田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

今年のコンサは強いのか?弱いのか?

2015-03-21 23:37:49 | スポーツ & スポーツ観戦
 我らがコンサドーレ札幌は、今日(21日)私が観戦した対福岡戦に2対1で勝ち、今シーズンの出足を2勝1敗とした。しかし、その戦いぶりは必ずしも我々サポーターが溜飲を下げるような勝ち方ではなかった。果たして、今年のコンサは強いのか?それとも弱いのか?


           
          ※ これまでと変わらず熱烈サポーターは熱く熱く応援を繰り広げていた。

 コンサのホーム開幕戦の観戦をパスした私は、今日(21日)のホーム第2戦を観戦することにした。体力づくりに目覚めた(?)私は、札幌ドームまで約50分かけて自転車で出かけた。(今シーズンの初自転車である)

          
          ※ コンサの先発イレブンです。中央付近に新加入の稲本選手がいます。

 今日の試合、コンサは前半15分にエース戸倉の見事なゴールで先制し、その後も優勢に試合を進めるもののチャンスを生かし切れずに前半を終えた。
 すると後半、福岡が攻勢に出ると守勢一方となり、後半12分に福岡に追いつかれてしまった。勢いに乗る福岡の前にあわやというシーンを何度も作られ、反撃の糸口がなかなか見つからない状況となってしまった。
 そんなこう着状態の中、後半44分に相手GKのパスミスに乗じて運良く1点を取ることができ、勝利に繋げることができた。

          
          ※ 先制点を挙げた戸倉選手が観衆の声援に応えています。
 
 さて、これまでの2戦、そして今日の戦いぶりを見て、大して試合を見る眼などない私だが、素人なりに今後のコンサを占ってみた。
 結論を先に言えば、チームが目標とする「J1昇格はかなり難しいのではないか」というのが私の偽らざる見方である。

          
          ※ 新しくなったオーロラビジョンはとてもクリアな印象でした。

 第1戦の対栃木戦でコンサは2点を取ったが、ラジオ解説をしていたコンサOBの吉原宏太氏によると「かなりラッキーな得点だった」ということだ。
 私がテレビ観戦をした対長崎戦は、完全に長崎に主導権を握られ、何もできないまま敗戦してしまったような印象を受けた。
 そして開幕第3戦となる今日の戦いぶりである。

          
          ※ 試合後握手を交わす、コンサのバルバリッチ監督と、福岡井原監督です。
           井原監督は元日本代表の名DFですが、開幕3連敗と苦しいスタートとなりました。

 悲観的になるなと言われても、悲観的にならざるを得ない。
 今年のコンサは補強も比較的上手くゆき、層が厚くなったとも言われている。また、監督のバルバリッチ氏も2シーズン目を迎え、戦術もそれなりに浸透しているはずなのだが…。
 少なくとも、開幕3試合を見るかぎりでは上位争いを繰り広げるチームとはどうしても思えないのだ。

 ただ、救いはそうした状況の中でも結果だけは2勝1敗という好スタートを切ったということだ。
 内容はともかくとしても、結果がこの後それほど悪くならなければ、層が厚いと言われる選手たちの中から救世主が現れる可能性がないともいえない。

          
          ※ ヒーローインタビューは決勝点を挙げた新加入の福森選手でした。

 以前のように、何をさておいてもコンサ観戦をという熱はなくなってしまったが、戦いぶり如何によっては時々観戦してみようかな?と考えている今シーズンである。
 素人である私の占いが外れることを期待しながら…。

山の水族館は何故奇跡を起こしたか?

2015-03-20 21:04:37 | 講演・講義・フォーラム等
恩根湯温泉・山の水族館の改築(改修)に関わった水族館プロデューサーの中村元氏は言う。施設を作るときにまず注力するのは「パブリシティー」だという。いくら良いものを作っても人々に注目されなければ値はないのだと…。

          
          ※ 講演をする中村元氏です。

 3月13日(金)夜、札幌市生涯学習センター(ちえりあ)において「ちえりあ講演会」が開催され参加した。
 講演会は「北の大地の水族館に奇跡が起きる ~集客倍増の仕掛けと新しいまちづくり~」
というテーマのもと、水族館の改築に際し地元で関わった北見市役所の若杉鉄夫氏が「地域活性化をもたらした北の大地の水族館の再生」と題して前座を務めた。
 続いて、水族館プロデューサーである中村元氏が「弱点で進化を起こす、売れるモノづくり」と題して講演した。

          
          ※ 講演をする古くからの知人である若杉鉄夫氏です。

 若杉氏は市役所職員ではあるが、社会教育畑を歩んできた人だけに、地域住民の方の考えに耳を傾け、その願いを少しでも実現しようと役所と中村氏との間に立って、いろいろと苦労されたようだ。しかし、話としては役所内部での苦労話であり、聞いている私にはあまり興味のある話でしなかった。

          

 興味を抱いたのは中村氏の話である。
 冒頭中村氏は、「私が一番大切にしているのはパブリシティーである」と断言した。
 パブリシティーとは、簡潔に言うとPR活動であるが、中村氏が言うそれは、マスメディアにいかに取り上げてもらえるか、ということに心血を注ぐというのである。つまり、費用をかけずにメディアに取り上げてもらうことによって、莫大な宣伝効果を上げるということのようだ。
 そのため中村氏は、滝を下から見上げるような水槽(滝つぼ水槽)、自然の川が冬期間凍るような形の水槽を造り氷の下で暮らす魚を見せる工夫をしたり(四季の水槽)、イトウがニジマスを食するところを見せるショーを開発したり(いただきますライブ)と、話題性のある水族館づくりに努めることによって、全国媒体のマスコミに取り上げてもらうことに成功したという。

 中村氏が恩根湯の山の水族館のプロデュースを受託したとき、山の水族館は弱点だらけだったという。曰く、人がいない。ど田舎である。鮭類の魚しかいない。金がない。寒い。等々…。
 そこで中村氏が構想した戦略は、「弱点で進化を起こす。売れるモノづくり」だったという。
 その結果、リニューアル前は年間入場者数が2万3千人程度だったものが、改築後は一年間に30万人の入場者で溢れ返る水族館に変身したという。

 中村氏は最後に言った。
 弱点は克服できない。
 弱点を利用する。弱点を乗り越える。そして、弱点を生かす発想が大切だ。
 進化とは、ダメだから進化するのだ。

 弱点を武器にし、弱点で進化する、という発想が大切ではないか、と…。

          

 自宅から遠い札幌市生涯学習センターであった講演だったのだが、講師の一人若杉氏とは若い頃に仕事上のお付き合いがあったこともあり、久しぶりの再会に胸躍らせ駆け付けたのだった。およそ20年ぶりの再会だったが、故郷で活躍している若杉氏ははつらつとして若々しく見えた。



《ウォーキング覚書》 

 前回の覚書からまた5日間を過ぎてしまったが、今日3/13から3/17までの5日間の分を記録しておくことにする。

 ◇3/13 11,774歩 ◇3/14 10,270歩 ◇3/15 10,310歩 ◇3/16 11,309歩 ◇3/17 11,684歩 

 ◇5日間合計 55,347歩  ◇3/13~3/17間の一日平均 11,069歩

 この5日間は一万歩のノルマをどうやら達成した5日間だった。特に、14日、15日などはギリギリで達成しているが、これは私が常設コースと設定した〔都心コース〕、〔競馬場コース〕を歩き、不足分を歩数計を見ながら回り道をするという苦肉の策で達成したものである。13日は拙宅から宮の沢の札幌市生涯学習センターまで歩いたのだが、思っていたより歩数はなく約9,000歩ほどだったのは意外だった。

残念!予選敗退 世界カーリング

2015-03-19 23:30:13 | スポーツ & スポーツ観戦
 実力差はいかんともし難かった。ここまで健闘してきた日本チームだが、予選突破をかけた今日の対カナダ戦では善戦はしたものの随所に綻びを見せ、残念ながら予選突破とはならなかった…。 

          

 札幌で行われている世界的イベントを見逃す手はないと思いながらも、なかなか月寒体育館に足が向かなかった。
 時折りテレビで観戦しながらその経過を追っていた。昨日まで日本は5勝4敗と善戦してはきたものの、予選突破の4位以内のためにはもう負けは許されない状況となった本日、スケジュールも空いていたことから観戦を決めた。

 午後2時からの試合開始に合わせて、1時半頃に会場の月寒体育館へ行ったところ、日本が試合をするレーン側はすでに満席状態だった。それでも、一人だったこともあり何とは席を確保することができた。

 その席のことだが、観戦チケットは当日券で1,500円となっていた。「1,500円はちと痛いなあ」と思いながら販売窓口へ行くと、なんと60才以上のシニアは500円というではないか!ずいぶん思い切ったシニアに優しい料金設定を喜んだ。

            

 私が場内に入ったときには、すでに両チームの選手がレーンに入っていた。この時間帯はもちろんテレビには映らない時間だが、選手はこの時間にウォーミングアップを兼ねながら氷の状態を読むという重要な時間のように思われた。
 この時間、選手たちがいっせいに野球の投手がシャドーピッチングをするように、ストーンを持たずに投球フォームを確認するシーンがあったのだが、その様子をとても美しく感じた。何でもそうだが、磨き抜かれた一流選手のフォームは無駄がなく美しいものだなあ、と改めて思った瞬間だった。

 試合の方は、第1エンドで日本が1点を先制したものの、直ぐに逆転され、終始カナダリードの展開で試合は進んだ。観戦していて感じたのは、日本は好ショットもある一方、ミスも目立った。対してカナダはほとんどがスキップ(主将)の指示通りのショットを堅実に投じていたと映った。

 テレビ観戦の場合は、NHKの方針でもあるのだろうが、アナウンサーも、解説者も、日本選手の投じたショットを「失投でした」、「ミスですねぇ」などとはけっして発言しない。そのため、テレビを見ている側はショットが良かったのか、拙かったのか、判断できない場合が多い。その点、ライブで観戦していると観客の反応も手伝ってリアルにそのことを感じられたのは良かった。

            

 細かなミスを繰り返す日本は、その後一度もリードを奪うことなく、終始カナダのリードの展開で進められた。
 観戦していた私には中盤を過ぎたあたりで、「もうダメかな?」と思わせる展開で、残すは思わぬ展開による大逆転劇を期待するしかなかった。しかし、そんな気配を感ずる間もなく5対8という試合結果で予選敗退が決まってしまった。

 残念ではあるが、これが現在の日本の力量と認めるしかないであろう。
 各国予選を勝ち抜いて大会参加を果たしたわけではなく、開催国枠で参加し、結果12か国中、6勝5敗で第6位は立派な成績であろう。ちなみにカナダは予選リーグ第2位だった。
 日本が将来、カーリング強国の仲間入りを果たすためには、一にも二にも安定したショットを獲得することであろう。

 カーリングは「氷上のチェス」とも称され、一見静かなゲームであるが、いやいやどうして、体力的にも精神的にもかなりタフなゲームであることを実感した。
 一試合が2時間強、その間常に40m超のレーンを行き来し、一人20回のストーンを投じなければならない。一投、一投に細心の注意を払いながらのショットは相当な集中力も要求される。
 そんな試合を6日間で11試合もこなさなければならないのだから大変である。

 体力的にも、精神的にもワンランクアップした日本チームの誕生を期待したい。

※ PCの写真編集機能がトラブルを起こし、撮ってきた映像がアップできない。今回はウェブ上の写真を拝借した。

札幌グルメ紀行 6 カフェ セリーナ(cafe SERENA)

2015-03-18 21:51:58 | 札幌麺紀行 & グルメ紀行
 カジュアルな雰囲気の中でパスタを食しようと入店したのだが、限定メニューのため既に完売とのことだった。代わりに、私にしては珍しくサーロインステーキをオーダーしたのだが…。 

          
          ※ ホテル日航内の「カフェ セリーナ」のエントランスです。

 このところランチづいている。
 この日もやはり妻の誘いでホテル日航内の「カフェ セリーナ」に赴いた。
 冠に「カフェ」と付けるくらいだから、ホテル内のレストランとはいってもカジュアルな雰囲気である。

          
          ※ 写真のようにカジュアルな雰囲気の「セリーナ」の店内です。

 私はこの日、セリーナがイチオシしている限定20食の「ブイヤベースパスタセット」(1,800円)を食しようと思っていたのだが、入店が遅かったこともあり、既に完売ということで諦めざるを得なかった。
 そこで私がチョイスしたのが、それほど肉を好みとしていないにも関わらず「十勝産牛肉のサーロインステーキ(ライス付き)」(2,400円)をオーダーしたのが失敗だった。
 よく考えてみれば2,400円程度で良い牛肉など提供されるわけがないのだ。しかも私は焼き方をウェルダンにした。
 それほど良質でない肉の上に、ウェルダンは明らかに固すぎた。私は味わうというより、噛み砕き、飲み込むために意識がいってしまうほどだった。
 オーダーの失敗だった。

          
          ※ 私の思いが写真にまで表れたのでしょうか?ピントがボケて美味しくなさそうですね。

 対する妻は、「シュリンプカレー」(1,400円)だったが、こちらは彼女が言うホテルカレーの上品な味に調えられたカレーだったようだ。

 教訓!目ざしたメニューが頼めないときは、潔く他の店を目ざすべきである、と教えられた。 

          
          ※ 本当はこちらの「ブイヤベースパスタセット」を所望したのだが…。


【カフェ セリーナ データー】
北海道札幌市中央区北5条西2丁目5 JRタワーホテル日航札幌 F1
電  話  011-251-6338
営業時間  朝   食        7:00~10:30  
      ランチ&アフターランチ 11:30~19:00      
定休日   無休
駐車場   有(JRタワーイースト立体駐車場 2,000円以上の飲食で2時間無料)
座 席   96席
入店日   ‘15/03/11

映画 129 アメリカン・スナイパー

2015-03-17 23:14:02 | 映画観賞・感想

 久しぶりに劇場映画の醍醐味を満喫した映画だった。緊迫した戦闘場面に手に汗握り、次第に厭戦気分に陥る主人公の心境に思いやり…。ストーリーが実話を題材にしていたところが一層私を映画の中に惹き込ませた。 

               

 3月11日(水)、特に予定のなかった私は「たまあに、映画でも行こうか?」と思い立ち、新聞の映画欄を眺めた。特に触手が動くような映画は見当たらなかった。
 そんな中、唯一「アメリカン・スナイパー」が実話に基づいた映画だということをどこかで記憶していた。ネットで調べてみると、支持率もかなり高いことが分かり、この映画に観ることにした。

 上映館は「ディノスシネマズ札幌」で15時10分上映開始の部だったが、平日とあって私のような暇人はそれほど多くはないようで、観客は数えるほどだった。
 映画はイラク戦争に4度従軍したクリス・カイルが著した自伝『ネイビー・シールズ最強の狙撃手』を原作としたものだった。監督は、数々の名作を世に送り出したクリント・イーストウッドが担っている。

 主人公であるクリス・カイルたち特殊部隊の迫真の戦闘場面と、彼の背後にいる妻や家族とのやりとりという比較的単純なストーリーが私の中に“?”を生むことなく映画に没頭させてくれた。
 この映画を戦争礼賛と捉える人もいると聞くが、主人公クリス・カイルをはじめ沢山のアメリカ兵やイラク人たちの誰もが深く傷つき、戦闘に関わった全ての人々を不幸にすることをこの映画は伝えているように思う。
 ただ、娯楽作品として創り上げる映画にはエンターテイメント性も加味する必要があるのだろう。そのあたりをクリント・イーストウッドはバランス良く組み合わせた結果が多くの支持を得ることに繋がったのではないかと思われる。

          

 主人公クリス・カイルは心に大きな傷を負い、除隊後は戦争で傷付いた傷痍軍人たちとの交流を続けるが、その中の一人に殺害されるという悲劇的な結末を遂げる。その場面については文字だけの説明で映像はない。それはクリント・イーストウッドが遺された家族に対する配慮が働いたものと思われるが、この点も好感がもてる一つだ。

 映画を観終えた数日後、北海道新聞に最新の映画ランキングが載っていたが、そこでは「アメリカン・スナイパー」が第2位にランクされていた。やはり多くの人の共感を呼んでいる映画である。


未来自治体全国大会2015 北海道地域予選

2015-03-16 21:39:41 | 大学公開講座
意外に思われる向きがあるかもしれないが、“まちづくり”というのは、私の中では興味あるテーマの一つである。そのことに関わるようなイベントが開催されたので参加してみた。 

 3月7日(土)午後、北海学園大学において、タイトル名のようなイベントが開催された。
 主催はNPO法人ドットジェイピー(.JP japan produce)北海道支部という団体だった。
 大会の開催趣旨には次のようなことが記されていた。
「時代を担う若者を対象とした自治体の政策デザインコンテストです。知事・市長の立場で、開催自治体の30年後のビジョンを掲げ、それを実現するための10年後の政策・予算案をプレゼンテーションしていただきます。参加者は、自治体職員からアドバイスをいただいたり、自らフィールドワークを実施したりしながら、チームで議論を深めて優勝を目ざします。『若者らしい創造的かつ、現実性を備えた夢』をコンテスト形式で競い合う提案型プログラムです。(後略)」

          

 北海道地域予選に参加したチームは、5チームだった(全て大学生のチーム)。対象とした自治体(開催自治体)は北海道や都市ではなく、東神楽町・下川町・弟子屈町・蘭越町・鶴居村(発表順)といった町村を対象とした発表(提案)だった。

 私が5つのチームの発表を聴いての感想は「ちょっと期待外れかな」というのが率直な感想だった。どのチームの発表を聴いていても、そこに若者らしい“夢”が感じられなかったからだ。
 曰く、道の駅の中に娯楽施設や室内運動施設を併設するとか、人口減対策のために滞在型観光に力点を置くだとか、若者夫婦の定住のために自家用車を進呈するだとか…。
 大会趣旨が「現実性を備えた夢を」と要求はしているが、それにしてもあまりにも小さな夢ではないか?私に言わせれば「現実の候補者の方がもっと夢を語っているぞ!」と突っ込みたくなるような発表に思えた。

 唯一、実現のための壁は厚いと思われるが、鶴居村を対象とした発表で、丹頂鶴のための自然環境を保全することを目的とする入村税を観光客から一人1,000円徴収して財源に充てる、とした発表がちょっと目を惹く程度だった。

          

 大会全体を通じて感じたことだが、どうも若者らしい熱気のようなものが伝わってこなかったことだ。大会は出場チーム同士で、発表に対しての質疑応答があるのだが、その様子を見ていても他の発表に対する関心がそれほど高いとは思えなかった。また、運営も大学生が担っていたのだが、不慣れとはいえ、その人たちからも熱気を感ずることができなかった。
 私には、なんだか誰かにやらされているのだろうか、と感じさせるようなやりとりに終始していたように映った。

 というように、私の感想は散々であるが、若者たちが曲がりなりにも自治体が抱える課題を自らの課題として捉え、その課題解決策を主体的に考えたことは素直に評価したいと思う。
 彼らの中から、将来議員や首長などを目ざす人がいるとしたら、今回の経験も貴重な経験だったに違いない。
 今回は、私の中で学生に対する期待が少し大き過ぎたのかもしれないが、真摯に考えた経験が将来に必ず生きてくるはずだ。
 “頑張れ!若者!”

冬の石狩川河岸を遡る ~これまでとこれから~

2015-03-15 22:28:27 | 冬の石狩川河岸遡行スノーシュートレッキング

 “冬を楽しむ”…。そんなコンセプトで昨年は3日、そして今年は4日、計7日間にわたって冬の石狩川を河口から遡ってきた。直線距離にしておよそ50数キロ、月形町にまで達した。これまでを振り返り、これからを考えてみた…。 

               
               ※ ちょっと薄くて見づらいですが、これまでの私の足跡を記録してみました。

 2011年、2012年に5日間かけて豊平川を河口から定山渓まで遡ったという達成感が、無謀にもスケールのまったく違う大河石狩川に向かわせる動機となった。

 初めは恐る恐る踏み出し、思わぬ危機にも見舞われた。しかも脚が痛み出し、不安もあったが、スノーシュートレッキングの面白さにもハマった昨年だった。

 今年は天気や雪の状態にも恵まれたうえ、私自身の体調も良かったこともあり、終始楽しめた4日間だった。

 今日、私はこれまでの7日間の投稿ブログを全て振り返ってみた。楽しかった7日間の日々が蘇ってきた。(前編 後編 のところをクリックすると、それぞれの投稿ブログが開きます)
 ◇第1日目 石狩川河口 ⇒ 石狩河口橋 (‘14/01/22 前編  後編
 ◇第2日目 石狩河口橋 ⇒ 札幌大橋  (‘14/01/30 前編  後編
 ◇第3日目 札幌大橋  ⇒ 新石狩大橋 (‘14/02/09 前編  後編
 ◇第4日目 新石狩大橋 ⇒ 美原大橋  (‘15/01/29 前編  後編
 ◇第5日目 美原大橋  ⇒ 川下集落  (‘15/02/05 前編  後編
 ◇第6日目 たっぷ大橋 ⇒ 月形大橋  (‘15/03/01 前編  中編  後編
 ◇第7日目 川下集落  ⇒ たっぷ大橋 (‘15/03/12 前編  後編

 さて、すっかりスノーシュートレッキングの面白さ、醍醐味に魅了された私には、ここで終了という選択肢は考えられない。
 〔現在と同じような健康が維持できれば〕という〔 〕付きの条件ながら、できればこの先へ行ってみたいという思いに包まれている。自宅から徐々に遠くなり、条件は厳しくなるができれば挑戦したいという思いが強い。

 それじゃ、もし挑戦すると〔どこまで?〕という問いが次に来る。
 取りあえず、「空知川」と合流する滝川市までは河岸の状況がこれまでと大きくは変わらないようなので、可能ではないかと思える。そこで第一の目的地は滝川市と設定したい。

 実施する時期については、昨年、今年の経験から2月10日~3月5日くらいあたりが雪のコンディションが最も良いと思われる。
 問題はこれまでのように適当な中継ポイントが見つからないことだ。自宅からもかなり離れてきた。
 この難問をどう解決するか?
 来シーズンまで、足腰を鍛えること(一日一万歩運動)を続けながら、対策を考えていきたい。


《ウォーキング覚書》 
 前回の覚書から10日間も過ぎてしまった。今回はまた10日間の覚書を記すことにする。

 ◇3/03 12,160歩 ◇3/04 10,760歩 ◇3/05 10,630歩 ◇3/06 7,301歩 ◇3/07 13,094歩 ◇3/08 10,250歩 ◇3/09 11,386歩 ◇3/10 13,667歩 ◇3/11 12,303歩 ◇3/12 30,203歩 

 ◇10日間合計 131,754歩  ◇3/03~3/12間の一日平均 13,175歩

 この10日間は3/12の「冬の石狩川河岸を遡る 7」以外は特別のイベントもなく、一万歩を少し超えるだけの日々が続いた。その中、3/06は7千歩余りにとどまったが、これは自宅から遠いところで会議があり、帰宅が夕方になってしまい一万歩を達成することができず、翌日は意地で回復させた。
 これまでも何度か触れてきたが、最近は珍しい光景に出合うこともなく、歩くコースの選定に苦慮している。「今日はどこを歩こうか?」と…。
 特にこの雪解けの季節は、小路は解けた雪でグシャグシャの状態のため、自然に雪が消えた歩道を歩こうとするため。歩くコースが限定されてきた。
 そこでこの一日一万歩「札幌ぶらり散歩」を始めたころの考えを少し修整して、札幌珍景を探しながらウォークと、一日一万歩のノルマを達成するための常設コース的なものを設けようと考えた。
 今のところ、一つは自宅から北1条通りを西28丁目まで西に向かい、そこから大通にコースを変えて西1丁目の創成川沿いを折り返して帰ってくる〔都心コース〕である。
 もう一つは、自宅から札幌競馬場の周囲を一周してくる〔競馬場コース〕である。
 どちらも僅かに一万歩には足りない。そこで自宅近くになってから回り道をして一万歩を確保するようにしている。
 また、特別コースとして〔藻岩山登山コース〕である。こちらは1万2千歩前後になる。
 まあ、いろいろと試しながら飽きないように取り組みたいと思う。


冬の石狩川河岸を遡る 7 後編

2015-03-14 20:03:04 | 冬の石狩川河岸遡行スノーシュートレッキング

川下集落 ~ たっぷ大橋 トレッキング月日 ’15/03/12

 「滔々と流れる母なる大河」、それはまるで石狩川のために用意されたフレーズであるかのように、石狩川は滔々と流れていた。疲れを覚えると、歩を停めて右手を流れる石狩川に目をやり、その悠々とした流れに癒されて、また歩を進める。そんなことを繰り返しながらのスノーシュートレッキングだった。 

 雑木林の中で休憩を取った後、再び行動を開始した。
 石狩川と陸地の境目を見ると、木が大きく横たわっているところが何ヵ所もあった。滔々と流れる静かなる大河も、時には大増水して川岸を削りそこに生えている木をなぎ倒していくのだろう。
 また、所々で勢いよく雪解け水が石狩川に注いでいた。春がそこまでやって来ていることを実感させられる光景だった。

          
          ※ 川との境目では写真のように横たわった木をたくさん見ることができました。

          
          ※ 写真で分かるでしょうか?泡立てながら勢いよく雪解け水が石狩川に注いでいました。
  
 川向うを見ると、小さな流れが石狩川に注いでいるのが見えた。マップ上では名前が付けられていない流れだった。

          
          ※ 向こう岸の右の方に流入する川が見えます。川の名前は判然としません。

 向う岸に流れが見えたということは、こちら側では河川敷を利用した「ニューしのつゴルフ場」があるはずと思い、川岸を離れて堤防近くを目ざした。
 8時35分、雑木林を抜けると、そこにはいかにもゴルフ場という感じで広々とした雪原が広がっていた。

          
    ※ 「ニューしのつゴルフ場」です。新篠津村はグライダー滑空場やゴルフ場を持つなど豊かな村なのでしょうか?

 しばらくゴルフ場内を歩くことにした。その頃から足がだんだん重くなってきた。一歩踏み込むごとに雪面が割れ、スノーシューが沈み込むことを繰り返しているうちにかなり体力を消耗させたらしい。その時点ではまだそれほど距離を歩いていなかったのだが…。

          

 9時15分、ゴルフ場の端にクラブハウスとも呼べないような簡素な建物が建っているところに着いた。そこにはゴルフ場の雪融けを促す融雪剤を散布するための準備をしている作業員の方がいた。
 マップ上では「しのつ公園」内にある「たっぷの湯」が入る道の駅があるはず、と思い堤防上に上がってみると、確かにそこに道の駅の建物が建っていた。

          
          ※ ゴルフ場では春のシーズン到来の準備が始まっていました。

          
          ※ 新篠津市街地からの帰り、食事を摂った道の駅の建物です。


 再び河岸に戻りトレッキングを続けたが、遠くにはこの日のゴールとなる「たっぷ大橋」が見えてきた。ゴールまでは2キロ少々まで近づいた。
 往く手には、相変わらず水を湛えた凹地(掘割)がところどころで顔を出し、直進することを阻まれた。疲れた体でそうしたところを一つひとつ回避してゆくのが辛かった。

          
          ※ 遠くに「たっぷ大橋」の吊り橋が見えてきました。

          
          ※ この日はこうした水面が出た凹地に何度も何度も遭遇しました。

 ふと気付くと、堤防上に大きな建物が目に入った。遠目だが建物の壁に「基線揚水機場」と書かれているのが読めた。石狩川から水を汲み上げる建物らしい。この時、時計は9時45分を指していた。揚水機場と石狩川を結ぶ流れは雪の下だったのか、気付かずに通過していた。

          
          ※ 「基線揚水機場」の建物とその前の樋門です。

 すると、揚水機場からそれほど行かないところに、今度は往く手を阻むように流れが遮った。
 堤防のところには樋門のような施設も見えた。その流れを回避するため堤防上に向かったが、ここには樋門の前に人道橋が架かっていた。そこにこの日最初で最後となるキツネがこちらを眺めていたが、私が歩を進めると警戒するようにその場を去った。
 疲れていた私は、堤防まで上って樋門の名称を確認する余裕はなく、人道橋を渡って、再び川岸に戻った。後から確認すると、そこは篠津村の下水処理場で処理された下水道水を流すための流れだったようだ。

          
          ※ これだけの流れだと、とても渡ることは不可能なので迂回しなければなりません。

          
          ※ 名称不詳の樋門です。その前に人道橋がありました。橋の左手をよく見てください。キツネがいます!

 ゴールのたっぷ大橋が徐々に大きくなってはきているのだが、疲れた体では遅々として進まない。
 川向うの川岸に大きな建物が建っているのが目に入った。何の建物かは手持ちの資料では判断できないが、やはり揚水機場のような機能を有した建物ではないとか思われた。

          
          ※ ゴール近くの川向に見えた大きな施設です。

 すっかりペースの落ちた私のトレッキングだったが、なんとかゴールが目の前まできた。この日最後の石狩川の様子を写真に収め、たっぷ大橋の右岸たもとに着いたのは10時30分だった。
 歩数計を確かめると15,935歩だった。ジグザグに進まねばならなかったところもあり、スノーシューでの実質歩行距離は10キロ強といったところだ。

          
          ※ この日最後の石狩川の姿と「たっぷ大橋」です。

          
          ※ ゴールとなった「たっぷ大橋」の勇姿です。

          
          ※ いつものようにゴールの記念写真です。

 問題は帰途だった。
 当初予定では、新篠津市街発13時45分のコミュニティバスで自家用車を置いてある川下集落まで戻る予定にしていた。しかし、それには3時間も待たねばならない。
 川下集落までの道路は直線ではなく、いくつも曲がっていたため8キロ強の距離があったが、私は疲れてはいたが歩くことにした。

 すでに疲れ果てていた体に、さらに8キロ強のウォークは厳しかったが、途中新篠津村の道の駅で食事休憩を取ったりしながら、12時55分無事に川下集落に辿り着いた。その時歩数計は30,203歩を示していた。

 疲れはしたが、私の中では充実感に満ちている。今シーズンはこれで「冬の石狩川河岸を遡る」シリーズは閉じようと思う。
 明日、「冬の石狩川河岸を遡る」~これまでとこれから~ について綴ってみようと思う。

※ なお、これまで「岩見沢大橋」と称してきた橋名を「たっぷ大橋」に変更した。その理由は国土地理院の地図によると「岩見沢大橋」となっていたが、調べてみると以前架かっていた旧橋は確かに岩見沢大橋と称されていたが、2004年に新しい橋に架け替えられた際に公募して「たっぷ大橋」と改称されたことが判明したので、「たっぷ大橋」と変更しました。


冬の石狩川河岸を遡る 7 前編

2015-03-13 15:16:46 | 冬の石狩川河岸遡行スノーシュートレッキング

川下集落 ~ たっぷ大橋  トレッキング月日 ’15/03/12

 昨日(12日)、「空白の五マイル」ならぬ、「空白の7キロ」をやり遂げることができた。今シーズン最後のチャンスと思いながら出かけたスノーシュートレッキングだったが、たったの7キロだったのに、私にとっては今シーズンの中では最もダメージを受けた7キロだった…。 

 雪の状態、天気、私のスケジュールなどを睨みながら、今シーズン最後のスノーシュートレッキングの実施の日を慎重に検討した。
 その結果、「天気は多少不安定だが12日以外にはない」との結論に達し、昨日実施に踏み切った。

 計画では、今回は自家用車を自ら運転して、スタート地点の新篠津村川下集落まで移動し、そこからスノーシュートレッキングを始めて、たっぷ大橋のたもと(新篠津村の中心街近く)をゴール地点とする。
 帰りは平日のみ走る新篠津村のコミュニティバスが、新篠津村役場前を13:45に発車するので(昼間はこれ1本のみ)、それを利用して川下集落まで戻り、再び自家用車を駆って帰宅するというスケジュールプランだった。

 自家用車を使い、しかも直線距離にして約7キロ、私はそれほど早く始動しなくてもいいなぁ、くらいに考えていた。(今風に言うと、ザックリした計画?)
 ところが、やはり興奮していたのだろうか?朝4時半に目覚めてしまった。
 目覚めてしまったからには行動開始である。
 前夜におおよその準備は整えていたので、カップラーメン用のお湯や、温かい紅茶を用意して、夜明け前の5時20分に自宅をスタートした。

          
          ※ これが拙ブログでちょっと話題になったドイツのカローラです。

 6時10分、スタート地点の川下集落に着き、準備を整えて6時20分にスタートした。(前回とほぼ変わらぬ時間にスタートを切ったことになる)
 天気は雲が厚く垂れ込めているものの、風はそれほどなく、まあまあのコンディションである。
 肝心の雪の状態だが、表面は固いものの、踏み込むとスノーシューの周りの雪が崩れ、足元が沈み込んでしまうという雪の状態だった。 これが後々、私の体力を徐々に、徐々に奪っていった。

          
          ※ 前々回スノーシューを脱いだ川下集落の倉庫のところからトレッキングを開始しました。

          
          ※ 写真は見づらいですが、スノーシューを踏み込むと沈み込んでしまうというコンディションでした。

 スタート地点の川下集落の堤防から真っ直ぐ石狩川の河岸に向かった。
 石狩川は前回とは違い、ほんの少しだがさざ波を立てながら静かに流れていた。
 いつものように雑木林の間を抜けてゆく、スノーシュートレッキングが始まった。
 雑木林の中は予想どおりかなり雪解けが進み、あちこちに自然にできた掘割が顔を覗かせていて、そこを避けながらのトレッキングが続いた。

          
          ※ この日、最初に見た石狩川の流れです。少しさざ波が立っているのがわかるでしょうか?

          
          ※ 石狩川河岸はこのように雑木林が繁茂しているところがほとんどでした。

          
          ※ 行く手にこうした自然にできた凹地(掘割?)に水面が顔を出していました。

 行動を開始して30分後、大きな流れに進路を遮られた。そこは新篠津村内を流れる「篠津川」が石狩川と繋がっている「篠津川上流樋門」が設けられているところだった。
 流れを回避するためには堤防のところまで戻るため、河岸から2~300メートル迂回しなければならない。こうしたことがこの日だけで3度ほどあった。

          
          ※ 新篠津村内を流れる「篠津川」が石狩川に注ぐ河口です。向こう側が石狩川。

           
          ※ 「篠津川」と「石狩川」を結ぶ「篠津川上流樋門」の大きな構造物です。        

 再び河岸に戻り、石狩川を右に見ながらのトレッキングが続く。
 雑木林の中にも春が芽吹き始めていた。植物に弱い私であるが、さすがにネコヤナギの芽だけは分かる。銀色の産毛に包まれた芽が今にもほころびそうな表情で枝先に付いていた。

          
          ※ ちょっとネコヤナギにピントが合っていませんねぇ…。

          
          ※ こちらは昨秋の種子がまだ枝先にぶら下がっている図でしょうか?木の種類は分かりません。

 先にも書いたが雑木林は木と木の間がそれなりにあるので、そこをジグザグにはなるがすり抜けて進むのには問題がない。問題はイタドリのような灌木類が密生しているところである。もうそこはそうした灌木類をなぎ倒しながら進むしかなく、これがけっこう面倒だった。

          
          ※ 写真のような灌木類が私の往く手に立ち塞がりました。

          
       ※ 石狩川は変わらずに静かに流れていました。この流れが暴れるときにはどのような様子なのでしょう?
          
 スタートからおよそ1時間後の7時30分、頭上を向こう岸から送電線が走っていた。これまで送電線は国土地理院の地図には記載されていたのに、この送電線は記載されていない。どうしてなのだろう?

          
          ※ 国土地理院の地図に記載されていなかった送電線です。

 雑木林の中は、一部雪面が固く締まっていてスノーシューが沈むことなく進めるところもあった。そうしたところは、沈み込むところに比べるとスムーズに歩を進めることができ、体への負荷も少なかったのだが…。

          
          ※ このような凹地が現れると、当然のように巻いて進まねばなりません。

 スタートしてからおよそ1時間半後、少し疲れを覚えたこともあり休憩を取ることにした。
 風は感じず、静かな林の中で、温かく少し甘い紅茶を啜り、ミニドーナツを頬張る瞬間は何にも代えがたいホッとする瞬間でもあった。
 私はこの時、意識はしていなかったのだが後から考えると、ちょうどこの日の中間地点に達していたようだった。

          
          ※ 雑木林内で摂った温かくて甘い紅茶とドーナツは最高でした!
                                        (明日、後編をレポートします)

 ※ あっ、ところでリード文に使用した「空白の五マイル」については、現在最も注目されている冒険家でノンフィクション作家である角幡唯介氏の処女作の書名である。壮絶な冒険噺は私を魅了して離さなかった名著です。

                                    


ハンガリーのアイカって知っていますか?

2015-03-12 22:17:15 | 大学公開講座
 ハンガリーのアイカという地域が大規模災害に遭ったことを知っていますか?私は寡聞にして知らなかった。被災に遭ったアイカ地区はいち早く立ち直ったという。それは今なお復旧が遅々として進まない福島の参考になるのではないか、と講師の家田氏は説いた。 

 3月4日(水)夜、本年2度目となる「遠友学舎炉辺談話」が北大遠友学舎で行われ参加した。この日は北大スラブ・ユーラシア研の家田修教授が「福島、チェルノブイリ、アイカを地域とグローバルな視点から考える」と題して講演をされた。

 福島、チェルノブイリ、アイカに共通するのは、いずれも大規模災害に見舞われた地である。福島、チェルノブイリの災害については言わずもがなであるが原発事故に遭った地域である。
 一方、アイカはハンガリーにあって、2010年10月にハンガリーのアルミニウム製造工場から廃液の赤泥が大量に流れだし、周辺の町や村が1~2mにも達する赤泥に飲み込まれ、多くの車や家屋が押し流されたそうである。赤泥には重金属や強塩基など毒性および腐食性の高い物質が含まれていたこともあり、死者10人、負傷者300人以上という大惨事になったという事件である。

 家田氏のこの日の講演の趣旨は、災害復旧の在り方についてであった。
 家田氏は災害復旧にあたっては、「被災者一人ひとりの救済」が重要ではないかと説いた。

 チェルノブイリの場合は、もともと周辺はポレシア地方と呼ばれ、住民はポレシア方言を話していたそうだ。それが事故によって住民たちは四散したため、避難先から方言が失われるというという危機になったそうだ。方言を話せないことが住民たちの間にストレスを産むことになったが、言語学者たちが方言の蒐集活動で聞き取り調査をする中で、住民たちの心が癒されていったという。
 避難者たちは放射能被曝に加えて、故郷の喪失という二重のストレスからわずかではあるが解放されていったようだ。これは「心の救済」の例である。

 一方、ハンガリーのアイカの場合は、事故後ハンガリー政府がいち早く被災者住民の住宅の再建に取り組んだことである。事故から一年以内に、集団移転で111世帯が新築、129世帯が中古住宅、金銭補償が72世帯、家屋修理が53世帯、全て一年以内に終えたそうだ。
 こちらは「ハード面の救済」の例である。

 こうした事例が福島の復旧の参考にはならないだろうか?インフラの復興を優先するあまり、仮設住宅での暮らしが4年にもなる人々。ストレスから孤独死や自殺する人が出ているという現状に対して…。

 私はハンガリーのアイカの例に興味を持った。(家田氏がハンガリー研究の専門家だったこともあって、講演のかなりの部分をアイカの例に割いたこともあるのだが)
 そこで私としては珍しく質問した。
 「けっして豊かとは思えないハンガリーが、なぜそこまで迅速に避難住民の住宅建設を行ったのか」と…。すると家田氏は、こう答えてくれた。
 ハンガリーでは2001年にも大規模洪水被害があり、その際にも政府は住民の住宅再建を最優先にしたという体験があったからだ、と…。
 アイカの事故の場合は企業責任が問われるのだが、その責任を追及することで住民の住宅建設が遅れるよりは、まず国費を投入して「被災者一人ひとりの救済」を優先させたということのようだ。

 「他から学ぶ」…、いろいろと隘路もあるのかもしれないが、忘れてはいけない視点だと私は思う。