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私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

川は我々に何をもたらしたか?

2013-12-10 20:58:51 | 講演・講義・フォーラム等
人と川の関わりは密接である。川は時には我々に富をもたらし、時には我々は悲惨な害に遭わされてきた。我々にとって身近な川について改めて考え直す機会となった講座だった。 

 12月6日(金)夜、紀伊國屋インナーガーデンで「第12回石狩川フォーラム」が開催された。今回のテーマは「人と川の関わりの歴史と未来 ~石狩川のこれまでとこれから~」題して北大工学研究院河川流域工学研究室の泉典洋教授が務めた。
 泉氏は北海道以外の地における研究歴が長いこともあって、石狩川というよりは「人と変わり関わり」という部分に重点を置かれて話された。

               

 講座はまず文明の始まりと川の関係に触れた。
 高校(? 中学だった?)の地理に復習とまいりましょう。◇メソポタミア文明-チグリス川・ユーフラテス川 ◇エジプト文明-ナイル川 ◇インダス文明-インダス川 ◇黄河文明-黄河 と学びましたが、その歴史を辿ると、その初期は川の氾濫による肥沃な土の流入を利用する「氾濫農耕」だったものが、灌漑技術の発達により「灌漑農耕」に替わり生産性の向上が図られた。やがて余剰農産物を売買するようになり都市への定住が進み、そして都市への人口集中という現象を産み出したという。つまり「川を治める者は国を治める」ということだったという。う~ん、地理の復習ですなぁ。
 
 さて、それは日本についても言えることで、日本においては当初は行基とか空海という僧侶によって川の治水が図られたが、やがて治水技術の発達したことが各地に戦国武将を産み出すことに繋がっていった。つまり、治水技術が発達し、それが農業生産力を増大させ、国力の増大に繋がったということである。甲府盆地の武田信玄、新潟平野の上杉謙信、大阪平野の豊臣秀吉、熊本平野の加藤清正、仙台平野の伊達正宗といった具合である。

 治水が国の農地を守り、国を富ませるという、ある意味政治の重要課題であったのは徳川の世の中になっても変わりはなかった。
 徳川家康は江戸を度重なる洪水から守るため、そして新田開発を進めるため、利根川をそれまで現在の東京湾に注いでいたのを、太平洋に注ぐようにする大治水工事を命じたのである。この大工事は実に60年の歳月をかけて完成したという。
 このことなどは関東に住む者にとっては常識なのかもしれないが、私のように北海道を離れたことのない者にとっては関心外ということもあり初耳(勉強不足?)のことで興味深いことだった。

          
          ※ 紀伊国屋インナーガーデンで講義をする泉教授です。

 泉氏は最後に少しだけ石狩川のことについても触れた。
 石狩川も過去に何度かの洪水被害を出したが、明治になってからショートカット工法(捷水路)により氾濫が収まり、多くの水田を産み出し現在の豊かな稲作地帯となった。というのはこれまでの講義でも何度か伺ったところである。
 近年、石狩川だけのことではないのだろうが(豊平川でも同様のことを聞いた記憶がある)、上流からの土砂の流入が減って河床低下が問題になっているそうだ。川の流れによって河床が削られるが、そこに土砂が補填されない状況が続いているという。そのため橋の橋脚の土台部分が剥き出しになってしまっているところがあるそうだ。
 その原因と考えられるのが上流の森林が整備されることによって土砂の出る量が抑えられたことによるらしい。
 森林が整備されることは好ましいことと思われるのだが、河川管理の立場からするとそのことによる影響の対策が求められているということなのかもしれない。

 この他にもいろいろと興味深い話を伺うことができた。今回は内容が概論的だったこともあり私のような素人としては楽しめた講座だった。