すっかり恒例となった感のある年末の「札響の第九」を今年も昨日キタラで楽しんできた。4年目となる今年、私はこれまでと少し違う形で「札響の第九」に耳を傾けた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/ad/6589dfd10d748875e9f1cae9533226b2.jpg)
今年の「札響の第九」は12月16日(土)と17日(日)の両日にわたって演奏され、私はいつもの友人と一緒に、昨日16日の分のチケットを手配した。今年は格安のステージ後方の席に陣取って開演を待った。私の席は会場全体を見渡せる席なのだが、客席の入りは7~8割程度といったところだろうか?
今回はきわめて素人っぽい感想を書き綴ろうと思う。(あっ! 今回は、ではなくいつものことなのだが…)
オーケストラといったらやはりその華はヴァイオリンである。私は今回、そのヴァイオリンに注目してベートーベンの交響曲第9番を聴いてみることにした。
ベートーベンの第九はそのヴァイオリンの囁くような繊細な音色から始まった。この囁くような音色が私は大好きである。この音色を耳にすると背筋がゾクゾクっとするような感覚をいつも覚える。
そのヴァイオリンの人数を数えてみた。いただいたパンフでは22名となっていたが、私が数えたところでは確か24名いたように思った。その男女比が興味深かった。男性が8名に対して、女性は16名と女性が倍の数である。ヴァイオリン以外は全て男性の方が多数を占めているのだが、ヴァイオリンは器が小さいことや、音が繊細なことで女性向きの楽器ということなのだろうか?あるいはこの構成は札響の特徴なのだろうか?
さて、ヴァイオリンに注目して聴いた第九だが、四つの楽章それぞれに大きな特徴のあることに気づいた。私の印象では四つの楽章がまるで文章でいうところの起・承・転・結そのものという印象だったことだ。そしてそれはまた山登りにも似ているようにも聞こえてきた。
第1楽章はまったく緩やかなところから登山が始まり、徐々に斜度を増していく感じだか、全体としてはまだまだ山麓の緩やかなところを登っている感じだった。
第2楽章に入ると、山の様相は一変し、かなり斜度のきついところも現れ、本格的な登山が始まり激しい登りが続くという印象だった。
第3楽章はきつい登りも一段落して馬の背にでも出たのだろうか、斜度は緩くなり平坦なところを歩きながら来たるべき最後の難所に備えているといった感じに聴こえてきた。
そして第4楽章である。ここには最大の難関が待っていて、オーケストラだけでなく、合唱団の後押しも受け全力で岩壁に立ち向かい山頂を目ざす様子に思えた。楽器も合唱も最大限の力(音)を出して登り続け、頂上が今か今かと思っていたところ突然頂上が現れたといった印象だった。そして演奏も終了の時を迎えた。
といった感じで「札響の第九」を聴いたのだが、クラシックに詳しい人に言わせたら噴飯物の印象記かもしれない。しかし、音楽をどう聴くかということは人それぞれでいいのだと思う。音楽を聴いてその音に酔い、心が充たされればどのような聴き方も許されるはずである。
「札響の第九」に酔った私たち三人は、これも恒例の忘年会へと移行して、酒にも酔った夜だった。
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今年の「札響の第九」は12月16日(土)と17日(日)の両日にわたって演奏され、私はいつもの友人と一緒に、昨日16日の分のチケットを手配した。今年は格安のステージ後方の席に陣取って開演を待った。私の席は会場全体を見渡せる席なのだが、客席の入りは7~8割程度といったところだろうか?
今回はきわめて素人っぽい感想を書き綴ろうと思う。(あっ! 今回は、ではなくいつものことなのだが…)
オーケストラといったらやはりその華はヴァイオリンである。私は今回、そのヴァイオリンに注目してベートーベンの交響曲第9番を聴いてみることにした。
ベートーベンの第九はそのヴァイオリンの囁くような繊細な音色から始まった。この囁くような音色が私は大好きである。この音色を耳にすると背筋がゾクゾクっとするような感覚をいつも覚える。
そのヴァイオリンの人数を数えてみた。いただいたパンフでは22名となっていたが、私が数えたところでは確か24名いたように思った。その男女比が興味深かった。男性が8名に対して、女性は16名と女性が倍の数である。ヴァイオリン以外は全て男性の方が多数を占めているのだが、ヴァイオリンは器が小さいことや、音が繊細なことで女性向きの楽器ということなのだろうか?あるいはこの構成は札響の特徴なのだろうか?
さて、ヴァイオリンに注目して聴いた第九だが、四つの楽章それぞれに大きな特徴のあることに気づいた。私の印象では四つの楽章がまるで文章でいうところの起・承・転・結そのものという印象だったことだ。そしてそれはまた山登りにも似ているようにも聞こえてきた。
第1楽章はまったく緩やかなところから登山が始まり、徐々に斜度を増していく感じだか、全体としてはまだまだ山麓の緩やかなところを登っている感じだった。
第2楽章に入ると、山の様相は一変し、かなり斜度のきついところも現れ、本格的な登山が始まり激しい登りが続くという印象だった。
第3楽章はきつい登りも一段落して馬の背にでも出たのだろうか、斜度は緩くなり平坦なところを歩きながら来たるべき最後の難所に備えているといった感じに聴こえてきた。
そして第4楽章である。ここには最大の難関が待っていて、オーケストラだけでなく、合唱団の後押しも受け全力で岩壁に立ち向かい山頂を目ざす様子に思えた。楽器も合唱も最大限の力(音)を出して登り続け、頂上が今か今かと思っていたところ突然頂上が現れたといった印象だった。そして演奏も終了の時を迎えた。
といった感じで「札響の第九」を聴いたのだが、クラシックに詳しい人に言わせたら噴飯物の印象記かもしれない。しかし、音楽をどう聴くかということは人それぞれでいいのだと思う。音楽を聴いてその音に酔い、心が充たされればどのような聴き方も許されるはずである。
「札響の第九」に酔った私たち三人は、これも恒例の忘年会へと移行して、酒にも酔った夜だった。