岡田克也外相の記者会見が4日午後(首班指名後)、開かれました。
この中で、ニコニコ動画の視聴者からの質問が代読され、「記者会見のオープン化や、その後の記者会見を見ていて、総理大臣には岡田さんがいいと思っていました。できれば出馬してほしかったのですが、なぜ今回の代表選に自ら出馬しなかったのですか?」という質問が出ました。
「新しい政治をやっていこうというなかで、(民主党の)中で候補者が何人も出るというのは望ましくない」、「菅直人さんが出るという決断をしてくれるのなら、サポートしようと前から決めていたところです」と述べました。
そのうえで、「外務大臣を8ヶ月やってきて、まあ、やっぱり自分自身いろんな経験をしたい、と。いうふうに思いました。やはり閣僚としての蓄積が何年かあって、初めて総理大臣としてのリーダーシップが発揮できる、のではないかと実感したところであります」
「それと、外務大臣忙しくて、外交以外のことについて、しばらく関心が行っていなかったというのもあります」と語りました。
岡田さんは2004年に代表に就任する時、「まだ総理大臣になる準備が出来ていない」として固辞したとされています。しかし、2009年5月には、「民主党の代表になり、(政見交代して)ニッポンのリーダーになる」と初めて公の場で発言していました。
しかし、岡田さんは与党経験は当選1回生(自民党)、当選2回生(新生党)の4年間だけで、政務三役の経験もありませんでした。
昨年9月16日に初入閣し、実際に内閣の一員として、外務省のトップとして仕事をする中で、自分自身の中にある「宰相の器」としてのハードルが高くなったのかもしれません。また、外務省の外でも、藤井裕久財務大臣が辞任したり、官邸内の情報伝達体制が滞ったりすることがありました。
商家の次男坊の岡田さんは、数年後には、また数年修行したいというかもしれません。岡田さんののんびりさと、民主党政権の長さと、そして、ニッポンの「待ったなし」。この3つが融合する日まで、まだまだ、岡田克也の旅(人生)は続きます。