宮崎信行の国会傍聴記

政治ジャーナリスト宮崎信行、50代はドンドン書いていきます。

泉健太・立憲代表、北海道石狩市議だった父(故人)は保守系無所属だったと明かす、道内で日教組などの「自虐史観」教育を受けたことは「無いです、3歳から国歌を歌っていた」とあかす

2024年08月02日 22時39分33秒 | 人物
 立憲民主党の泉健太代表=似顔絵=が京都3区(伏見区など)で初当選した後に、北海道石狩市議会議員に初当選して2期務めた父・泉訓雄さん(故人)は保守系無所属だったことが分かりました。

 きょう令和6年2024年8月2日の定例記者会見で筆者の質問に答えました。

 泉さんは「実、我が家は変わっていて、私が目指していたら、親が政治家になった」とし、民主党公認で当選した後に、訓雄氏は「無所属でしたね。基本私が民主党で国会議員になった後に、民主党の会派に入った。そういう感じだったんじゃないかな」と述べました。自治労、北教組などの支援は「全くなかったですね。うちの父はむしろ保守系無所属の分類に入る。ですから組合出身でもなかったし、組合の皆さんから応援いただくっていうシーンは僕の知る限りは、知らないですね」と語りました。 

 また、札幌、石狩両市で18歳まで育ち、石狩市立中学校、札幌市立高校などで、いわゆる「自虐史観」と揶揄される偏った歴史観を押し付ける社会科・音楽家などの教師から教育を受けた経験があるかとの問いに「無いです。私は3歳の頃、国歌を歌っていました」と語りました。


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