田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

間宮林蔵の樺太探検余話

2013-12-16 21:39:46 | 講演・講義・フォーラム等
 樺太とユーラシア大陸の間に横たわる「間宮海峡」を発見したことで知られる間宮林蔵の樺太探検のことについて話をうかがった。それにしてもなぜ「余話」なのか? 話を聴いていてなんとなく納得するものがあった。 

                 
                 ※ 間宮林蔵の肖像画(のようである)

 12月12日(木)午後、私の住居の近くにある中央区の社会福祉総合センターで「高齢者市民講座」が開講することを知った。高齢者の資格十分の私であるが、これまで「高齢者」と名の付くイベント等はできるだけ避けてきた。誰にでも多少はそうしたところがあると思うのだが、どこかに自分はまだ高齢者じゃない、という心理が働いているようだ。
 ところが今回の講座は「間宮林蔵の樺太探検余話」という興味をそそられるタイトル名だったこともあり思い切って参加してみることにした。
 会場に行ってみると、高齢者がわんさかといるではないか! それもみなさん元気いっぱいの様子である。 広い会場は若々しい高齢者で一杯になった。その数200人は下らなかったのではないか?

 講師は札幌市社会教育協会の会員であり、北海道開拓の村のボランティアを務めている渡辺博之氏という70歳のお年寄りだった。渡辺氏はご自身が樺太生まれのうえ、歴史好きということもあって樺太探検に情熱を傾けた間宮林蔵に興味を抱いたようだ。

 渡辺氏が用意した資料は、間宮の樺太探検の様子や、大陸へ渡った経緯などを時系列的にまとめたり、間宮が樺太が島であり樺太と大陸の間が繋がっていないことを確認したりしたことをコンパクトにまとめていた。
 渡辺氏は話の初めは資料に沿って海峡発見の経緯ついて多少触れたが、その後は資料にはない「間宮林蔵記念館」(茨城県つくばみらい市)を訪れたときの様子とか、宗谷岬に発つ「間宮林蔵渡樺出航の地」碑の話など、いわゆる間宮林蔵に関わるよもやま話的なことに終始した感じだった。これぞ「余話」と表現した理由だったようだ。「資料は帰ってから読みたまえ!」と渡辺氏から言われているような気がして、帰宅してからじっくりと読ませてもらった。

               
               ※ 間宮(タタール)海峡の位置図です。

 それによると、「間宮海峡」と名が付いたのは、間宮が樺太から帰り樺太と大陸が地続きになっていないことを幕府に報告したものがシーボルトの耳に入り、シーボルトが著した著書「日本」の中で「間宮海峡(まみやのせと)」と表記したことにより世界に知られることになったらしい。なお、現在「間宮海峡」と表記するのは日本だけのようで、国際的には「タタール海峡」と呼ぶのが一般的らしい。

 「高齢者じゃない」などと自分を偽ることもないだろう。(「立派に高齢者じゃ」という声がどこかから聞こえてくる)これからも興味のあるテーマが行われるときは積極的に参加してみようと思った「高齢者市民講座」初体験だった。