保障委員長として執念を見せたことになりました。野田さんは松下政経塾第1期生、神風英男さんは7期生。無償教育のもと、公に奉仕する人になろうとした人です。自衛隊への思い、無償教育への思いが、防衛医大看護学科創設につながったのでしょう。

 2014年4月1日入学の1期生は、来週9月30日(月)に迫っているので、希望者は急いでほしいと考えます。私の乏しい人生経験からすると、国家国民のために働きたい、公のために役立ちたい、という希望があれば、悩んでいれば、まずとりあえず願書を出してしまった方がいいです。世の中打算的なやつが9割です。ただ、公のために役立ちたいと思う人は、運が味方してくれるから、とりあえず応募した方がいいでしょう。

 そして、松下政経塾出身で、自衛隊の最高指揮官と防衛政務官をつとめた2人。私は政権末期には、「我が党はたとえ倒れるにしても前に向かって倒れよう」と再三再四、呼びかけきましたが、こうやって現実になっていてうれしいです。野田佳彦さんは総理を辞任し、神風英男さんは惜敗率75%、いってこいで9000票差で落選しました。

 防衛医大看護学科卒業生は、技官として、防衛医大病院で研究や後進の指導にあたるコースもあるようです。自衛官採用コースもあるようです。米軍初の女性将官は物流(兵站)部門でしたが、やがて、30年後、2040年ぐらいには、日本では、女性看護師が将官になるでしょう。民主党は倒れましたが、タンポポの綿帽子のように、日本の未来への種をまきました。

 防衛医科大学校医学教育部看護学科(設立準備室)に関する情報は下のアドレスから取り出すことができます。
http://www.ndmc.ac.jp/college_ka/

↓下のパンフレット画像をクリックしてもらっても、上のホームページに飛ぶことができます。