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日本の『聖地』お伊勢さん参り

2013-12-08 16:37:11 | 講演・講義・フォーラム等
 日本の聖地巡礼の元祖ともいえる伊勢神宮の参詣について調べていくと「御師」(おしまたはおんし)と「講」(こう)にぶつかると講師は言う。「御師」と「講」を通して日本の聖地巡礼について学んだ。 

 12月2日(月)夜、北大の公開講座「現代の『聖地巡礼』考 ~人はなぜ聖地を目指すのか~ 」の第6講が開催された。
 第6講は「御師(おんしまたはおし)と講」と題して観光学高等研究センターの臼井冬彦特任教授が講師を務めた。

 臼井氏によると、伊勢信仰は平安貴族が始まりだったという。続いて、戦国時代の武将たちが参るようになったということだが、多くの一般庶民の伊勢参りが顕著になったのは江戸時代に入ってからだそうだ。
 特に60年を周期として大量の伊勢神宮参りの現象が起こったことを「お蔭参り」と呼んだという。そのお蔭参りの中でも、1650年、1705年、1771年、1830年のお蔭参りが有名だという。例えば、1705(宝永2)年の時には2カ月間で330~370万人の人がお伊勢さん参りをしたらしい。当時の日本の人口は2,769万人だったというから国民の10人に1人以上の人が伊勢神宮に参拝したというとんでもない数字である。

          

 当時の参拝がどれくらい大変だったかを想像してみると、江戸と伊勢の間は約460キロあるということだが、当時の交通機関はもちろん足である。すると、片道だけで14~5日かかったらしい。江戸と伊勢の往復だけで1カ月を要するという大変な旅だったわけだ。
 岩手の釜石からは100日を要したという記録もある。

 この大変な旅を実現するために自然発生的に生まれてきたのが「御師(おんし)」だった。
 ※臼井氏によると伊勢神宮参拝に関わるのが「御師(おんし)」、その他の寺社に関わるのは「御師(おし)」と区別されて呼ばれていたという。
 「御師」は神と人々とを結ぶ中継ぎ役を担っていたということだ。つまり、伊勢神宮の布教活動、地方から伊勢までの旅の助言をする、伊勢における宿を提供するなどの役割を担う存在だった。

          

 一方「講」は、ある種の相互扶助組織である。伊勢神宮の参拝に関しては「伊勢講」が組織され伊勢参りに出かける人の費用を多くの人で分担するような組織ができたそうである。そうした組織を各地に作るために、伊勢御師が全国各地に派遣されて、現地の「伊勢講」の組織化を支援したという。
 この「講」の考え方は寺社参拝の相互扶助ばかりではなく、さまざまな分野における相互扶助組織として日本各地に広く普及したようである。

          

 こうした人の存在(御師)や仕組み(講)があって、伊勢神宮は日本人にとって『聖地』となり、多くの「聖地巡礼者」を誕生させたようだ。
 その流れは現在に至っても続いており、式年遷宮にあたる今年の伊勢神宮参拝者の予想は実に1,300万人ということだ。現在の日本の人口が1億2700万人だから、やはり10人に1人の割合で参拝することになる。
 伊勢神宮は今の日本人にとっても紛れもなく『聖地』なのである。

《蛇足》
 もっとも、現在の日本で最も集客数が多いのは「東京ディズニーリゾート」だそうである。昨年2012年の入場者数は約2,700万人ということだから、日本人にとっては新たな現代の『聖地』と言えるのかもしれない…。